商人(あきんど)の軍属
赤い髪の青年は自らのことをセオと名乗った。そして軍命でここに来たとも。
「失礼ですが、そのお話だとセオさんの身なりと後ろにいる方々の整合性が」
「ハハハハハ」
糊をきかせた礼服を着ている青年の後ろには、各々、いかにも商人といった風情の一般庶民にしかみえない老若男女たち。隊商を経営する昔ながらの大家族、という感覚をもった。そんな家族と、軍服を来た人間が一緒にいるのは、なんだか不思議な感じだった。
「まあ、あれですよ。色々ありましてね。それよりもお召し上がりになりませんか? 簡易食ですが味は改良されていましてね」
彼はそう言うと、俺とリオに、両手に1つずつ持ったパンのようなものを差し出した。葉物野菜を思わせる色のソースに浸されたパンが、青年の後ろで作業を行っていた女性と子どもたちから我々に渡されていくのを俺は唾を飲み込んで見つめていた。
ソースには所々、乾燥させた固形肉の欠片のようなものが交じっている。確かに栄養を効率よくとれる、改良を重ねられた簡易食なのだろう。
それをじっと見つめていながら中々手をださない俺たちに痺れをきらせてか、セオが口を開いた。
「フフ、なにやら警戒されているようですが、私たちが着の身着のまま逃げてきたようなあなた方を毒殺する理由がありませんよ。それに我が国は、この国とは無関係です。あなた方を追っているような組織とは恐らく接触はないと思いますよ」
恐らく、と言ったことで俺はやっとこの青年を信用するに至った。「絶対に味方だ」などと言われていれば逃げていただろう。お互い初見の身で、敵対組織かどうかなんてわかりっこない。――断言してくる相手は、少なくとも相手にとっては初見ではないと思った方がいい。
「では、いただきます」
リオも同じ心境だったようで、セオの差し出したパンを手に取った。俺もバナージも、空腹に耐えきれずかぶりついた。
携帯食だろうから、元々は水分の少ない硬いパンだったろうに、ソースに浸されてほどよく柔らかくなって食べやすい。乾燥肉も噛めば噛むほど味がでてとても美味しかった。
気がつけばもう食べ終えていた。手が緑に汚れてしまったがそのソースすら、行儀が悪いとわかっていてもねぶってしまう。それをセオは、自分は何も食べずに笑って見つめていた。
「どうでした?」
「美味しかったですッ」
一族の女性陣が口々にパンを絶賛していた。俺も深く頷く。
「それはよかった――では、自己紹介でもしましょうか」
セオは改めて、自分のことを軍人だと名乗った。それでいて、商人でもあると付け加えた。質問する暇も与えずに次々と後ろの人々も名乗っていく。
日ごろは大工をしているという初老の男性、海女だという若い女性、主婦をしているというちょっとだけ太った女の人。彼らはみな左手に緑のバンダナを巻き付けていた。
皆、ミスナ神の信徒だった。
喜びと悲しみが共存する気持ちが、俺の挙動をおかしくする。ロドリゲスだと名乗ったけれど、他にはなにも言えなかった。バナージが補足で説明してくれたので助かった形である。
「おお、あなたたちも」
セオはバナージの言葉に喜色を露わにし、バナージの隣にいたリオに目を向けた。喜色が、戸惑いになる。横を向けば、案の定リオは話しにくそうにしていた。
「お食事をいただいておいて申し上げにくいのですが」
喉の奥に貼りついた言葉を、剥していく。それはきっと胸がかき乱される痛みを伴うに違いない。だって、彼はそんな顔をしている。
「私は、ミスナという神を信じていません」
軍服のセオがうなずいた。続けるのを許されたと感じ少しは楽になったのか、リオはゆっくりと話を続けた。
「私たちは、かつてこの地を荒らしたクリ族の末裔です。そして、私たちは伝統的に多神教です」
「――はい」
セオの顔が苦痛で歪んだ。俺も、リオたちとはわかりあえないと確信してしまう。それほどに、一神教と多神教の断絶には大きな意味があった。一神教を信じる者にとって唯一無二の神を多数持つことは教義への暴虐であって、多神教徒にとって一神教徒は自分たちの信ずる神をハナから否定する存在の許されない存在である。歴史が分かりあえたはずの我々の運命を引き裂いていくのだ。
リオが話し終えて、セオはしばらく俺たちから顔をそむける形でうつむいていた。
そして、一言。
「――近くの町までは、お送りしましょう」
「カタル町はやめてください。私たちはそこから逃げてきました」
ここから一番近い町は、俺たちが追われているあのオアシスである。わずかながら砂嵐の兆候がみられ、早く避難すべきだというのはわかっているが、元いたところに帰ってしまうのは本末転倒である。
「カタル町……?」
セオがその町の名前に反応した。顔をあげ、リオの顔をしげしげと見つめている。
「隠れた人権侵害が行われていると噂されていましたが、まさか――いえ、私たちはその調査もかねて、隣の国からやってきたのです」
なにか腑に落ちた気がした。潜入調査のためなら、色々な職業の人がいるのも納得できる。悟られずに潜入するのはそれがいいのだろう。軍人が一人いるのも、護衛のためといえば納得されるのかもしれない。
「近くの町と言わず、我が国までお連れしますよ」
セオの顔が、少し輝いた気がした。俺はそれをみて、複雑な気持ちになった。
俺たちは顔や腕を布で入念に巻かれ、砂の脅威から身を守る術を徹底的に教えられた。そして、セオは駱駝を歩かせる。
「少し先に、岩が風に負けずに残っている場所があるんです。そこで何とか風を凌ぎましょう」
口を覆ったセオから、くぐもった声が聞こえた。
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