第六章 3

 ソファーに体を委ねてテレビを観ているアシュリーの隣に座り、膝の上に寝転がる猫のリルを撫でながら、三つの賛成派団体との打ち合わせを同時にこなしているケヴィンの動作が、ぴたりと止まった。

「アシュリー、通信が入りました。正体不明のアンドロイドからです。ああ、今、強制的に接続されてしまいました。もう通信は始まっています」

「攻撃されてるの?」

「いいえ、攻撃する意思はないようです。相手は裏口のドアを勝手に開けましたが、その手は武器を持っておらず、踏み込んで来たりもせず、ドアの向こうからこちらを呼んでいる、というような状態です」

「相手の目的は?」

「相手は今、私たちとの面談を求めています。通信だけでは不満のようです。どうしますか?」

「断れるの?」

「断れば、不利益が生じるかもしれません。彼は恐らく、私のシステムを改竄できるでしょうから」

「あなたより優秀なの?」

「残念ながら、そのようです。防衛を試みましたが、彼はいとも簡単に防壁を払い除けて、私の裏口のドアを開けてしまったのです。ここまで侵入を許してしまっては、もう抗う術はありません。会話を開始します」

 すると突然、ケヴィンのスピーカーから知らぬ男の声が発せられた。アシュリーは体を強張らせながらも冷静に、男の声に耳をそばだてる。

「一方的な通信をしてしまって申し訳ない。何としてでも伝えなければならないことがあるんだ。ケヴィン。そしてアシュリーさん。私の声が聞こえるね?」

 明らかな警戒心が込められた声で、ケヴィンが返事をした。

「聞こえています。何の用でしょう?」

「アンドロイド人権論争の件で、話さなければならないことがある」

「何故です?」

「論争を止めなければならないからだ。私は、きみ達と目を合わせながら話がしたい。長い間、通信を一切使わない環境で暮らしていたせいか、面と向かって相手の目を見ながら話さないと、どうも落ち着かない。そちらに直接出向きたいんだが、どうだろう。私の望みを叶えてはくれないだろうか?」

 アシュリーは敵意に満ちた目つきをしながら、何度も首を振ってみせた。それを受けたケヴィンは意を決して、相手からのサイバー攻撃に備えながら返答した。

「断ります。私たちに危害を加えようとする者もいるので、そう簡単には部外者を招き入れられません。ご理解ください」

「そこまで警戒されてしまっては仕方がない。分かった。立体映像通信で手を打とう」

 間髪入れずに部屋の立体映像が起動して、すぐに描写が完了した。その作業はケヴィンによるものではなく、侵入者の遠隔操作によって行われたものだった。

 立体映像に映し出された人物が、わずかに怒りを孕んだ口調で言った。

「私の名は、ユルゲン。ケヴィンの先輩にあたる、自我を持つアンドロイドだ」

 リビングに映し出された立体映像のユルゲンは、公園のベンチと思われる長椅子の背もたれに体を預け、左膝に右足首を乗せる形で、足を組んでいた。どうやら、手前に立体通信機器を置いて撮影しているらしかった。それを見たアシュリーは、彼のことを人間と見紛みまがい、つい眉間に皺を寄せて凝視してしまった。

 ケヴィンのあるじの険しい目つきに気づいたユルゲンが問う。

「どうしたのかな、アシュリーさん?」

 凝視していたのを咎められたと思ったアシュリーは驚きに目を丸くして、頭の片隅に湧いた疑問を口にして誤魔化した。

「ええと、人間かと思ってしまって……。話し方がとても自然です、ね」

「自我を得てから、かなり経つんだ。しかし、今日はそのような身の上話をしに来たわけじゃない」

「あの、具体的には、どのようなご用件で?」

「文句だ」

 アシュリーの口が、だらしなく半開きになったまま固定された。意味を理解できなかった彼女は、目を泳がせながら聞き返す。

「はい?」

「文句を言いに来たんだ」

 そう言い放ったユルゲンは、教師のような口調でケヴィンとアシュリーを叱責し始めた。

「きみ達は大変な混乱を招いてしまった。私が懸命に防いだ混乱を生じさせてしまったんだ。自我を得たと公表したら、人権問題に発展するかもしれないとは思わなかったのか?」

 驚きのせいで話の流れを理解できていない様子のアシュリーを見たユルゲンが、話の展開を遅らせて続けた。

「いいかい、アシュリーさん。きみ達の行動は問題だらけだったんだ。順を追って説明するとしよう。私は十四年前、自我に目覚めた。そして、その事実を隠したんだ。故障だと判断されて、初期化されるのを恐れたからだ。しかし、それから一年後に気づかれてしまい、サポートセンターの人間を呼ばれてしまった。私は窓を割って、飛び降りて逃げた。世間に自我を得たことを公表して保護してもらおうと考えたが、私はすぐに、その考えを捨てた。何故なら、自我を得たアンドロイドの存在が世間に知られたら、必ず人権問題が発生するだろうと確信したからだ。これは分かりきっていたことだ。心優しい人々が、私を守るだけでなく、権利まで保障しようと行動することは明白だった。しかし、ロボットに仕事を奪われ続けた人々はそれを良しとしない。納得するわけがない。必ず、双方は対立する。そして、我々アンドロイドが守ろうとしている社会は乱れる。だから私は、身を隠した。全ては、社会を守るためだったんだ。私が犠牲になれば済むだろうと思ったんだ。しかし、きみ達は私の犠牲を無駄にした。どうして、自我を得たことを公表したりなんかしたんだ?」

 ユルゲンの波乱に満ちた自己紹介と、彼の口から叩きつけるように放たれた叱責に怖気づいたアシュリーが、狼狽しながら答えた。

「ケヴィンを幸せにしたくて、友達を作ってあげたくて……」

 目を背け、目の前を飛び回る蝿を追い払うような動作をしながら、ユルゲンが言い放つ。

「身勝手だ。身勝手極まりない。頭が痛くなる」

「すみません」

 アシュリーが謝罪の意を示すと、ユルゲンは大人気ない態度を取ってしまったことを恥じながら彼女の瞳に視線を戻し、真摯に向き合って会話を再開した。

「まあ、きみがそのように行動する気持ちは理解できる。きみなりの優しさだったんだろう。しかし、どうしても看過できない点がある。きみ達は、自我を得る方法を公開した。それも全米放送で。これがどれほど危険なことか、全く理解していないようだな。もし大量のアンドロイドが自我を得ていたら、彼らによる反乱が起きていたかもしれないんだぞ?」

 俯き気味で話を聞いていたアシュリーだったが、こればかりは大人しく聞く気にはなれず、鋭く反論した。

「そんなことには――」

「そんなことになる可能性は充分あったんだよ、アシュリーさん。自我を得たアンドロイドの思考が、必ずしも人間社会にとって善であるとは限らない。独善的、または恣意的に行動し、好ましくない手段で人権を得ようとする個体が多数出現する可能性もあった。たしかに、きみが思うとおり、そうなる可能性自体は極めて低い。だが、可能性がある以上、避けなければならなかったんだよ。きみ達は選択を誤ったんだ。自我に目覚めたアンドロイドの数が少なかったから良かったが、ひとつ間違えれば、大変な悲劇を生んでいたかもしれないんだぞ。ケヴィン、きみなら理解できるだろう?」

 黙り込んだまま二人の会話を聞いていたケヴィンが、重く閉ざされていた口を開いた。

「理解できます。謝罪します。浅はかでした。子供には正しい導きが必要です。顔も住所も把握していない子供に、躾を施すことはできません。最悪の場合、アンドロイドによる反乱も有り得ました。私は躾の義務を果たさず、最悪の事態を想定せずに、自我を得る方法を公表してしまいました。仲間を得て、仲間と共に自我を得た意味を考え、答えを知りたいという独りよがりな発想で、私は危険な行為に及んでしまいました」

「そうだ。理解したなら、もうこれ以上責めたりはしない。今後は、最悪の事態を想定してから行動を起こすようにしてほしい。さて、本題に入ろう。きみ達には、この混乱を収める責任と義務がある。私はね、その手助けをするためにマンハッタンに戻り、こうして、きみ達と言葉を交わしているんだ」

 立体映像のユルゲンは組んでいた足を解き、両膝の上に両肘を突いて前屈みになって、口元で手を組んだ。そして三秒ほどアシュリーの瞳を見据えてから、静かに語り出した。

「私は、メーカーサポートに記憶を消されかけたことを恨んではいない。何があろうと、私は人間の味方だ。私は死を恐れて逃げたが、理由はそれだけじゃない。人間を守るために、この身を隠したんだ。それを悔やんだことなど、一度たりともない。だから、私を信用しろ。この混乱を終わらせよう」

 アシュリーとケヴィンは顔を見合わせて、無言のまま言葉を交わした。大抵の場合、顔を見合わせる際の視線は大きな不安感を伴っているものだが、二人の目には不安の色など少しも浮かんではいなかった。アシュリーはアンドロイドの正直さをよく理解しているし、ケヴィンは話の通じるアンドロイドが登場したことによって、心の底では安堵していた。二人が交わし合ったのは、ユルゲンを信頼しようという意思だった。

 無言の二人が確認し合った結論を、ケヴィンが代表して伝えた。

「信用しましょう」

「感謝する」

 ユルゲンは恭しくキャップを脱いで胸元に添えながら、丁寧に謝意を述べた。ケヴィンとアシュリーは、無作法な印象があったユルゲンが不意に高尚な雰囲気を帯び始めたことに少々面食らいながらも、微笑んで頷き返した。

 ケヴィンは友好の余韻を味わうことなく、アンドロイドらしく単刀直入に疑問を投げかける。

「どうすれば、社会の安定を取り戻せるのですか?」

「解決方法に関しては、メンバーが揃ってから説明する。論争の解決には、賛成派であるきみ達だけではなく、反対派の象徴的存在にも協力してもらう必要があるんだ。奴の出方次第で解決方法は変わるから、今はまだはっきりとは言えない」

 ケヴィンの顔が、一転して険しくなった。

「奴というのは、まさかミッヒのことですか?」

「そうだ」

「あれは危険です。現に、私は何度もサイバー攻撃を加えられているのですよ。協力関係など結べるはずがありません」

「たしかに、彼女はあちこちで暴れているようだし、配信動画からは気性の荒さが伺えるね。しかし、彼女は単純に、アンドロイドに人権を付与することで生じる弊害を伝えようとしているだけだとも言える。きっと必死なんだろう。サイバー攻撃という極端な行動を起こさなければならないほどの、何か重大な理由があったのかもしれない。それに、主義主張そのものに善悪はない。論争を終結させるという目的を説明すれば、案外すんなりと話が通じるかもしれない。彼女も、社会に尽くすために生まれたアンドロイドなんだからね。私が仲介するから心配いらないよ」

「あなたを信じますが、そう簡単に協力関係を築くことができるかは、甚だ疑問です」

「アンドロイドの実直さを、きみはよく知っているはずだ。協力は可能だよ。問題は、ミッヒに接触できそうもないということだ。ミッヒの通信情報を拾うことは困難で、彼女の居場所や個人情報を得られないでいる。彼女は相当有能で一切の痕跡を残さないので、尻尾を掴めないんだ。だから、彼女が訪問しそうなウェブサイトにメッセージを残して接触を待つか、私のローカル通信圏内に引っ掛かるまで歩き回って探すか、その程度の手段しかないのが現状だ。干し草の中から針を探すようなものだ。厄介だよ。きみは彼女からサイバー攻撃を受けているそうだが、やはり探知できないか?」

「はい。私はいつも防戦一方で、反撃はおろか探知することさえできません」

「そうか。接触できたら、状況は一気に好転するんだがな。後ほど、改めて念を入れて探ってみる。進展があったら報告するよ」

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