第11話

 外に出れば、陽がすでに傾きかけていた。そして店の前にいたのは、感情を消し去った風牙だ。

 暗い翳りを落とす志輝の顔と、そして目を真っ赤にさせた雪花を見るなり、風牙は志輝の胸倉を掴みあげた。


「騒ぎがあったと聞いて来てみれば…。おまえ、人の娘に何してくれてんだ」

「っ風牙!ちがう、私が悪いんだ!手を離して!」

「雪花、おまえは黙ってろ!おまえも後で説教だ!」


 風牙の刺さるような怒号に、雪花は息を飲んで両肩を竦めた。

 こんなに怒りを露わにしている風牙は久しぶりに見る。


「手順をすっ飛ばして奪いやがったのか」

「…」

「おまえ、あのババアに言ったんだろ?皆を認めさせてから雪花を迎え入れるって。その言葉は嘘か?あぁ!?」

「っ風牙!やめてってば!違う、何もなかったから!」


 怒る風牙は怖いが、このままでは暴力沙汰になる。これから会談が行われるという時に、志輝に怪我はさせられない。

 雪花は風牙を止めようと、彼の腕を引っ張ろうとしたが―――。


「フウガ、そのあたりにしておけ!」


 雪花の代わりに、風牙を止めようと割って入る人物がいた。

 煉瓦色の髪を後ろへ流し、風牙相手に力で引けを取らない人物は―――。


「ネイサン…!?」


 雪花達が江瑠沙で世話になった人物の一人だ。何故彼がここに居るのだ。雪花は赤くなった目を大きく開いた。

 彼はこちらの言葉を、以前よりも流暢に使いこなしている。


「ようセツカ。元気そう…という訳じゃなさそうだな。まさか、着陸早々おまえらの修羅場に出くわすとはな。おいフウガ、落ち着け。セツカが何も無いって言ってるだろ。こいつは嘘をつかないさ」

「…ちっ」


 風牙は手荒い仕草で志輝を離すと、一人背を向ける。


「フウガ。おまえ、先に店に帰ってろ。そこの兄ちゃんも、今日は引いてくれねえか」

「おい、ネイサン!」

「…」

「あのなぁ、おまえらじゃこいつの話を冷静に聞けねえだろ。第三者…この場合は第四者が割って入ったほうがいいんだよ。おまえらの誰一人冷静じゃねえだろうが。頭冷やせ」


 ネイサンの言うことはもっともで、皆、それぞれ俯く。


「…分かりました」


 少しの沈黙が落ちた後、一番初めに、ため息混じりに呟いたのは志輝だ。風牙も舌打ちをすると、志輝には目もくれずに立ち去っていく。


「…雪花」

「…はい」

「貴方が嫌であれば、無理は通しません。使いは断ってください」

「え…?」


 志輝は泣きそうな顔で笑うと、その場から立ち去っていく。

 胸の奥がズキ、と痛み、思わず手を伸ばしかけるがそれは宙で止まる。

 そんな顔をさせてしまったのは、間違いなく自分だからだ。指を手のひらにしまい込んで、雪花は瞼を伏せた。

 一方そんな彼女の様子を伺っていたネイサンは、口元をわずかに綻ばせ、そして雪花の頭に肘を乗せてぐりぐりと体重をかけてきた。


「ははっ。おまえ、随分と人間らしい表情をするようになったな。人間らしいというか、女らしいというか」


 こんなにぎすぎすした気まずい空気が残る中、どうして笑えるのか。雪花はむっと眉根を寄せて、彼の肘をどけようと奮闘する。


「この手を退けてよ!こっちはもう、色々いっぱいいっぱいだってのに!」

「いい傾向じゃねえの。他人に対して興味を持たなかったおまえが、まさか色事に悩んでいるとは。いやぁ、成長を感じるねえ」

「からかって楽しみたいなら帰れ!っだいたい、こんな時になにしに来たんだよ!」


 そう叫んだところで、雪花は「あ、」と自分の言葉で気づいた。

 こんな時に———。そうか、こんな時、だから来たのか。


「…会談のために来たのか」

「ビンゴ」

「なら、こんなところにいたらダメだろ。仕事しなよ仕事」


 雪花は彼の肘から解放され、もっともな事を指摘する。

 彼は江瑠沙の軍人だ。陸軍と海軍での経験を持つ、江瑠沙でも名高い将軍。護衛の指揮を執っているのか。


「あぁ、いいんだ。姫さんはアレクに任せてきた」

「アレク?…あぁ、楊任のことだっけ。え、二人は知り合いなの?」

「昔馴染みだ。だから、おまえらがこっちにきた時に面倒みてやったんだろうが。元々、こっちに流されたフウガを俺に紹介したのはアレクだからな」

「…流された?」


 妙な物言いに、雪花は首を傾げた。


「ああ。フウガの母親が、こっちの文化を学ばせるために無理やり奴を船に乗せて流したんだよ」

「…」


 あのおっかない黎春燕ならやりかねないだろう。

 文句を叫びながら船に無理やり押し込められる風牙を容易に想像できて、雪花は口元をひきつらせた。 だがなるほど、それで風牙は言葉に不自由していなかったのか。


「ま、立ち話もなんだからどっか店に連れてけよ。俺様が話を聞いてやるよ」


 ネイサンは豪快に笑うと、雪花の背中を音がするほど強く叩いた。


「ったいなぁ…。ていうか、なんか面白がってない?全然笑える気分じゃないんだけど」

「おまえが辛気臭い顔してるからだろ。んな顔してっと幸せが遠のくぞ。ほら、テンシンとかを食べさせてくれる約束だろ。連れていけ」

「…」


 何でこんなことに…。もうどうにでもなれと思いつつ、雪花はネイサンと共に歩き出した。



 ◇◆◇



 赤毛の異人に奇異な視線が集まる中、ネイサンと雪花は一軒の飯屋にいた。

 先ほどの状況に至った過程を端的に説明すると、黙って話を聞いていたネイサンは次の一言で雪花を一刀両断した。


「―――そりゃおまえが悪い」


 彼は出された包子に齧りつきながら、雪花を指差した。


「その男に同情を禁じ得ない。なんつーか、飯を目の前にしてお預けを食らっている犬の気持ちだな」

「い、犬、」

「そしておまえは、理由はどうであれ、待てを長引かせて焦らしている女だ。向こうはちゃんとけじめをつけようとしてんのに、曖昧な答えしか与えてやらないとは…。はー、可哀想になあ。あまりの不憫さに同じ男として涙が出てくるぜ。よく堪えたなあ、そいつ」

「…」


 ネイサンの一言一言が、雪花の心にグサ、グサと容赦なく突き刺さっていく。さすがに食欲が沸かない雪花は、湯呑を抱えて肩を縮こまらせているしかない。

 一方のネイサンは、喋りながらもいつの間にか包子パオを平らげている。

 食べるの早いな、と思いながら、次に身体が温まりそうな水餃子を頼んでやる。


「おまえ、そいつに喧嘩売ってんのか?あのな、男は聖人セイントじゃねえっての。好きな女がいれば誰だって慾を覚えるものなの。ハグしたいと思うし、キスしたいし、セックスしたいって思うわけ。それをおまえ、はぐらかしながら他の男に隙を見せ、どっちつかずの態度とは。はー、おまえも性質の悪い女だな」

「…」


 幸いにも、彼は向こうの言葉を混ぜて話しているから周りは分からないだろうが、結構際どい言葉を臆面もなくつらつらと並べてくれる。

 雪花はげっそりとしながら、湯呑の縁を指でなぞった。


「…そんなつもりは、なかったんだ。なんか色々考え出したら、だめだ、って思って。自分に女としての魅力なんて皆無だし。いいとこの出でもないし。…でもそういったこと全部言い訳で、ただ卑屈になってたんだってことは分かった」

「鈍いな、そして気づくのが遅い」

「…おっしゃる通りで」

「女としての魅力が劣ってることは、んなもん皆周知の事実だろ」

「そっち!?」


 まあ話を最後まで聞け、とネイサンは雪花を窘める。


「だけどな、奴はそんなおまえが良いって言ってんだろ?ちょっとずれた趣味してるが、奴にとっておまえのいう“女の魅力”なんてものは関係ないんだろ」

「…どういう意味?」

「だからだなあー。周りがどう思おうとも、おまえがおまえであれば、それだけでいいんだよ。でなけりゃ惚れねえだろ。胸が絶壁だろうが、尻が小さかろうが、あの男にとって関係ないってことなんだよ」

「…」


 散々な言われようだが、何だか妙に納得できた雪花は目を数回瞬きさせた。


「だけど知らねえぞ。おまえがこんなところで躓いている間に、そのフィアンセもどきに取られても」

「…う、」

「正面切って勝負挑まれたんだろ。話を聞く限り、その女もなかなか筋の通ったいい女じゃないか。それで才色兼備なんだろ?そんな女相手に、ハナっから気持ちで負けてるとは情けない。おまえ、本当に馬鹿だろ」


 一体、本日何度目の馬鹿を頂戴したんだろうか。ネイサンは痛いところばかりついてくる。本当にぐうの音も出ず、雪花はついに卓に突っ伏した。

 きのこでも生えそうな暗い空気を漂わせる雪花に、料理を運んできた店員はぎょっと驚くが、何も見なかった様にそそくさと奥へ姿を消していった。

 運ばれてきた水餃子から、わずかに生姜の良いにおいが漂ってくる。

 ネイサンは「美味そうだ」と嬉しそうに呟くと、蓮華を持って羹を先に啜った。


「…ネイサン。どうしたらいいのか分からないよ。なんか…自分が自分じゃなくなるみたいで気持ち悪い」


 スン、と生姜の匂いを吸い込みながら、雪花はぽつりと呟いた。

 まさか自分が恋や愛だので悩むなんて予想外すぎて、状況についていけてない。

 そんな雪花に、ネイサンは呆れた視線を向けて雪花の頭を軽く叩いた。


「あのなぁ、そりゃ今まで恋愛してこなかったんだから当たり前だ。恋愛なんてそんなもんだろ。ちょっとしたことで醜くなったり、情けなく思ったり。言うことを聞かない心に振り回されるもんだ」

「…ネイサンとジュリアもそうだったの?」

「は、俺?」

「うん」


 突っ伏せたまま、雪花は視線だけをネイサンに向ける。

 彼には最愛の妻がいた。名はジュリア。明るくて、そばかすが可愛い明るい女性だった。

 過去形なのは、彼女が持病で亡くなったからだ。そのことは、風牙に届いた便りで知った。

 二人は周りから見てもおしどり夫婦で、温かくて、明るくて。世間も羨む理想の夫婦だった。

 ネイサンは斜め上を見上げ、ふむ、と考える仕草を見せた。


「そりゃなぁ、まぁー色々とあったな」

「そうなの?」

「ああ。俺なんて、ジュリアにオーケーをもらうまでにだいぶ粘ったしな。あいつは持病もあったし、今のおまえみたいになかなか首を縦に振らなかったし、頑固だし」

「う、」

「だから、とことん話し合った。何度も何度も。そうしたら、ようやく折れてくれたな。全部がスムーズにうまくいってたわけじゃねえよ」

「…そうなんだ」

「ああ。偉そうに言える立場じゃないが、恋ってのは成されるがままじゃねえぞ。色々あるが、それらを二人で分かち合うもんだ。一方が頑張るだけじゃだめなんだよ」

「分かち合う、」

「そうだ。それに、おまえは逃げ腰ばかりで努力してねえだろ。諦めるのは努力をしてからにしろ。後悔後先立たずっていうだろ?自分から手を離してしまったなら、今度はおまえが、そいつの手を掴みにいくしかない」


 熱々の水餃子を美味しそうに食べながら、ネイサンは「いい事言うよな、俺」と自画自賛していた。

 普段なら調子乗ってんじゃないよ、と言ってやれるが、今回ばかりはネイサンの言う通りだ。

 自分は何一つ、できてやしてない———いや、していないのだ。

 なら、今から自分がしなければいけないことは何だろうか。

 じいっと彼の顔を見上げながら、雪花は何度目かのため息を吐き出しながら考えた。


(ああだこうだ言い訳を並べときながら、やっぱり嫁に貰ってください?)


 いやいや、今更だろ。それに、なんか違うな。

 とにかくだ。とにかく、志輝に会って謝ろう。何を言えばいいのか分からないけど、この胸に渦巻いている気持ちをそのまま伝えてみよう。

 そして、汕子にも謝ろう。遠慮するとか、腑抜けた事を言ってしまった。

 雪花は上体を起こして、気合いを入れなおすべく自分の両頬を叩いた。


「目は覚めたか?」

「うん、まぁ少しは。…ごめん、久々にあったのにグズグズしてて」

「なに、気にしないさ。珍しいものを見させてもらったしな。今度、ジュリアの墓前に報告するわ。あいつ、きっと面白がって笑うだろうな」


 ネイサンは茶を啜り、にこやかな笑みを浮かべて雪花の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 彼の愛娘、ステラをあやすみたいに。

 そういえば、自分の話ばかりをしてしまったが、ネイサンの話を全く聞いていない。


「ネイサン。私も、ジュリアに花を届けに行くよ。世話になった礼を言いたいし、ステラにも会いたい」

「おう。気兼ねせずに会いに来い」

「うん」

「ついでに、シキっていう男も連れてこい。ジュリアもイケメン見るために、化けて出てくるかもしれねえからな」

「えー…」

「ははっ」


 明るく笑うネイサンに悲嘆の影は見えない。雪花もつられて目元を綻ばせると、彼が笑えていてよかった、と改めて思った。

 彼の妻、ジュリアが亡くなったという報せを受けたのは二年程前だろうか。あれだけ仲が良かったのだ。片翼とも言える存在を失くしてしまった彼を、風牙と共に心配していたのだが杞憂だったようだ。


「ネイサン、思ったよりも元気そうだ」

「おう。ジュリアとの約束だしな」

「約束?」

「ああ、辛気臭いのは嫌だそうだ。だから、死んだ自分をいじってでも、明るく笑ってろってな」


 なんともジュリアらしい台詞に雪花は目をまん丸くさせ、そして噴出した。

 だが、確かにそうか。もしかしたら、自分の家族もジュリアと同じ気持ちなのかもしれない。

 今まで、自分の幸せなんてものは考えなかったけれど。考えてはいけないと思っていたけれど、それは思い違いだったのではないだろうか。

 空の向こうで皆が心配しないように、自分自身が笑えてないと意味がない。皆の分まで、幸せを見つけていくべきなのだ。


(…何も見えてなかったんだな、私)


 雪花は静かに苦笑すると、残っていた最後の餃子を頂く事にした。

 泣き終えて頭がすっきりしたら、なんだか急に腹が空いてきた。


「あぁっ!おまえ、腹減ってないって言ってたくせに!」

「今減った」

「なんだと!?」


 やいやいと煩いネイサンに追加の注文をしてやり、雪花はしばらくの間ネイサンと談笑した。店を出るころにはすでに日は暮れていたが、雪花の胸はどこかすっきりしていた。

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