断絶
セオの馴染みという宿で俺は横になっている。相も変わらず脚に感覚はない。腰と尻だけは辛うじて感覚があるので、支えられれば座ることはできる。
俺がリオと名付けた長と彼の率いる一族は、やっぱりいなかった。町に着いたからにはこれからは自活すると言い残して、セオが止めるのも最終的には聞かずに雑踏に消えたのだという。俺は彼らの後ろ姿が遠ざかるさまを想像する。それがとてつもなく遠いところへと行ってしまうような感触だった。
彼らが自身のルーツを恥じなくてもいい空間。俺たちはもう俺の生まれた国にはいないのだと知らされる。俺も新しい人生を歩めるというのに、どこかもやもやとした思考だけが残る。
世界を知らない俺にはわからないのだが、ここは確かに俺の母国から見たら西にありはするものの、バナージの生まれた国ではないらしい。
ミスナを信じる者が弾圧されている風には見えなかった。少なくとも、大きな商家の次男坊だというセオが帰依しているあたり富裕層にも一定数の信者はいるのだろう。しかし――。
ヘリスから逃れて宿に戻るまでの間、排外主義者がミスナ神と
教義を悪意ある解釈で冒涜されたことに怒りを覚えない信徒はいなかったが、それに怒ろうものなら「あなた方の宗教は偶像を持たないのでしょう?」を薄ら笑いで追い返され、当局も沈黙せざるをえないとか。教義を守るがゆえの屈辱だった。
ただ一つ希望が持てることがあるとすると、そんな彼らに、この国の国民も少なからず嫌悪感を感じているらしいということだった。
宿の主人が俺に煎じた薬草を飲ませてくれたお陰で、出立以来の体調不良は改善している。
「やっぱりリオさんたちは去ってしまったんだな……」
俺はぽつりと独り言つ。とうにその話題からは離れていたらしく話し込んでいたセオの仲間がプツリと楽しげな会話を終わらせた。
「まあ、多神教だからなあいつらは。一神教には馴染まないんだろうよ」
静かになると大工だと名乗ったリニャという男がそう言った。それがなんだか悲しかった。俺はいつしか、一神教と多神教が共存する理屈を探していた。
「た、例えば、世界に神は一人しかいないっていうのは真理であって、多神教の信じているのは使徒である、とか」
使徒とは預言を広げる人々のことだ。バナージから聞いた詠唱のなかにも、彼らを讃えるものが多くあった。多神教はその使徒たちを神と崇めているのかもしれない。そんな幻想は優しく砕かれる。
「気づいているか、ロド」
リニャが苦虫を噛み潰したような顔で言う。
「確かにそれだと一神教と多神教は共存する。だがな、彼らにとっては沢山いる神々が至高のものなんだよ。世界に神は一人しかいないっていう前提だけで、彼らにとっては許せないだろうな」
「でも……」
リニャはフ、と笑みをこぼして言う。
「若いんだな、あんた。俺だって昔は、世界中のすべての宗教の人間がわかりあえたらいいと本気で思ってたさ。でもあんたも見たろう? 俺たちの神が下品な連中に踏まれているのを。信じがたいことだが、あいつらにも信ずる神はきっといるんだ。ある意味、神が対立を作っているともいえる。俺たちはわかりあえない」
リニャの一言に、宿の一室が色めき立った。神の恩を否定する文言と取られたのだろう。リニャは手をハラハラと振って、冗談だ冗談と笑っていた。
荒んだ俺に間違いなく救いを与えてくれたはずの宗教が原因で、わかりあいたい人たちと根本的な場所でわかりあえないなんて、俺は許せなかった。だけれども、その怒りを表に出す訳にはいかない。それは、
神の存在を少しでも否定したら、同じ神を信じる者同士でも白い目が向けられてしまう。そのことを、リニャは身を挺して教えてくれたのだと知った。このコミュニティの中で生きていくためのルールなら、順守しなくてはいけない。ここはやっと見つけた居場所だから。
それにしても、あの人たちはどうやって生計をたてるのだろうか。そんな俺の疑問に反応したかのように、いつしか再開されていた会話のなかでバナージが言った。
「リオさんたちは手先が器用ですから、きっとあちこちで引っ張りだこですよ!」
朗らかな笑顔に少し救われた気がした。
長い一日だった。宿の主人が夕飯を運んできた。やたらと豪勢な食事ゆえ心配したが、セオは名のある商人の息子であるがゆえに、あちこちで払った金額以上のものをもてなされてしまうらしい。
セオは初め謙遜したが、主人の勧めに負ける形で高価な毛皮のコートをもらい受けていた。
「あまり断ると角が立ちますから。ただ私はこういうものにはあまり興味がないから、許しを得て似合いそうな人にあげることにしているんです」
セオは主人が退出したのちに俺にこう囁いた。
「よければ、ロドさんに差し上げましょうか?」
確かに触り心地のいいコートではある。しかしこんなものを俺が貰っていいのだろうか。オンボロの服に似合いやしない。
「こんな高価なコートに似合う服持ってませんよ」
自虐も込めて断ると、じゃあ似合う服を見つけたら贈呈すると言って聞かない。
「じゃあその時がきたら……」
「決まりですね! ささ、この煮物美味しいですよ。ここの宿の主人の奥さんは腕がよくて」
促されるままに口に含むと、芋に似た食感の食べ物によく味がしゅんでいて、どこか温かい家庭を想起させる。確かに腕のいい料理人だ。箸を進めようと同じ煮物に腕を伸ばしたとき、セオが、俺はもう聞いていないと踏んだのか、それとも聞いてほしかったのか、こんなことを言った。
「俺のファミリーネームが役立つときなんてこれくらいだから……」
なんだか根掘り葉掘り聞くのも違う気がして、俺は煮物だけじゃなく葉物野菜の和え物や魚を香りのよい葉で包んで甘辛く煮たものなどを次々頬張った。
「あ、ロドさん食欲戻りましたか?」
「バナージ、ありがとう。さっき飲んだ薬草が効いたみたいだ」
「そうですか、よかった」
そういうとバナージは両脇にいるセオの仲間とまた話を始めた。楽しそうだな、と思った。弾圧や偏見があるなか、一人で教祖の亡命先を探すなど酔狂なことをすると思っていたが、彼とて人見知りなわけではなかったらしい。
豪勢に見えた食事だが、味付けがくどくないからかあっという間に食べ終えてしまった。すると手際よく皿の類いは回収され、部屋はすっきりとする。そうしてしばらくまた談笑などして過ごすと、一人二人と部屋を出ていっては濡れて帰ってくる。リニャに聞けばこの宿は風呂も開放しており、宿泊客であれば追加料金なしに自由に浴槽に浸かれるという。
介助してやろうかという申し出を断って、宿の仲居さんが敷いてくれた布団に横になった。あれだけ寝たのに、しかも脚が動かないから始終背負われていた癖に、眠気には勝てず早々に寝息を立ててしまった。
焦げ臭い臭いで、俺は目覚めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます