逃げてきた指揮官
丸太を積み重ねて造られたような壁が、どこか異国のような感じを思い起こさせる。俺が生まれ育ったラーマ王国では土壁が多く、ヴィンチ地峡の都市国家群の庶民の家は平たい板を打ち付けたような壁が多い。
「壁に目をつけるとは、なかなか勘がいい」
粥の半分も飲めずに、ただ横になっていると、ヘリスが遠くで背を向けながら言葉を紡いだ。
「俺が壁を見てるってなぜわかる」
「――なに、ここに鏡がありますからね」
鉄を綺麗に磨いた、さも重そうな塊が、ヘリスが面している土間の台所に丁重に飾られている。それは額に収められ、確かに、こちら側のことが映っているのが俺にもみえた。
「鏡、か」
極東の島国で、神の血を引く王族が蛮族を打ち払うのに使ったと、確かおとぎ話として親から聞いたのだったか。光の反射で蛮族は目がやられ撤退したというのは恐らく王族とやらの文明を誇示する作り話だろう。その光で、俺が打ち払うべきは何なのか、正直わかりかねていた。
俺の救いになったはずのミスナ神を崇める信者の組織、ミスナ教団は、俺とバナージを戦場に送り出した。そして、俺が鉱山の周辺で最下層民をやってたころは勝手に恐れ避けてきた、悪徳との呼び声高いヘリスに俺は保護されている。
――一応、なにか妙なことをされた形跡は、ない。
「温かい粥を食べた口直しです」
動かぬ腕を必死で動かし掛けられた布の下で身体を探っていた俺は、すぐ前で聞こえたヘリスの声に恐ろしく
「口直し?」
そのままの言葉で聞き直すと、ヘリスは粥のときの木の椀とは違う、ガラス碗を差し出した。
それはロウソクの火を浴びてキラキラと光り、中の透明な液体のようなものを綺麗に浮き立たせる。
「これは?」
「西方に伝わる冷たい菓子です。カミールとか、カーマーとか言われています。――食べますか」
俺は一も二もなく頷いた。冷たいものであれば、喉を通りそうな気がしたからだ。
「いただこう。――それで、戦争はどうなった」
矢が降り注ぎ、味方が次々死に、帰るべき拠点では逃げた者を射ち殺すべく上官が射程距離の短い矢をつがえている、そんな戦場だった。万が一にも敵であるはずの多神教徒を撃たないようにか、それとも安い弓矢しか買えなかったのか、そのどちらもか。
そんな戦場から、この男はどうやって俺を連れ出した?
それに、この男は言ったはずだ。戦争は儲かるのだと。
「戦争は終わらせましたよ」
「……?」
耳を疑った。ただの商人に過ぎないこの男が、宗教間の戦争を止めるほどの力があるのだろうか。そのとき、俺の脳内を電撃が走った。
「ッ……」
俺は口に運びかけていた碗をすんでのところで止める。こんなものを食べている場合ではない。
「お前……まさか、資金はこのときのために?」
ヘリスは目を逸らして微笑んだ。
「ええ。相変わらず勘がいいですね」
「あなたほどの剛腕の商人が、事業を拡げないのは不思議に思っていた。稼ぎはあるはずなのに、あなたはサウード家やルイス家にいつも遅れていた。大々的に取り扱う品を増やすこともできたはずなのに、あなたはただただ粗悪な金だけを売り続けた――触れてはならぬ性癖を持つ気味悪い存在として」
「そんなことより、リオと会いましょう。私が戦争を終わらせることができたのは、莫大な金を投じて帝政オピアの皇帝の親書を勝ち取ったからです」
「し、親書?」
聞けば、それはあまりにもサウード家には痛い行動だった。
帝政オピアの皇帝がラーマ王国の国王に、ヴィンチ地峡で起きている紛争についての「見解」を示した。
羊皮紙にインクで書かれた文字はスラスラと滑らかだった。オピアの言語を知らない俺に、ヘリスが読み聞かせてくれる。
『ヴィンチ地峡で起きている騒乱に関し、貴国と情報共有をしたい。
第一に、多神教徒軍を率いていると宣伝されているリオ=マーカーは、我が国に亡命しており、騒乱にリオ=マーカーの意思は介在していない。
第二に、ミスナ教徒軍は多神教徒軍の一部と共謀し、多神教徒へ輸出する武器の値の釣り上げによって得た利益を武器商人との三者で分割しようと謀っている。
第三に、ミスナ教徒軍の兵士の大半が、ミスナ教団に反抗的態度をとった無辜の市民である。
これらの情報を貴国と共有し、非人道的な行為をしているサウード家・サンソウ家に経済制裁を執行する事に関し、ご協力を願いたい』
そこには確かに、皇帝のものと思われる玉璽の印が赤々と押されていた。
「これのために、悪徳商法で巻き上げた全財産をはたきましたよ。事業拡大もできない無能な守銭奴として、サウード家の後塵を拝してきた甲斐があった」
ヘリスは笑う。そして彼の後ろに、見る影もなくやつれ果てたリオがいた。
「本物が、ここにあっちゃいけねえよな……フッ」
わざと、〝盗まれ〟〝複製され〟〝多くの市民が目にする〟ことを想定した文書を、偽書ではなく皇帝直々に書かせるとは、なんという……。
「それに、そこに書いてあることははったりです」
リオが、椅子に腰かけながらそう言葉にした。
「その文書の複製がばらまかれたとき、俺はまだ閉じ込められていた。混乱に乗じ、逃げてきました」
そう言うリオの目は、虚ろだった。
「何を信用していいかわからない民衆を扇動するのは、金が必要ですわ」
リオは指揮官などではなかったという。北方の騎馬の、同じ目の色をした民族の男にそそのかされ、軍を立ち上げるまでには関わった。しかし、そこからはリオは指揮から外され、あらゆる権力を剥奪され、戦うべき相手すら男にすり替えられていくのを指を加えてみているしかなかったと悔しそうに言った。
日光を長らく浴びていないのか、ただでさえ色白の彼の肌は青くみえるほどに病的で、その言葉にも力はない。
「すみませんでしたね……頃合いを逃せば私が死ぬ可能性もあったのです」
皇帝の親書をばらまき、後方攪乱を試みたとして、告発する悪のただ中にいるヘリスは危険な状態にあるし、リオとて〝庇護者〟の目を盗んで逃げだせる保証はない。だからといって行動を先延ばしにすれば、戦争が無残に終わってしまう。
「それで……?」
最後の質問を、俺はヘリスに投げかける。あまりに多くのことがありすぎて、疲労でまぶたが酷く重い。
「あんたは、なぜそこまでするんだ?」
この男が戦争を止め、ミスナ教団の悪習を暴こうとしていることはわかる。けれど、その動機がわからない。
それに、いくら双方ともに戦意を喪失した戦場であっても、そのなかから俺を見つけ出し保護するなど並大抵の手間ではない。
そのとき、小屋の戸が大仰に開いた。
「バナージ!」
そして……
「お前は……」
名も知らぬ、奇形の青年だった。
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