5-3 遠くより来たるもの

 僕らはね、うん。この話をするなら『僕』がしっくりくる。

 僕らはどこか遠い所からやってきた。青い青い星は今まで見た星の中で一、二を争う美しさだった。だから、僕の先駆者たちはこの星に時の種を蒔いたんだ。

 思った通りに色んな生き物が生まれて、増えて。進化した先は偶然にも僕らによく似たものになった。

 そうなるともっと手をかけたくなると思わない? 彼らは好き放題にふるまう時を紡ぐことを思いついたんだ。


 僕らの半分ほどは旅立った。いつまでもひとつの所に留まってはいられない。時を蒔くのが僕らの使命なのだから。

 実験的に進められた時紡ぎは進化を安定させることにも気付いた。だから、時を紡ぐのは『人』だけに留めて、他の生き物には不安定さを残しておくことにしたんだ。

 最初は手で紡いでいたものを、こうして糸車で紡げるようにして、さらには道具がなくとも自動的に紡げるようにしていく。


 移ろいゆく僕らは長い時を生きるから、なかなか残すということが出来ない。それを補ってきたのが記憶の融合だよ。

 特別なことを成し遂げた者の死に際に魂を寄せると、その記憶を引き継げる。僕はここに来てから生まれたのだけれど、時を紡ぐ才能はあったようだ。見込まれて、一番才能のあったものの記憶を融合したんだ。

 彼は確かに天才と呼べた。と同時に凄く孤独でもあった。他の者と話し合えても解りあえることはほとんどなかったから。


 変わり者というのは何処にでもいて、進化していく『人』に恋心を抱き、自らの遺伝子を弄ってまで添い遂げる者もでてきた。その時の僕にはその理由がさっぱり解らなかったのだけど……見た目が近いというのは遺伝子を弄るうえでもリスクが低めだったようで、後に続くものもぽつぽつと現れる。

 やがて、安定しきったこの星から皆は旅立った。さらなる効率化や変化が訪れるのか、見届け役として若い僕をこの国に残して。もちろん、自分が望んだことでもあったさ。だけど、単調な作業の繰り返しと孤独感は僕の中でやり場もなく大きくなっていったんだ。


 いつか彼らは戻ってくる。僕の記憶を引き継ぎに。

 それまでに管理をしつつ何かさらなる結果も出したい。それが、求められてるのだから。


 行き詰まりかけてた僕は気分転換に人の世を見下ろした。僕らにはめまぐるしく進む人の世はなかなか楽しい見世物だったから。その中で、偶然目に留まったのがこの国の王に産まれた子供だった。

 うん。君だよ。

 王妃の時は終わってしまったけど、その分もというように君は愛され慈しまれて育っていった。ころころと変わる表情に屈託のない笑顔。国のみんなのように僕も君の幸せを願っていた。

 滞りの無い時を届けよう。不意の事故で時が切れてしまわないように。僕は頑張った。新しい方法も思い付いた。君のお陰で、道が開けたような気がした。


 婚約発表のあと、熱を出したことがあったね。

 うっかり君の時が切れてしまわないように細心の注意を払って、それでも心配になって僕はとうとう闇にまぎれて君に近付いた。

 たった一杯に満たない水で見知らぬ僕にもありがとうと笑う君は、映像の向こうで見るより遥かに魅力的だった。

 熱の原因のひとつを時を速めて取り除き、その時指に絡んだ君の髪の毛を持ち帰って遺伝子の解析をしてみた。期待した訳じゃない。ほんの、出来心、ただの興味からだった。


 結果を見て、僕は初めて胸が高鳴るという感情を味わったよ。

 シェスティ、君には僕たちの血が混じっている。それも、かなり濃く表れてる。

 歴代の王しか僕と会えないという決まりは、実は王族しか会えない、というのが正解で事故防止も兼ねていたんだよ。ただの『人』がうっかりこちらに転送されてしまったら、時の流れや他の細々した違いに体がついてこられない。僕らの血を引く者が国を建ててから、その伝統は守られていたけど、血は薄まる一方だと思ってた。気付かぬうちにどこかで血を引く者同士が惹かれあったのかもしれない。


 ここを離れられない僕でも、君を幸せに出来るかもしれない。

 その思いは力にもなったけど、少しずつ僕を蝕んだ。

 無理だろうと思いつつ王様に君が欲しいとお願いしたけど、答えはやっぱりノーだった。一度は諦めかけて、でももう一度君自身に会いたくて、言葉を、交わしたくて。

 言葉を交わせば、もう後は転がるようだった。婚約者には別の誰かでもきっと構わない。僕には君しかいない。君は僕のものであるべきだ。


 そして、あの日を迎えてしまった。




 私になればいい。そう結論づけた『僕』は私を蹴り出すように身体に入ってきた。『僕』には記憶の融合もお手の物だったろう。

 蹴りだされた私はそれでも君を守りたくて必死だった。多分『僕』は私がそんなことをするなんてこれっぽっちも思ってなかったんじゃないかな。おそらく『僕』が私の身体で命を失いかけた時、もう一度戻ろうとしたんじゃないかと思う。でも、戻れなかった。ひとつの身体に魂はひとつ。よほど弱ってでもいない限り、そうそう追い出せるものじゃない。


 思い出して。王族には『僕ら』の血が受け継がれている。継承権は低かったけど、王の従弟の家系の私にも流れているんだ。君ほど血は濃くないようで記憶の融合もかなりの時間を要したけれども、確かにその時から始まってはいたんだよ。

 意識を沈め、やるべきこと――時の管理を反射のようにこなしていく『僕』の身体に私は徐々に介入を始めた。意識を表に出し過ぎるとやり方がわからなくなるから、『僕』の深層意識に刷り込むように、少しずつ。


 きっかけは滅びた国に、私の従兄弟が戻ってきたことだった。国の全ての民が時を止められたのだと思っていた私は心底驚いた。彼は口が立つのを買われて他の国々を飛び回っていたはずだが、彼が無事だということは国を離れていた者はあれに巻き込まれなかったのだ。絶望に暮れる彼とは裏腹に私は希望を感じていた。現に、商売や偶然でこの国に辿り着く者の他に時々この国出身の者が戻ってきている。国の惨状に誰も彼も長居はしなかったが、私はその希望にすがることにしたのだ。


 交渉術を武器に商売を始めた従兄弟を追い、その子孫も見失わないようにした。一方で君から目を離さないようにもしていた。面白いことに、君は知らぬまま『時紡ぎ』の力を少しずつ使えるようになっていったよ。

 ふふ。そうだね。自分ではわからないんだろうね。


 君が避けようのない殺意のとき、それは有無を言わさず発せられるけど、もしも君がその者の命運を握られるのなら、君はほんの少しの間その発動を止めている。君の手で時を終わらせた者はその時を君に組み込むこともない。

 君に好意で寄ってくる者は、君の躊躇いがなかなか時を終わらせるまでに至らなかったみたいだけど……

 あとは鼓動を止めたり、動かしたり。最初は出来なかったはずだ。自分の身体ならある程度時をコントロールできるようになってるだろう? それは『僕』が与えた力じゃないよ。


 ……ともかく、そんな変化も見ながら私は君をもっと傍で見守る、という名目で『僕』に分身を作らせた。猫になるという呪いを乗せて。でもそのままじゃすぐに君にばれてしまうから偽装した方がいい、という意識を持たせて、目を付けていた私の従兄弟殿の子孫の行動範囲に放したんだ。

 彼には産まれてすぐに呪いを引きつける細工を施してあったから、出会えさえすれば取り込めるはずだった。猫ゆえの気紛れか出会うまでに数年、そこから君に出会う前にさらにウシガエルになる呪いを拾って、彼でも駄目なのかと諦めかけもしたよ。


 結果的にこうして顔を合わせることが出来ているのだから、私の努力は実ったということだろうね。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



 とん、と軽く剣で床をついて話の終わりを示されても、どちらも口を開かなかった。

 シェスティンと男は視線で探り合ったりもしたけれど、言うべき言葉が上手く纏まってくれない。

 先に何とか口を開いたのは男の方だった。


「……俺が、あんたの従兄弟の子孫で……シェスはその国の、王女、様?」

「うん。間違いない」

「継承権は低いけど、王族の血を、引いてる?」

「そう。だから、その気になれば君は王を名乗れる。シェスティが認めれば、だけど。もっと手っ取り早いのは彼女の伴侶になることだ」

「先に見える死を愛でながら? 別に、俺は王になりたい訳じゃない」


 うっすらと時紡ぎは笑った。


「では、何になりたい?」

「待て、それは今する話なのか? スヴァットの呪いを解くという口実で、私をここに来させたかったのが本当の理由なんだろう?」


 シェスティンは時紡ぎと男の間に割って入る。


「必要な話だよ」

「何に。もうスヴァットは関係ない。さんざん巻き込んで……死ぬめにあわせて……すでに滅んだ国の情けない事情に、これ以上付き合わせる道理はないじゃないか」

「『リオ』」


 シェスティンの後ろから、不満気な声がした。


「俺はもう猫じゃないって言ってんだろ」

「お前も! もっと怒っていいんじゃないか? そんなことを気にするよりもっと――」


 シェスティンが男の方に意識を向けた、その瞬間に、時紡ぎは彼女の腰に吊るされた剣を抜き取った。はっとした彼女が押さえようと手を出すも、すでに遅い。


「……いい剣を持ってるじゃないか。でも、シェスティ、そろそろやめよう? 君は剣は好きだけど、人を斬るのは嫌いじゃないか」

「何もするなと? 人から離れてたって動物に襲われたりもする。それは必要な物だ。返せ」


 ちょっと肩を竦めて、時紡ぎは意味ありげに男に視線を流した。


「ここに留まる選択はないんだね」

「ない。……例え、あなたがアルフでも……アルフかもしれないからこそ、常に疑わなければならないのは辛い」

「うん。初めに言った通り、もう私は何者でもない。けれど、その記憶もある限り自分の仕事は全うしたい。シェスティ、君が戻るというのならせめてはなむけを」

「はなむけ?」


 差し出された剣の柄に手を伸ばしながら、シェスティンは彼の言葉の真意を掴み損ねて身を固くする。その手が柄に届く前に剣は放たれ、シェスティンの手の外側をゆっくりと放物線を描いていった。

 彼女の手が剣を追いかけようとした時には、すでに後ろから差し出された誰かの手がそれを受け取っている。


「――スヴァット……?」


 いつの間にか、男が彼女の後ろに立っていて当たり前のように剣を握っている。ローブは男には少し小さかったようで、下の方のボタンは留まっているものの、上半身部分は折り返されその腰に袖できっちりと結わえられていた。


「リオだっつってんだろ? あんた、意外と人の話聞かないよな?」

「大、丈夫か?」

「ああ? まだ足は震えてるよ。けど、そいつが試さなきゃ気が済まないって顔してるから」


 試す? と、時紡ぎの方へ勢いよく振り向いたシェスティンの三つ編みを、男はひょいと掴んで引っ張った。


「……った。なに……」

「ちょっと、貸してくれ。不利は出来るだけなくしたい」


 その毛先から結わえていた紐を抜き取ると、一旦口に咥えて前と横の髪を適当にかきあげた。剣を膝で器用に押さえたまま、慣れた手つきで後ろで括り、ハーフアップのような形に仕上げる。ぽかんと見つめるシェスティンに青い瞳がウィンクして見せた。


「応援よろしく」

「なん……の」


 キン、と金属のぶつかり合う音がシェスティンのすぐ傍でする。


「なんだよ。構えとか、拝礼とか、ないのかよ」

「実戦でそんなものがあったことが?」

「……ねぇな」


 続く一撃が自分に向けられていると悟り、シェスティンは慌ててその場を離れる。といっても部屋は広くない。壁にぴたりと貼りつく形で様子を見ると男が――リオが彼女のいた場所に滑り込んでいった。


「なぁ、死に損なって体力もイマイチ戻ってねーんだけど、酷くね? おまけに十年ぶりくらいなんだけど、武器なんて持ったの」

「この体は剣など持ったこともない。私が表に顔を出すのも初めてだ。ハンデとしては充分だと思うが?」

「充分、かなぁ。そのまま行かせてくれないってことは、あんた、強いんだろ?」

「元々私は王女様の筆頭騎士だ。筆頭、といっても彼女についていたのは私だけだったけどな。後釜を任せられるか試すのは当然だろう?」

「後釜?」


 壁際からのシェスティンの声に、リオは舌打ちで答える。お決まりのように綺麗なコースで振るわれる剣を捌いてはいたものの、彼はそれで終わるだなんて思っちゃいないようだった。


「君の勝手が通用するのか、大事なとこだからね。基本は忘れてないみたいでよかった」


 にっこり笑って徐々に重くなっていく時紡ぎの剣撃は、次第にスピードにも緩急が付き読み辛くなっていく。防いだはずの一振るいが構えた剣に落ちてこなくて、リオは咄嗟に体を捻る。バランスを崩し、よろけた身体の結わえたローブを刃先が掠って冷やりとしたが、彼が糸車の乗った台に手をついてなんとか体勢を戻した時には、時紡ぎが切っ先を男に向けたままにやりと笑っていた。


「なるほど。幸運体質に、野生の勘、か。猫との相性が本当に良かったんだね。いっそ、猫になる?」

「いやいやいや。俺の青春どっぷり猫だったんだけど? 勘弁してよ」


 ゆっくりと剣を構え直すリオを、時紡ぎは黙って待っているようだった。


「待っててくれるなんて親切だな」

「言っただろ? この体は剣など持ったことがない。この剣はこの体には少し重いし、疲れるんだ。私にもいい休憩だよ。それに……」


 男の後ろに流された視線に、リオもつられてちらりと振り向く。からからと光る糸を紡いでいる糸車……


「それに手を出されると困るからね。……おっと、やめてくれよ? それはシェスティのだからね?」


 リオが剣を持ちなおそうとした矢先に釘を刺される。


「下手に壊すと彼女の時が止まる」


 男は時紡ぎをまじまじと見つめてから、シェスティンに目を向けた。

 何秒か、実はそれほどの時間も経ってなかったのか、視線をかち合わせたまま瞬きも忘れた二人の瞳は、シェスティンの方が先に閉じられた。

 ずっと壁に貼りついていた彼女が動き出す。手にはすっかりなじんだ狩猟用のナイフが握られていた。

 足払いを掛けようとした時紡ぎの足を軽く飛び越え、シェスティンが糸車に躍りかかる。


「どけ!」


 男に一喝したものの、肝心の男は彼女を抱き留めた。


「ダメだ」

「放せ! これで、終われる!」

「ダメだ。まだ」

「君も、まだ危ないんだけどな」


 そう言うと、時紡ぎはシェスティンの襟首を掴んで引き倒した。首の横にストンと落とされた剣で彼女のほどけかけた三つ編みが切れる――幻影が見えた。切れたと思ったものは次の瞬間には元通り繋がっていて、彼女の『時』には傷ひとつつかない。


「シェスティ、物事には順番がある。おとなしくしていてくれないか。彼だって不用意に君に触れればその糸車にかもしれない」


 ナイフを握った方の腕は時紡ぎのブーツで踏みつけられ、三つ編みを貫いた剣先がするりと移動してシェスティンの首に突き付けられる。

 時紡ぎが横目でリオを牽制しようとした時には、彼はすでに動き出していた。

 ふふ、とこの場に合わぬ笑いを漏らして、時紡ぎは彼に向き直る。反動を利用したようにその足が剣を握るリオの腕を蹴り、軌道を逸らした。


 リオは焦りもせず左手も添えて剣を支え直し、逆袈裟に持っていこうとする。

 時紡ぎはその剣も弾き返し、ぶれた剣を追いかけ、刀身を絡めるように合わせるとぐるりと回してその手から叩き落した。

 そのまま懐に入り込み、肘を男の腹に食い込ませ、下がった頭に剣の柄を思いきり振り下ろす。鈍い音が部屋中に響き渡った。


「スヴァット!」




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