12.何があるかわからない

普通の授業。これ、中野くんの教えてくれたやり方に変えてからかなり楽になった。なんてことはない、よく言われていることではあるけど。先取りしてある程度以上自力で理解しておき、わからないところだけつまみ食い。これは素晴らしい。ちょっとした空き時間に松永さんの質問に答えるのも、実を言えばこちらの勉強にもなるし助かっている。

久松?久松は自分でなんとかする気満々ですよ。ま、教えてくれとか来たら逆に怖いが。

さて。問題のC組へ。

まず、なぜこのクラスがきついかといえば、自分の中で突出した部位を見出すために徹底的に鍛え上げるため。故に、これまでのトレーニングプラスアルファが無論かかってくるわけで。

それがわかっていても今俺たち新入りが硬直しているのはなぜかといえば・・・山。

ほら、来るときに見かけた後方の山ですよ。湿度をまとっているせいか薄靄までかかっています。

まさか、実際山に登ることになるなんてね。

「残留組のうち1人はこいつらについててやれ。山小屋になった時の怖さ、お前らわかるよな?」

息を飲む音が聞こえる。普段どちらかと言えば柔らかい松永さんの表情さえ強張っている。

「あー、と言っても進んでやるやつはいないか。女子にわざわざ再体験というのも気がひけるし。」

「俺行くよー。あそこ楽しいから。」

「お前だけはだめだ、橋下。見失って終わりだ。あー、それじゃあ・・・蒲原行っとくか。」

筋肉が身震いした。ほんと嫌な予感しかしない。

「いや、俺が行く。同居人にすら逃げられた奴が一緒ではただの地獄だ。」

かくいうやっさん、顔真っ青。

教官山野部の了承を得、俺たちは道のない山へ入った。

「ここには、道に迷うとなぜか辿り着く山小屋がある。翌朝になれば助けが来るが、夜の間はそこで過ごすしかない。それが嫌なら、意地でも教官についていけ。根性でな。俺はしんがりを守るが、お前ら絶対にばらばらに動くなよ、わかったな。」

やっさん・・・って、そんな山小屋絶対やだ!深琴君云々以前の問題だ。人として帰って来られるかどうかの瀬戸際。そして帰ってあの天使の笑みを見られるか否かがかかっている・・・前髪邪魔。

こんな真っ昼間から暗い山道で視界を悪くするなんてただの阿保。誰も見ちゃいない!長くてよかった、一応耳にかかる。今度ピン買ってこよう。

まだなんとか前の人は見えるがすごい速さだ。これまでもバカみたいに走り込みはやらされたが、また別種の負荷がかかる。これは持久力お化けの勝利か・・・に、思われたが。倒木を登って超えたり、川を渡るのに石を踏まなければならなかったり。機敏さに勝る俺がここで有利になる。

アスレチックもかくやの山道も山頂から折り返した時・・・夕方近くで視界が更に悪くなっているのに気づく。

それでもなんとかついていっていたが、木に直撃したり、ぬかるみに足を取られ、挙句人だと思っていた影が木だったときの絶望。つまり、逸れた。

それでもとにかく降りようとするのだが、そもそも人が足を踏み入れていい雰囲気でもない完全なジャングルと化していたり、なぜかいつの間にか登っていたりでとうとう山小屋に行き着いてしまった。

・・・一言で言うと、入りたくない。沈んで行く赤い太陽に照らされ、本格的に恐怖の館といった雰囲気の陋屋。しかしだからといってこんな山奥で身一つの野宿は危険すぎる・・・実は密林的なところに蛇がいるのを見てしまったのだ。茶色い蛇。

仕方なく木製の扉に手をかけると、すぐにでも壊れるんじゃないかって音ともに盛大に埃を撒き散らして開いた。踏み込んで見てみれば、まだ誰もいない室内。背後で大きな音ともに扉が閉まる。当然のように内側から開かない扉に悪戦苦闘しているうち、ひんやりとした冷たい風が傍を通る。冷や汗をかきながらあがいていると、奥で物音・・・

人は、確かにいなかったはず。だけど。 気になりだすと止まらず振り向いた時、総毛立った。

刃物が、たくさん床に突き刺さっている。斧みたいなものまであって、それに触ってみようと思った時・・・。

ああこれはだめだ。俺は一人でこの空間にいることそのものに慄き、叫びながら助けを求める。そこに囁くような声が聞こえてくる。

鮒羽だ。この声音、足音、触れようと近づく体温。

ここまで追ってきたのだ。どこにもいないことを悟って。背後にあるのは普段のカッターなんかよりまずい刃物。

俺は夢中で部屋の隅に蹲り、いつもの体制を整える。降ってくる罵声、ああ佐倉まで来たのかよ。

首に冷たいものが当たる。白刃の気配に叫んだ。もう何がなんだかわからない。またお楽しみとやらをしたいのか?

「嫌だ!やめろ、やめろ、やめろ!!」

叫びながらも何もできない。いつもと同じように最大限に被害の少ないように縮こまる。頭が、背が、暑い。心臓がうるさい。血が迸る。やめろと叫びながら手足をばたつかせてもからんでくる手、じっとりとした肌の感触、あの時となにも変わらない・・・


本当に、変わっていないのだろうか。もし、深琴君に危害を加えようとしたら、俺はサンドバックにしかなれないのか?

これまでの一ヶ月は無駄だったのだろうか?

ただちょっと筋肉がついて、勉強が進んだ、それだけ?


そんなことはない。絶対に。できることがまだ限られていたとしても、それは少なくとも、隅っこでうずくまることじゃない。あの連中の誰が、今の俺たちと同じ運動量を息も切らさずにできるというのか。

俺は意を決して振り向いた。どうせなら、正面から受けてやろうと思って。

「あれ・・・・・あれれ・・・?」

刃物だと思っていたのは、ただの陋屋を突き破った木だったし、ささやきに聞こえていたのは隙間風の鳴らす音。なんという虚しさ。しかし確かに体温が・・・

壁にはまだ陽の光の後。まさかこれか?

じゃあ足音は?

すぐにわかったさ。久松か先輩。現在進行形で幻と格闘している二人。ある意味確かにとんでもなく恐ろしい建物。

「バカが!目、覚めたなら大人しくしていろ!」

やっさん、なぜそんな隅っこに・・・

「うわあああ!!いっぺん死んどけやぁ!!」

先輩ご乱心。 必死で平手打ちを避けながら部屋の奥へ下がると、今度は久松の鉄拳。俺は本格的に生命の危機に直面。体が重いとはいえ奴のフットワークもかなり改善されている。このままでは夜を徹しての鬼ごっこ・・・

しかも迫ってくるのは巨人だけではない。平手とはいえ痛いことはよくよくわかっている、しかもあんな振りかぶってたら最近の筋肉量では脳震盪起こすかもしれない。

・・・橋下さん、なにをもって楽しいとか言ったんだ? 恐ろしくて聞きたくもないが。

座ってじっとしているやっさんにも、先輩の平手が落ち始める。そういえば先輩は肌の感覚が特に鋭かったはず。

そんなことはどうでもいい!やっさんに散々苦情を言われながらこの狂人と化した2人から逃げ惑う。

「おい、あそこに扉がある。そこに避難するぞ。」

入り口付近に確かにあった。先輩の虫に対する激しい嫌悪を呪いつつ滑り込む。

ほっとするともう何も考えられずに眠ってしまいそうになる俺。やっさんが食事を手渡してくれるのを夢中で食べていたら、いつの間にか眠っていた。

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