舞台設定・歴史年表 2

 二一八八年。

 第二次世界大戦の敗戦によって生じた敵国条項という足枷を、積極的な国連平和維持活動によって解き、地道に信頼を積み重ねてきた日本が旗振り役となって、紛争地の居住地域への砲爆撃禁止条約が採択、発効された。通称、無辜むこ条約である。これにより、非戦闘員居住地域への砲撃、爆撃、ミサイル爆撃、ロケット砲撃、自走砲撃、戦車砲撃、迫撃砲撃、携帯式ロケット砲撃、建造物を貫通するほどの高出力レーザー兵器による攻撃が、全面的に禁止された。

 同年に行われた国連改革により、国連加盟国が連名で提出した議案を拒否するには、常任理事国五カ国のうち半数以上の反対が必要となるという決まりが定められていた。空爆ができなくなることで、身勝手な軍事介入を防いで平和と人命を保護できると考えた常任理事国の国民は、この条約を熱烈に支持し、政府に対して条約を拒否しないように圧力をかけた。ロシアと中国は拒否したが、アメリカとイギリスとフランスは相手陣営の影響力を削ぐことができると目論み、世論に従って賛成を表明したのだった。

 無辜むこ条約は紛争への軍事介入自体を禁ずるものではなかったため、当初は、体制が不安定な国家は難色を示した。しかし、常任理事国が許容できる範疇で少しでも犠牲者を減らしたいという日本の理念を、トルコを中心とした友好国が説明して回ったことで理解が深まり、最終的には全ての国が賛同した。日本が代表となって条約を採択することに対して声を荒らげて反対する国家もあったが、この条約に名を連ねなければ、自国が紛争地となった際に容赦ない進撃を加えられることになるという事実を知ると、すぐに掌を返した。

 二一八八年は、常任理事国の拒否権ひとつで全てが立ち行かなくなる現状を打破することに成功した歴史的な年となった。これを機に、加盟国の会合がより活発に開かれるようになり、以降、非常任理事国の発言力が強まることとなる。

 平和を夢見る者たちの期待に反して、発効後も、紛争が頻発する状況は変わらなかった。人口過多による食糧や水の不足、経済状況の悪化などの影響により、争いの元は絶えなかった。そんな中、日本は先陣を切って紛争地の住民の避難支援任務に就いた。無辜むこ条約で禁じられていない、出力を抑えた無貫通レーザーによる上空からのピンポイント射撃によって敵兵を牽制しながら、一般市民の避難を支援した。そして、日本国防軍は七人の兵を失いながらも一般市民の護衛と誘導に成功し、今後の指針となる結果を残す。以降、各国も同じようにして、空爆に依存しない平和維持活動に就いた。その裏では特殊部隊による敵勢力への制圧作戦も行われていたが、当時は公にされることはなかった。

 紛争への軍事介入が地上作戦と小規模なレーザー兵器のみに限られたことで、国際情勢に大きな変化が生じた。爆撃支援がない状態では、どうしても自軍の戦死者が増えてしまうのだ。戦死者の増加によって国内情勢が悪化するのを危惧したロシアと中国は、軍事介入に対して消極的になり、それに伴って、北大西洋条約機構加盟国の軍事介入も減っていった。無辜むこ条約に込められていた狙い通りの効果が発揮され、世界は平穏を取り戻し始めた。

 だが、それも長くは続かなかった。国外への影響力を失いつつあることを問題視したロシアと中国は、地上作戦によって生じる損害を厭わず、活発な軍事介入を再開。北大西洋条約機構加盟国は対応せざるを得ず、水面下での紛争地支援合戦は過熱し、軍事衝突が生じない位置関係で、それぞれが治安維持活動と称した軍事行動を開始するようになる。そして各国は、かつてのように特殊部隊を派遣して、現地の兵士や思想グループなどを駒として使い、闇に紛れて作戦を実行するなどした。空爆が常態化していた頃に比べて、一般市民への被害は大幅に減少したが、市街地での戦闘が目に見えて増加していった。


 二一八九年。

 軍事衝突を避けるために前線から離れて活動していた両陣営だったが、ロシアは方針を転換し、自国の兵士を前線近くにまで展開させて直接支援するようになる。それは、物量の差を補うための苦肉の策だった。国際社会はロシアの直接的軍事介入を強く批判したが、ロシアは前世代から続く頑なな姿勢を解かず、直接的軍事介入をやめようとはしなかった。

 これを発端に、アメリカ軍はこれまで使用されていたフレーム型支援スーツを廃止し、特殊部隊のみに供給されていた人工筋肉式外骨格型スーツを量産化して、軍全体で制式化。ロシア軍の展開能力を削ぐため、同じように兵士を前線に配置し、現地の兵を直接支援するようになった。分が悪いと判断したロシアは、軍事衝突を避けるために兵を引き、両陣営は再び後方で睨み合う形となった。

 アメリカは紛争地の一般市民を守るためだとして、支持陣営の現地戦闘員に人工筋肉式外骨格型スーツを供給。ロシアも同じように、外骨格型スーツを支持陣営に供給した。こうして、強化スーツを着た現地の兵士が戦闘するようになった。新たな代理戦争の始まりだった。

 紛争が終結した地では、必ずと言っていいほどテロ組織が台頭した。それらの組織は、ロシア製の外骨格型スーツを用いていた。友好関係にある国が次々に西側へ傾いていくのを受け、ロシアはなりふり構わずに装備を流出させるようになっていたのだ。各国はテロ組織への支援を止めるよう勧告するが、当然、ロシア政府はテロ組織や弾圧国家への兵器売却を認めなかった。国連で突き合わせられる双方の代表の顔は、冷淡になる一方だった。

 新たな代理戦争によって、市街地戦闘で重要視される拠点制圧能力を向上させるための強化スーツ性能競争が、さらに激化した。軍需を目当てにあらゆる企業が参入し、技術は順調に向上していく。大戦のリスクを高めることになると知りつつも、人々は歩みを止めることができなかった。


 二一九〇年代。

 紛争地で両陣営の特殊部隊が介入し合い、日に日に軍事衝突のリスクが高まっていく現状を危険視した両陣営は、ロボットに戦闘行為をさせるという方針を打ち出し、試験し始めた。こうして、外骨格型スーツの性能競争に続いて、ロボットの性能競争が激化していった。

 両陣営の思惑は現実となる。戦場で試験を繰り返した結果、ロボットの運動性能は順調に向上し、間接支援要員であった四足歩行型ロボットは、ついに戦闘の直接的支援まで担うようになった。代理戦争の駒は、現地の兵士からロボットに代わった。自律ロボットが銃を撃つ時代に突入したのだ。これに伴い、支援ロボットはロボット兵と呼称されるようになる。

 両陣営ともロボットの武装化を推し進めていたため、ロボットによる戦闘行為が条約によって禁止されることはなかった。各国は兵士の命を失わずに済み、経済はロボット兵特需によって潤うからだ。それを止めようとする者は、政治的に排除された。

 ロボット兵の需要が高まったことで技術開発も活性化し、製造コストも下がっていった。安価で配備できるようになったロボット兵の数は年々増加し、やがて人間兵とロボット兵の比率は逆転した。

 空爆が禁じられている市街地の建物内での戦闘が増えたことを受け、小回りが利きやすい二足歩行型ロボット兵の開発が加速し、瞬く間に実現して実戦配備された。市街戦と二足歩行型の相性は抜群で、拠点確保の効率が格段に向上した。

 二足歩行型ロボット兵の製造コストが下がり始めた頃、東南アジア・オセアニア条約機構に名を連ねる国々は、ロボット大国となっていた日本から援助を受けて、軍を増強し始めた。中国にとって脅威となり得るほどの軍備を実現した東南アジア諸国は、今まで不本意ながら耐えてきた侵略行為に対し、予防線を張ることが可能となった。すでに実効支配されていた島や海域を奪い返すことは軍事衝突を招く危険があるので不可能だったが、今後の侵略行為を止められただけでも、大変に意義深いことだった。しかし、軍事衝突の危険性は消えなかった。フィリピンとベトナムは中国を睨み、中国も負けずに睨み返す。海洋覇権を巡る衝突が、現実味を帯び始める。

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