2-4 薬師は鱗を求む・2

 とりあえず十回分の薬を約束して、男は母親と別れた。受け渡しはまた明日、宿まで来てくれることになっている。

 それから男は鱗を布に包んで、この街の二人の医者のうちひとりの元に向かった。男の実家や隣国のお偉いさんとも繋がりのある、薬の補充先のひとつだ。

 シェスティンの渡した鱗が本物かどうか以前に、男にはそれを粉にする術がなかった。防具にも使われるような硬さのものを粉にするには、それ相応の器具が必要で、そういう意味でも男はその医師を訪ねない訳にはいかなかったのだ。


「お久しぶりです」


 老医師は男を愛想笑いで迎え入れた。


「君か。元気かね。どうだい? 景気は。そろそろ実家に帰って地に足を付ける気はないのかね? ご兄弟も心配しておられたよ」


 心配など、するような身内はいない。解っていて、男も愛想笑いを返した。


「実は……ひょんなことから珍しいものを手に入れまして。私は実物を見たことがないものですから、先生に確認していただきたいと――」


 大仰に頷いて、老医師は奥の小部屋へと男を案内する。小さな町の常連的な患者は彼の何人かの弟子に任せて問題ないようだ。

 小柄な老医師は、その身には少し大きな机の向こう側へと回り、使い込まれた革張りの椅子に身を沈めて、鼻眼鏡の奥からぎょろりとした目で男を促す。

 男が机の上で布の包みを開いていくと、老医師の目の色が変わった。その体を机の上に精一杯乗り出し、眼鏡をかけ直す。


「『竜の鱗』か! ど、どうしたんだこれは!」


 あまりの剣幕に男は思わず一歩引いて、言葉を飲み込んだ。

 老医師は、鱗を引き寄せると机の抽斗からナイフを取り出し、端に当てる。ガリ、と音はしたものの、欠けたのはナイフの方だった。老医師はふるりと身震いする。


「ほ……本物、ですか?」

「恐らく。ここ数年見ることもなかったのに」


 つと持ち上げて光に反射する色を確かめながら、老医師は緩む口元を押さえきれないようだった。


「だが……竜が退治された話も聞いていない。どこから出てきた物なんだ? どうやって手に入れたって?」

「正確には、まだ手に入れたわけでは……たまたま馬車に乗り合わせた旅人が持っていた物で……」

「旅人?」


 老医師はすっかり白くなった眉を顰めて見せる。


「先生にもお分けしますから、少し……その、代金を都合してもらえないかと……」

「ああ、そういう話か。全額出してもいいぞ。幾ら出せって?」

「全部で五十。先生にはさ、三十都合していただければ。出来れば私の分は粉にしていただきたく……」

「わかった。粉にする手間賃を引いて、君の分は三分の一程になるが、いいな?」

「はい」


 少し待っとれ、と鱗を持って一旦席を外した老医師は、すぐに戻ってきて椅子に身体を沈めると、ちょぼちょぼとした顎髭をさすりながら何かを考えている様子だった。


「その、旅人とやらはもう鱗を持ってないのかね? こんな貴重な物をよく譲る気になったものだ。金にでも困っているのだろうか」

「え? ……さ、さあ」


 彼女が金に困っている様子はない。むしろ、その逆だ。城に持ち込んだような話もしていたし、まだ何枚かは持っているのかもしれない。だが、確かめたわけではないし、男に譲ってくれるというのも好意からのようだった。出所は秘匿してくれとも言われたから、彼は口を濁すしかなかった。


「君は本当に商売には向かんのだな。そういう時は相手が何をどのくらい持っていて、何を望んでいるのかを考えねば、今の生活は抜け出せんぞ」


 はぁ、と気の抜けた返事も、老医師は大して聞いていない。男を無視するかのようにまた部屋を出ると、今度は白い粉の入った小さな小瓶を手に戻ってきた。

 別の透明な液体の入った瓶を棚から出し、長いスポイトで少量を試験管に移す。その中に先程の粉をへら状の小さなスプーンで掬って落とし入れ、上部を指でふさいで軽く振って撹拌した。やがてその液体の中に虹色の帯がゆらゆらと揺らぎだす。

 老医師は試験管を置いて、上目遣いに男を見上げた。


「君は、早急にその人物を引き留めて、是非鱗を譲ってもらうよう働きかけるべきだな。金は私が出そう。言い値でいい。現在の鱗不足は医療業界にとって深刻なのだよ。軍事への関心も薄れつつある今、もっと治せる病気がないのか、研究するべきだとは思わんかね? 折しも隣国では百数十年ぶりの竜退治に沸いておる。それがなされれば鱗の流通も増えるだろうが、先んじて手を付けられることの利は大きい」

「竜が……まだ、いるんですか?」

「北の方で目撃談があったらしい。その確認に行く兵士に配るの発注が国から出て、原料確保に四苦八苦してると知り合いがこぼしておった」


 一度黙ると、今度は微笑みを湛えて老医師は男を見つめる。


「そうだ。もし君がもう少し鱗を手に入れられたなら、研究の為に私が金を出そう。大きな街で場所も提供する。君はもう行商なんてしなくていいし、研究が上手くいけば実家の方も君を認めてくれるのではないか? 君がその人物ともっと親しくなって、継続的に鱗の提供を受けられればもっといいのだがな。きっと、その人物には特別なルートがあるのだろうから」

「私に、投資を?」


 男は目を丸くした。


「君は優秀だ。ただ、生活や実家に対する後ろめたさに追われて、うまく実力を発揮できていないだけなんだ。いい機会だと、思わないかね?」


 ぽんと肩に置かれた手に心臓が音を立てたような気がした。

 実家を見返せる? 地に足を付けられる? 何より、高価な薬学書を手に入れて、じっくり勉強できる環境が手に入るかもしれない。男にはとても魅力的な提案だった。


「交渉してみます」


 だから、声が弾んでしまったのも仕方のないことだったかもしれない。


「期待しているよ。あぁ、もし、断られるなんてことがあったら――言い値を出すと言ってるんだからそんなことはないだろうが、君の持てるスキルを全て使ってでも良い返事をもらってくれよ? 後々、国の為、いや、世界の為になるかもしれないんだ。少しくらい手荒だって、神様は許してくれるはずだからね」

「は…………え?」


 眼鏡の奥で確かに弓なりになっているのに、老医師の瞳は笑って見えなかった。

 鱗の代金と粉にした男の取り分を彼に渡すと、老医師はごきげんよう、と男を追いたてた。

 男は今更ながら老医師の言葉を噛みしめる。スキルとは、手荒とは、つまり。

 じわりと不安が湧いてきた。宿へ帰る足取りが重くなる。

 老医師の言うことは間違ってはいないはずだ。必ず今苦しんでいる者達へ明るい材料を届けられるようになる。彼女もお金が手に入るのだ。嫌とは言うまい。大丈夫だ。大丈夫……


 己に言い聞かせ、不安を誤魔化しながら、男は宿に戻って彼女を待った。



 ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇



「竜退治だって?」


 話を聞き終わったシェスティンは、男の思っていたところとは違う所に食い付いた。


「北といったか。どこで。どこで竜を見かけた?」


 男は戸惑う。出会ってからこっち彼女は何事にも冷静だったのに、竜の話が出たとたん明らかにそわそわし始めたのだ。


「わ、わからん。そこまで話はしなかった」


 ちっ、とあからさまに男を蔑んだ目になって、シェスティンは大きく舌打ちをした。


「なんだ? ドラゴンハンターとかなのか? その鱗の量といい……君は何者なんだ」

「ハンター? あぁ、違う。どちらかというと逆だ。まったく。流通しなくなってそのありがたみが解ったんじゃないのか」

「逆? 逆って……どういうことだ?」

「それとも、その情報も操作されたものか? こっそり生け捕りにして生かしたまま鱗を剥いでいく、なんて、権力者が考えそうなことだ。返り討ちに合う確率も高いが……」


 シェスティンはもう男の話を聞いていなかった。男はそっと溜息を吐く。


「隣国は特別な薬を作らせてる。そうなんだな」

「……彼の話ではな」

「それにも『竜の鱗』は使われているんだろう?」


 シェスティンの瞳の奥に揺れるものが怒りにも見えて、男は少し首を傾げた。


「竜の鱗を手に入れる為に、竜の鱗を使って人体を強化させる。馬鹿みたいな話じゃないか。その量があれば、どれほどの病人が楽になったか」

「だが、竜を倒して鱗を手に入れなければ、この先もう誰も楽になる道はない」

「倒してしまえば有限になると、気付かない訳ではあるまい? いつかはなくなる物なのに、どうしてそこから目を逸らすんだ。足りなければ違う道を模索する。そうじゃないのか。そう信じたワタシが間違ってるのか」

「……君は……」


 シェスティンはまだ暗い窓の外へと目を向けた。朝一の馬車が出るまではまだもう少し時間があるだろう。今すぐ出て行きたいところをぐっと我慢する。馬車の方が速いということくらい彼女はよく解っていた。


「……二枚。それであなたの望む未来が手に入るというなら、持って行くがいい。だが、断言する。その二枚は病人の手には渡らない。隣国の、帰ってくるかもわからない兵の口に入ることになる」

「そんな……ことは……」


 動揺する男をシェスティンは憐れにさえ思った。人がいいだけなのだ。毒を盛ることを選択しないくらいには。


「ワタシは朝一で西側の街へ向かう。代金を払う気があるのなら『人魚の街』でワタシを探せ。そこにはしばらく滞在する予定だ」


 落ちていた皮袋から鱗を二枚取り出すと、シェスティンは男に差し出した。


「俺は……」


 男は手を出そうとしない。


「どう使うも、好きにすればいい。知り合いに渡してその行く先を見守るのも、他に売り渡して金を手にするのも。迷うのなら自分が何をしたいのか、よく考えてみるんだな」


 男の膝の上に鱗を押し付けるように置いて、シェスティンは荷物を纏め始めた。男はしばらく項垂れていたが、やがて今朝のように布に鱗を包み、老医師から預かった金と残りの金貨二十枚をシェスティンに差し出した。


「四十でいいと言ったじゃないか」


 きっちり枚数を数えて十枚を男に返す。


「ある程度は手元にないと困るだろう?」

「もう死ぬのかと思うと、あまり気にならん」


 ふっとシェスティンは眉尻を下げて笑った。


「今夜は死神は休みらしい。あなたを連れて行く気はないようだよ? あなたはその性質たちを誇ってもいいかもしれない」

「盗もうとしたのにか」

「期待されたことが何だったのか考えれば、分かるんじゃないか? 未遂だしな。手の痺れもとってもらった」

「……目の前に治せる患者がいれば、治してやりたい。俺は医師ではないが」


 シェスティンは深く頷く。


「羨ましい。ワタシには止めを刺すことくらいしかできない」

「……虫も殺さぬ顔で微笑みながら、なんでそういうことを言うんだ」

「それがワタシにかけられた呪いだから、だろうなぁ」


 呪い……男が呟くと、シェスティンは黒猫に視線を落としてその背を撫でた。


「こっそり息を潜めて、残っているのさ。呪いも竜も。半端な気持ちで近付いちゃいけない」

「それを治そうとは……解こうとは思わないのか?」

「解き方がわからない。そもそも、呪いではないと判定されてるしな。解けるものじゃないんだろう」

「呪いなのに、呪いじゃない?」

「厄介だろう? あなたも、折角無事でいるのだから、もうワタシに関わるな」


 笑いながらシェスティンは男を追い払うように片手を振った。

 男はシェスティンの言わんとすることを飲み込むと、ゆっくりとそれに従い、衝立を回り込むところでぽつりと言葉を零した。


「なんで俺に良くしてくれる」

「さあ。きっと、あなたみたいな人間が嫌いじゃないんだろう」


 少しの間無言で振り返り、男は衝立の向こうへと消えていった。

 シェスティンはしんと冷え込む朝の気配に、スヴァットを膝に抱え、肩から毛布を掛けて、ゆっくりと色を変える切り取られた空を見ながら、時間を潰したのだった。




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