3-7 パーティに真珠はない
街の中も各戸の家の窓辺も、リースや白樺の皮で作られた星形のオーナメント、ユールボックと呼ばれる藁でできたヤギなどで飾られ、あちこちでキャンドルが揺らめいている。
観光客も良く訪れる中心部の広場には巨大なツリーが鎮座し、昼となく夜となくランプが灯され、待ち合わせの人々や買物客でごった返していた。
冬至も近づくこの時期、太陽はとても寝坊で、早寝だ。一日の半分以上が薄暗いので、ランプやキャンドルは欠かせない。またそれが、クリスマスまでのこの期間をいっそう幻想的にしているのかもしれない。
シェスティンは鏡の端に映りこむ
パートナーのドレスは相手が送る習慣があるから、とトーレが選んだものを当日店で着付けてもらっているのだ。リリェフォッシュ邸で侍女に頼んでもいいぞと言ってくれていたが、落ち着かないので一式同じ店で揃えて、そこで仕上げてもらうようお願いした。
時間がかかるから、後で迎えに来てくれるよう言ったのに、トーレはスヴァットと共に店の中でうろうろしながら待っている。
「お待たせしました」
店員の声に弾かれたように振り向いた男は、淡い藤色のドレスに身を包んだシェスティンに一瞬見惚れて、微笑んだかと思うと次の瞬間には口角を下げた。
「なんだ? 不服か?」
シェスティンの怪訝そうな顔に、男はそっと目を逸らす。
「あまり目立たないようにと思ったのに」
店員がくすくすと笑った。
肩の方まで開いた襟ぐりと強調された胸元。一見派手さはないが銀糸金糸で施された刺繍は手間がかかっており、気品を感じさせた。真珠とダイヤで纏められたアクセサリー類はリリェフォッシュ家の物を借り受けたものだ。そのプラチナの輝きも、シェスティンの凛とした美しさを引き立てている。
スヴァットが男の腕の中から飛び出し、シェスティンの周りをぐるりと一周して正面に戻ると、よし、というように鳴いた。
「目立たないだろう?」
本人は他の煌びやかなドレスに視線を向けて首を傾げているが、男も黒猫も店員も誰も同意はしなかった。
長手袋と白い毛皮のマントを羽織り、迎えに来た馬車に乗り込む。今日は雲が多いものの雪は降っていない。が、昨日までにすでに世界は雪で覆われていて、道の端々に置かれたアイスキャンドルが、暗くなりゆく中でぼんやりと行く道を照らし出していた。
動き出した馬車の中で、男はじっと黒猫を見つめて言う。
「彼、猫君を探してたぞ。あと、多分、君のことも……」
「どっちも、黙っててくれよ?」
「本当に? いいのか?」
シェスティンは深く頷く。
数日前、彼女はスヴァットから、ずっと意識の戻らなかったあの傭兵が目を覚ましたと報告を受けていた。ほっとすると同時に、スヴァットにももう病院に近付くなと言い渡してある。これ以上関わる気はなかった。
「ワタシは死んだことになってる。バレたくない」
「……いいなら、いいんだが」
男は複雑そうな顔をする。元々接点は少ないのだろうから、多少嘘をつくのが下手でもどうにかなるだろうと彼女は踏んでいた。
馬車は街の南西側の高台にあるメシュヴィッツ邸に一路向かっている。海に面した崖の上に建つ豪邸は、その庭もクリスマスの灯りと飾りに彩られていて、少し離れていても確かな存在感を放っていた。
「あぁ、そうだ。今のうちに」
曇る窓ガラスを手で拭いて外を眺めていたシェスティンは、ふと思いついたようにリボンで飾られた小さな箱をどこからか取り出すと、男に差し出した。
「クリスマスプレゼント、と言いたいところだが勘違いされても困るから、あなたに預かっていて欲しい」
男は恐る恐るという風にその箱を受け取ると、シェスティンに目を向けた。
「……中身は?」
「鍵だ」
「鍵? どこの」
「うちの」
男は思わず箱を取り落として、慌てて拾い上げる。
シェスティンの家は一緒にドレスを選びに行ったときに約束通り教えてもらっていた。隠れ家のような、小さな家。
「ぼろ屋の鍵だからって、粗末に扱わないでくれ」
「い、いや。粗末に、するつもりは」
「言っとくがワタシがいる間に使うような真似はしないでくれよ? 預かってくれと言っている」
「わ、分かった」
男の血の上った頭にふと、疑問が過ぎった。
「これを預けるということは、近々出て行くつもりなのか?」
「そうなるかもしれない。合鍵だからこちらのことは心配するな。ワタシが出て行った後は好きに使っていいから」
とたんに男の顔が寂しさを訴える。
「まだ決めたわけじゃない。冬の旅は厳しい。何事もなければ、春まで居るかもしれない」
シェスティンの言いように男は小さく溜息を吐いた。
「……でも、何かあるかもしれないから今預けようと思ったんだろう?」
「察しが良くなったな」
シェスティンが笑うと、傍らで丸くなっているスヴァットが片目を開けて男を窺った。
「店を出したい街や国があるなら教えておいてくれ。そちらに行ったときに探しておくから」
「君と会った街の近くの、城から触れの出ていた城下街」
初めから決めていたかのように、男の返事に淀みは無かった。
「竜の鱗を扱っていてもそれ程おかしくないし、今のところ治安もいい。北以外の各地へ向かう足もある。大きな城下街だというのに、あのどこかのんびりした雰囲気も気に入ってる。繋がりは深くないが……医者も何人か知っているから、何とかなると思う」
「了解した。すぐにとはいかないと思うから、その間せいぜい勉強してくれよ」
「解ってる。シェス」
差し出された男の手を、素早くスヴァットが猫パンチで牽制した。男は笑って黒猫のその手を掴むと軽く上下に振る。
「君も優秀な番猫だな。ありがとう。しばらくはこのまま兄の元で大人しくこき使われる予定だから、連絡は」
「連絡はお兄さんの家にするが、込み入った話はワタシの家に。時々確かめてくれ」
「……わかった」
メシュヴィッツ邸の門を潜ると、シェスティンはすっと背筋を伸ばし、穏やかな微笑みを湛えた。
「とりあえず、今夜はパーティを楽しみましょう?」
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
玄関ホールの中には招待客がひしめいていた。それぞれに対応する執事や使用人達がきびきびと働いている。
シェスティンとトーレはまず兄のエイナルを探してホールをぐるりと見渡した。大きな天使の描かれた絵画の傍に夫婦でいるのを見つけて、足早に近寄る。軽く挨拶を交わしてから一緒に受付をすませた。招待状はリリェフォッシュ家に宛てた物だったので、トーレの急な参加にもなんら問題はないようだった。
会場に入るとシェスティンはそっとスヴァットを下ろして目配せをした。立食式の会場は黒猫一匹目立たぬように動くのに何の問題もない。ましてやクリスマスパーティ。ツリーやオーナメント、ぬいぐるみなどがそこここに当たり前に置いてあるので、身を潜めるのに困ることもなさそうだ。
初めのうち、スヴァットはきちんとシェスティンについて歩いていた。彼女達がトーレの二番目の兄夫婦に挨拶している時も、傍にいた。兄嫁がシェスティンを見て息を呑んだのも、スヴァットを見下ろして少し寂しそうに微笑んだのも、ずっと黙って見ていた。
けれど、他の知り合いだか何だかわからないような人間との挨拶を幾つか重ねるうちに、いつの間にか彼女の傍から黒い猫は消えていた。もしかしたらシェスティンは気付いていたかもしれないが、他の誰も、そんなことを気にしてはいなかった。
酒場で会った、趣味の悪い成金男に声を掛けられ、トーレとシェスティンは少しだけ顔を見合わせた。ごてごてとした金ぴかのごつい指輪やネックレスを見ながら、相変わらずセンスが悪いな、とシェスティンは黙って笑顔を張り付けていた。おざなりな挨拶を交わし、疲れたからと彼女はトーレを置いて一旦廊下に出る。
同じように人いきれを避けて出てきた者達が何人か見えて、冷やりとした空気が頬に心地良かった。
「酔ったのかい?」
軽薄な声が後ろからかかる。先程まで聞いていた声だ。追ってきたのだろうか。
ゆっくりとシェスティンは振り向いた。
「ええ。少し……」
放っておいてくれと顔に出したつもりだったが、男には伝わらなかったようだ。
「あいつも、気が利かないな。だから人に盗られるんだ。そう、思わねぇ?」
「いいえ。私の事で彼を煩わせる気はありませんので」
「ふぅん」
じろじろと不躾な視線にシェスティンはほんのりと眉を寄せた。
「その美貌があれば、もっとイイオトコ掴まえられるぜ?」
「私、あまりそういうことに興味はありませんの。殿方のように手に職をつけたいと思っていて……」
へっ、と男は間抜けな声を上げた。
「お仕事の紹介なら、聞きたいですわ」
「夜の仕事なら、引く手数多だろうよ」
パーン、と廊下に平手打ちの音が響き渡る。廊下のあちこちから寄せられた視線は、すぐに逸らされていった。
「謝りませんわ」
男はちょっと頬をさすりながら、にやりと笑った。
「パートに紹介してやろうか」
「誰ですの?」
「パトリック・メシュヴィッツ。ここの、お坊ちゃんだよ。商売の事なら、奴に聞くのが一番じゃねぇかな。俺も儲けさせてもらってるぜ?」
思ってもない名前が出て、シェスティンは小さく息を呑んだ。
近くの使われていない個室に通され、ちょっと待ってろと男は出て行った。
暖炉に火も入っていないので肌寒い。ふるりと震えた身体を彼女は自分で抱き締めた。いきなり一番怪しんでいる家の者と渡りが付けられるなんて、ちょっと出来過ぎだろうか。なかなか来ない相手に、からかわれて待ちぼうけを食わされているだけかもしれないと思い始める。ドアに手をかけたところで、そのドアが開かれた。
「お……っと、失礼」
顔を突き合わせたのは二十代半ばくらいの、一見人当たり良さそうな青年だった。明るい茶の長めの髪を後ろでひとつに纏めて、服装も、品も質も良いものを身につけている。しかし、驚きながらも部屋の中を一瞥して他に人がいないのを見て取るなど、その瞳は猛禽類のそれに似ていた。
「仕事を探してる方とは……まさか、貴女ですか?」
成金男は何の説明もしなかったのだろうか。シェスティンはただこくりと頷いた。
「あー……」
困惑しているその声に、シェスティンは先に冷静さを取り戻す。
「先程の方にからかわれたようですわ。お忘れ下さい。失礼致します」
脇を通り抜けようと動き出した彼女を、男の腕が伸びて塞いだ。
「お待ち下さい。貴女は憶えてる。リリェフォッシュ家の三男と一緒に居られた方だ。こんな部屋で待たされては、からかわれたと思われても仕方が無い。ちゃんとお話を伺いますよ? とりあえずは場所を移しましょう。もっと、暖かい部屋へ」
笑みを浮かべて塞いでいた腕を優雅に開き、男はシェスティンを促した。
「でも……もう、結構な時間席を外しているので……」
「なぁに、それ程お時間は取らせませんよ。私も長くはこうしていられない。長くなりそうならまた後日にいたしましょう」
少し戯けて肩を竦めてみせる男に、じゃあとシェスティンは大人しく従った。
案内されたのは応接室なのだろう。暖炉は赤々と燃えていて、その上には立派な角を生やしたヘラジカの頭部の剥製が掛けられ、シンプルながら質の良さそうなソファやテーブルが
勧められたソファに座ると男も向かい側に腰掛け、少し開いた両膝に肘を置いて手を組んだ。
「改めまして、パトリック・メシュヴィッツです」
「シェスティン・エナンデルです」
「エナンデルさん。で、リリェフォッシュ家と
本当に時間がないのか、男はばさりと切り込んできた。シェスティンはさも困ったというように片手を頬に当て、視線を彷徨わせる。
「……お恥ずかしい話なのですが……とある理由から、私は誰かに嫁ぐことが出来ないのです。両親を亡くして、しばらくはやっていけるだけの遺産もありますが、それだけではとても……けれど私は欲張りで、彼の力にもなりたい。やはり女が殿方のように稼ぐのは無理なのでしょうか」
「職を選ばなければ……とは、失礼な言い方になりますね。貴女ほどの方を稼げるというだけで卑しい職に紹介など、出来ない。そうですね……」
思案している風ではあったが、男の中ではすでに何を勧めるのか決まっていて、後はどう料理しようかと楽しんでいるようにも見える。シェスティンは不安顔を装って男の猿芝居に付き合っていた。
「挨拶の時、見ていて思ったが、貴女の所作はとても綺麗だ」
「ありがとうございます」
恥じらうように少し下を向いたシェスティンを、男はさらに身を低くして覗き込むようにした。
「とりあえず、うちで、家庭教師をしないか?」
「え?」
「ちょっと、訳有りでね。給金ははずむから、その代わり」
男は立てた人差し指を唇の前に持って行った。
「もちろん、トーレさんにも、ね」
「……こちらに通うのであれば、隠し通せるものでは……」
「仕事内容を漏らさないでいてくれればいいさ。やる気があるなら、後日もう一度場を設けよう」
彼女を試す様な瞳の輝きに、シェスティンは戸惑いを装いながら頷いた。
心の中で、ほくそ笑みながら。
「パーティが終わるまでに次の約束の日時を使用人に託すから」
「わかりました。よろしくお願いします」
先に立ち上がり、ドアを開けて待っていてくれる男に軽く会釈して、シェスティンは会場に戻る。トーレがその姿を見つけて心配そうに寄ってきた。
「遅かったな。何かあったのか?」
「大丈夫。もうしばらく、この街に留まる事になりそうだわ」
作り笑顔のシェスティンに、トーレは軽く首を傾げ、彼女の後から会場に戻ってきた主催者の息子の姿を確認すると眉根を寄せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます