降臨

 俺の感覚では、確りと目を瞑ってしまっていた筈だ。

 勿論、俺にちゃんとした肉体があればの話なんだけどな。

 だから、周囲が真っ暗なのも頷ける。

 そりゃそうだ、目を瞑ってるんだから。

 でも、周囲の空気がさっきまでと違う事に気付いた。

 さっきまでいた空間と違って、どことなく肌に触れる空気が冷たい事に気付いたんだ。


 それに続いて、何かお香の様な匂いが鼻を突いた。

 と言っても、強力な刺激臭では無い。

 どちらかと言えば優しい、お寺とか神社で嗅ぐ匂いに近かった。


 更に、周囲の音も耳に飛び込んで来た。

 俺よりも前方 (だと思われる方向)から、多くの人間がくぐもった声で小さく何事か唱えている。

 それはまるでお経の様にも聞こえたけど、初めて聞く韻を踏んだそれは何を言っているのか理解は出来なかった。

 だけどその声が突如止まったかと思うと、


「お……おお―――っ!」


 突然誰かが叫び声をあげ、その歓声は波紋の様に広がり、巨大な音となって俺に襲い掛かって来たんだ。


「う……うおっ!」


 その大勢が上げる声に、俺は思わずビビッてそう声を上げてしまった。

 そしてユックリと目を開けてみた。


 俺の眼下では……それは大勢の人が、俺を見上げて声を上げていた。

 どの人の目もキラキラと輝いて、俺に対して何かしらの期待を込めている様に思えた。

 でも、何人かの目は怯えた様な、何か人知を超える者を見るかのような眼をしている。

 言うなれば、恐れおののいていると言った様子だ。


 そして俺は、ゆっくりと今自分がいる場所を確認してみた。

 俺はどうやら、祭壇の様な石で出来た建造物の、最も高い位置に立ってる様だった。

 地面から石階段がここまで続いていて、まるで神官が神託を乞う場所か、生贄を捧げる場所の様にも思えた。


 周囲は薄暗く、所々に付けられた蝋燭と、祭壇前に焚かれた篝火かがりびだけが光源だった。

 これだけの人物がひしめいているにも拘らず妙に空気が冷たかったのは、この場所が全て石で作られていたからだろう。


 恐らくは神殿か、もしくは洞窟内に造られたのか。


 どちらにせよ、外界の気温が影響を受け難い造りになっているようだった。

 そして、今の俺はその祭壇の一番高い場所に、まるで降臨した神の様に佇んでいた。

 でも、そこに立っていたのは俺一人では無かった。

 隣にはオーフェが立っていたんだ。


 ―――ああ……。そう言えば、一緒にこの世界へとやって来るって言ってたもん……!?


 俺がそう考えていた時、俺の肘に何か柔らかい物が触れた。

 その何とも信じられない柔らかさと、どこか触れてはならないと言う感覚……。

 俺は即座にその原因へと目を遣った。


 ―――そこには、オーフェの胸部に膨らむ双丘が見て取れたんだ……。


「オ……フェ……おま……胸……!?」


 一瞬の思考停止の後、俺の口からは、言葉にならない音が洩れ出した。

 どれだけ平静を装おうとしても、どうにも俺の思考は落ち着きを取り戻してくれなかった。


「……何ですか、勇翔? 少し落ち着きなさい」


 オーフェは一切動じることなく、俺を嗜めるようにそう言った。

 さっきと余り違いのないオーフェの対応に、俺も何とか平静を取り戻す事が出来た。


「……オーフェ、お前……女だったのか?」


 あの世界で俺が見たオーフェは、間違いなく男性の姿をしていた……と思う。

 確かに、男性にしては中性的で美しい顔立ちだったけど、神様は皆美しいって固定観念があったのかな? 

 特に疑問に感じる事は無かったんだ。

 それに、直に見ていた彼に、こんな立派な胸があったなんて気づかなかった。

 いくら俺が常軌を逸した状況に置かれてたからって、これほどの胸に気付かない訳はない。


「本来、私達神に性別などありませんよ。大抵は呼び寄せた者が望む姿をしていますけれど、性別などは存在していません。私の今の姿は、この世界の人々が信じる神の姿を現したものなのでしょう。突き詰めれば、この世界を作り出した最初の人物の願望だったのかもしれませんね」


 淡々と語るオーフェの口調は、確かにあの世界のままだった。

 でも、心なしか少し女性っぽい声になっていた。

 それにさっきとは違って、妙にボディラインが強調された衣装に変わっている。

 これも、この世界を作った最初の者の好みだったんだろうか? 

 確かに神様と言えども、男としては女性神の方が良いもんなー……。

 ありがとう、最初の人。


「それよりも、ほら。この石段を下りて、あの一番偉そうな人に話し掛けなさい。この人達は皆、あなたの言葉を待っているのですよ?」


 余りにもジロジロと、まるで舐め回す様に見ていたのが気に障ったのか、オーフェは少しムッとした口調でそう促した。

 それで俺は、どれ程に対して失礼な事をしていたのか思い至って、慌てて眼下へと目を遣った。


 そこには、こちらの一挙手一投足に注視している多くの人の目があった。

 オーフェの言葉では、それらは俺を待っていると言う事だ。

 考えてみれば、俺の人生で今まで、こんな視線を向けられて注目される事は無かったな……。

 俺はユックリと階段を下りだした。

 その後をオーフェが続いて来る。

 それだけで小さなどよめきが起こった。


 人混みがドンドンと近付いて来るに従って、俺の足は徐々に震え出していた。

 何だかとても場違いな所に居るようで、どうにも居心地が悪かった。

 それと同時に、色んな思いが頭の中に浮かんで来た。


 ―――ひょっとしたら、俺を見て失望してるんじゃないか……?


 ―――もし話をして、その場で拒絶されたらどうしよう……?


 ―――俺は、この人達を納得させられるような事を話せるのか……?


 まだ何もしていないのに、俺の中には今までと変わらずそんな想いが浮かんでは消えていった。

 それだけで俺は、もうその場から逃げ出したい気持ちに駆られていった。


 思えば俺の人生は今まで、何か苦手な事に直面すると逃げてばかりだった。

 だから今この場に置いても、俺の選択肢で大きく比重を占めているのは、この場から逃げ出すと言う事だった。

 出来るならすぐにでもこの場を去り、どこか人のいない小部屋へと籠りたい。

 まずは一人になって落ち着いて、ゆっくりと考える時間が欲しい。

 でも高台には他に逃げる為の道はなく、下った先は一直線に群衆へと向かっている。

 その先には多くの人垣が行く手を遮っていて、俺が望む様に逃げ出す事は不可能としか思えなかった。


「……逃げ出したら、その場でカエルですよ?」


 俺の背後から、まるで俺の考えを見透かしたかのように、オーフェが小声でそう声を掛けて来た。

 決定的な警告を与えられて、俺の逃げ道は完全に塞がってしまった。


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