10.出来上がった、が
まさかまさかと思いつつも、ゆっくり振り返れば……見覚えのあるスミレ色の短い髪と美し過ぎるも男前のご尊顔がすぐ近くに!
(お見舞い?以来だけど……相変わらずまぶしいくらいのイケメンっ)
本当に、ここ数日一度も見に来られなかった、まだ名前も伺えていない命の恩人様。
だけど、不意打ちでも会えるなんて思わなかった。
だから、心の準備と言うものがなくて、きっと表にも出てるだろうけど冷や汗だーだーです。
「おや、旦那様。お早いお帰りで」
そんな私を知らずか、シェトラスさんはにこりともしていない旦那様に普通に対応してた。
たしかに、ある意味部外者は私だけだから別におかしくはないかと、とりあえずじっとしておく。
旦那様はシェトラスさんに聞かれると、少し眉を動かしてから息を吐いた。
「……レクターの診察が長引いたがな」
「走り込み帰りの軽食でしょうか?」
「ああ、くれる…………もう、動いていいのかっ?」
「ふぇ⁉︎」
いきなり、勢いをつけてこっちに振り返ってきたので変な声が出てしまった。
てっきりもう気づいてたんだと思ったけれど、どうやら違ったみたいです。
私の事がわかると、お見舞いの時のようにじーっと見つめてくるから少しやめてほしい。
ドキドキがヒートアップして、心不全でも起きかねないから!
「あ、あ、は、はいっ。お、おおお、お、お陰様で!」
ヒートアップのせいか、異常に裏返った声になったけど、なんとか言えた。少しだけぺこぺことお辞儀もした。
それについて、旦那様もだけど、シェトラスさんも笑わなかった。
ただ、お顔を見てから気づいた、ラフな服装でいた旦那様だけはほんの少し目元を緩めてくださったけれど。
「…………そう、か」
無表情の人程、笑う時のギャップがあるって聞いたようなことがあったけど、あれ本当かも。
なんだか、今の私の6つくらい上って聞いてたけど、少しでも笑うと年相応に見える気がする。
失礼だけど、最初お会いした時には30手前だと勘違いしてたからね。
「…………ところで」
「あ、はい」
「この甲高い子供のような歌声は、なんだ?」
「あ!」
ちょっと忘れかけていたが、この雰囲気に不釣り合いなBGMのように、ロティのパン完成までの歌はずっと続いてたのだ。
旦那様は気になり出すと、やっぱり男性には不快なのか眉間にシワが寄って行き、そのまま厨房に向かってしまった!
シェトラスさんも何故か止められない!
「あ、あの!」
「小さな子供など招いた覚えはないが……」
結局私が追いかけても、歩幅が大きい彼に追いつけるはずもなく、旦那様はロティがいる調理台の方へ。
そして、楽しそうに歌ったままのロティの前に立つと、急に固まったように動かなくなった。
『おいちい、おいちい〜ぱ〜んぅ。
おいちいおいちい〜ぱ〜〜んぅう。
出来上がり〜まで、く〜りゅくりゅ〜
出来上がり〜まで、くりゅ〜くりゅくりゅ〜っ
おいち〜おいち〜ぱ〜んが、出来まふ〜よ〜』
ああ、旦那様が固まってしまうのも無理ないかも。
私は前世の記憶と知識を得てるから理解してるだけ。
シェトラスさんやエイマーさんは、不思議な錬金術だからかと思われてるだけ。
だけど、旦那様についてはまだどっちも説明していない!
「…………詳しく、説明しろ」
一度説明の前に謝罪しようとしたら、こちらに振り返った時のお顔が不機嫌度MAXで怖かったです。
「はは、驚かれましたな」
一人だけ落ち着いてたのは、やっぱりシェトラスさんだけ。
でも、彼のお陰で私が旦那様の不機嫌さに当てられてた間、簡単に説明はしてくださいました。
「錬金術?の一種にしても、おかしな事態だが……」
説明後、やっと不機嫌さは引っ込めても無表情の旦那様はまだ納得がいかないようだった。
「それと、この歌はどうにかならないのか?」
「すみません……応答がないんです」
私もその頃には落ち着けてたので、旦那様には普通に受け答えが出来ていた。
けれど、ロティは本当に歌やオーブン機能以外、AIモードになっているのか一切返事をしてくれない。
「……そうか。しかし、錬金術はともかくいい匂いだな?」
歌については聞き流ししてくださるようだったが、たしかに小麦粉とバターの焼けるいい匂いはしてきた。
うっとりしてると、いきなりシェトラスさんが軽く手を叩き出す。
「そうです、旦那様。チャロナさんとご一緒にパンに挟む具材も用意したのです。せっかくですから、軽食はそちらになさいませんか?」
なんですと、シェトラスさん⁉︎
「……ぱ、んだと?」
「きっと旦那様も気に入られると思います。なにせ、私達料理人の常識を覆す程の腕前でしたから」
「あ、あああ、あの、シェトラスさん⁉︎」
まだ味見も何もしていないのになんでなんで⁉︎
「……いい、のか?」
「え?」
どうして、息を飲むほど驚くのだろう。
そのせいか、旦那様の綺麗なお顔は見れたけど、まるで豆鉄砲を食らったかのような驚いた顔だった。
結局、そんな彼の顔に頷いてしまって、旦那様までご同席が決定。
ただし、旦那様は訓練?帰りらしいので、ご自分のお席でひとまずコーヒーブレイクされることになりました。
「うう……シェトラスさん、プレッシャーかけないでくださいよぉ〜」
「しかし、事実ですし」
しれっと言わないでください、おじさま。
「それに、数多の美味を口にしてこられた旦那様ですが。きっとあなたのお料理はご期待されますよ?」
「なんの根拠が!」
『ぷぷぷっぷぷ〜出来まちた〜!』
問い詰めようとしてたら、肝心のロティからタイマー完了のような声が上がった。
慌ててシェトラスさんとロティのオーブンの前に立てば、私が触る前にフタがひとりでに開いた。
「うわぁ……」
ほんのり湯気が上がった風から、香ばしい小麦とバターの匂い。
ドリュールのおかげで、綺麗に茶色の焦げ目がついた表面。
生地はふっくらと焼き上がって、触るとしぼみそうな程。
「すばらしいっ。パンの焼き上がりで感動したのはじめてですね」
シェトラスさんも喜ぶくらいの出来栄えみたい。
早速盛り付けようとミトンをつけて取り出そうとしたが、ふいに天の声が頭に響いてきた。
【チュートリアル完了。
調理名『バターロール』。
チュートリアル完了後の特典による、『レシピ集データノート』にデータ化しておきます。
レシピ集データノートとは、パン及び、いにしえの口伝とされてきた料理のレシピとして、一度作るとデータ化されるものです。
ナビゲーターにより、レシピ集データノートの説明は受けてください】
『でっふでふぅ〜!』
天の声が聞こえなくなると、今度はロティがオーブンから元の姿に戻って、ぱんぱんと私の前で手を叩いた。
そして、ぽんっと軽い音が聞こえると大きな薄緑のディスプレイがバターロールの上に表示。
【『ふわふわバターロール』
<材料>
強力粉
常温のバター
砂糖
牛乳
浄化水
塩
卵
イースト(乾燥)
《別途必要》
打ち粉
ドリュール用の卵と水
<作り方>
①ナビゲーターが
→指定のスイッチを入れてミキシング(速度管理はナビゲーターの管轄)
②一次発酵の前に、生地の具合を確認
③
→温度・湿度管理については①と同じく
④フィンガーテストを忘れない。指に粉をつけ、第二関節まで生地に指し、空いた穴が、ちょっとだけ小さくなれば大丈夫
⑤分割は生地の量に合わせて、軽く成形したら濡れ布巾をかぶせて15分ほどベンチタイム
⑥《成形》
丸い生地を3回に分けて折り、棒状に。片方の端を細く
細い方を手前に置き、真ん中から奥に向かって麺棒で伸ばし、真ん中から手前の方向にも伸ばす
幅が広いほうから転がすように丸め、形を整える
巻き終わりのところは、指で摘むように生地を繋げておく
⑦オーブン式の発酵器に
→ニーダーポット同様に、管理はナビゲーターに
⑧発酵完了後に、一度天板を取り出して刷毛でドリュールを適量生地の表面に塗る
⑨
⑩パンが焼きあがれば、完成
『これでバターロールのれちぴ登録か〜ん〜りょ〜でふぅう!』
ロティはなんてことのないように言うけど、これって凄過ぎやしないかな⁉︎
「ろ、ロティ。このレシピって、いつでも?」
『取り出し簡単でふよ〜? ロティに言ってくだしゃれば、いちゅでもでふ!』
「す、凄い!」
『あちょ、ご主人様がご希望でちたら、紙にも出せまふぅ』
「えぇ⁉︎」
もう何がなんだか、と頭を抱えそうになったら後ろから誰かに軽く肩を叩かれた。
「チャロナさん? 私にはお二人の言ってらしてることが目に見えていないのですが……何か凄いことでも?」
「あ、そうでした!」
シェトラスさんには何にも見えてない事が分かったので、すぐに説明しようとしたけれど……この後、戻ってきたエイマーさんが皆さんをお連れしてくださったので、一度やめることに。
それよりも、旦那様にまでいきなり食べていただくパンの出来栄えがどうなのか、緊張でドキドキMAXになっていった。
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