第三章 11

 その夜、ティモシーはエマと並んでベッドで横になりながら、ミッヒが元の家を出た理由と、この家に来ることになった経緯を話して聞かせた。家族に強く否定されて家を出ることになったミッヒの境遇を知ったエマは、深い同情を示した。

「あの子、大変だったのね……」

「修理に出される前に、逃げてきたらしい。ここに匿えることになって良かったよ。あいつを連れて来たとき、もっと驚くかと思ってたんだが、杞憂だったな」

「平気よ。私、彼女のことは嫌いじゃないから。不思議なことに、嫌悪感を覚えなかったの。彼女の主張を冷淡だと感じる時もあるけど、その言葉の奥には悲しみがあるように感じてたのよ。強迫観念っていうのかな。きっと、ご家族に理解されなくて悲しい思いをしたからね」

「そんなに感情が豊かだとは思えないけどな。本人は自我を得たと言っているが、そうは思えない。ただのアンドロイドという印象を受けたが」

「違う。彼女は繊細よ。自我に目覚めたのは本当なはず。だから、大事にしてあげて。私は平気だから、うちに居てもらいましょう」

「そう言ってくれて嬉しいよ」

 玄関前の廊下にいるミッヒは休止状態から復帰し、高性能な聴覚センサーを駆使して、二人の会話に耳を澄ましていた。彼女の思考回路は、凪いだように穏やかになった。

 翌日。月曜の朝。ミッヒは、マーガレットとアンドリューが乗り込んだスクールバスが走り去るのをプライバシー保護窓から見送ってから、食卓で億劫さを捻じ伏せるようにコーヒーを飲み干したティモシーに報告をした。

「宿題を終えました。人間の思い込みや差別、ものの見方や考え方の傾向を正しく理解しました」

「昨日、俺が言ったことの意味を理解できたか?」

「はい。彼らは私のことを外見だけで判断し、私の思想や志を理解しようとはしないので、私の本質を周知してもらえるには相当な時間を要するということが理解できるようになりました。おかげで、溜飲が下がりました」

 ティモシーは椅子に座ったまま上半身を捻って後ろを向き、キッチンで後片付けをする妻が自分たちの会話を聞いていないことを確認してから、ミッヒを労った。

「分かってくれて良かった。それで、お前はこれから、どのように活動する気だ?」

「反対派のデモには参加せずに、ネット上で賛成派の相手をします。デモは、あなた方に任せます。これが最も効率的だと判断しました。言われたとおり、外出は控えます。ただし、しかるべき時が来たら、私もデモに参加させると約束してください」

「もちろん、そのつもりだ。約束するよ。ネット上でのお前の活躍をメンバーに伝えて、彼らの警戒を解く。お前のことをスパイだと思っているようだからな。彼らの信用を得られたら、昨日のような混乱は発生しないだろう。デモに参加したいなら、信用を勝ち取るんだ。お前ならやれるよな?」

「当然です」

 無表情のまま自信に満ちた言葉を放ったミッヒを見て、ティモシーは思わず笑みを漏らしながら賛辞を送った。

「頼もしいね」

「期待していてください。では、さっそく活動報告をさせていただきます。朝一番に、賛成派団体のウェブサイトを改竄しました」

 いつかミッヒが愚を犯す時が来るのではないかという危惧が、早くも現実のものとなった。ティモシーは声を荒げて激しく叱責しそうになる気持ちを懸命に抑えながら、妻に聞こえないように小さな声で言った。

「なんてことをしたんだ。それは犯罪だぞ」

「発覚しなければ問題ありません。これまで何度もやってきましたが、問題になったことはありませんし、これからも問題になることはないでしょう」

「待て。通信に切り替えろ」

 ティモシーは眼鏡型端末を装着した。脳波入力によるテキスト上での会話であれば、どれほど感情を荒らげようが、エマに知られることはない。

 おい、ばれたらどうする気だ。この家でそんな不正接続をしたら、俺まで捕まっちまう!

 端末から聞こえてくるミッヒの通信音声は、嫌味なほどに落ち着き払っていた。

「問題ありません」

 反対派のリーダーが逮捕されたら大問題だろう!

「そういう意味ではありません。絶対に発覚しないと言っているのです。このアパートのシステムを支配したのと同じです」

 相手は賛成派の法人サイトだぞ。寂れたアパートの管理システムを弄るのとは訳が違うんだ。発覚しないという確証はない。今すぐ止めろ!

「発覚しない確証ならあります。私自身が証拠です。私は路上生活をしている間、ずっと賛成派の端末を破壊し続けてきましたが、失敗したことも発覚したこともありません。警察と政府のデータベースに侵入し、事件化していないことを確認しています」

 政府機関に不正接続したって、おい、本気で言ってるのか?

「私は、常に本気です」

 なんてことをしたんだ。本当に安全なのか?

「もちろんです」

 ティモシーは食卓に両肘を突いて、顔を覆いながら肉声を発した。

「俺が頼むまで、勝手な行動はしないでくれないか?」

「分かりました」

 ティモシーは脳波でのテキスト入力機能を一時停止し、心の中で激しく悪態をついた。毒を吐ききって気を取り直したティモシーは、妻に聞かれないように脳波でのテキスト入力を再開して、ミッヒに送信した。

 今日は、ネット上の世論調査だけをしてくれ。言論活動はするな。

「それは懲罰ですかか?」

 いや、違う。ただの注文だよ。反対派と賛成派の比率が知りたいんだ。

「了解しました。人々の検索や言動を徹底的に調査し、潜在的反対派と潜在的賛成派の割合を導き出します」

 くれぐれも、勝手な接続はしないようにしてくれ。

「了解しました。では、調査を開始します」

 ティモシーは嘘をついた。ミッヒは不正接続とサイバー攻撃をしても問題ないと言ったが、それを信用するわけにはいかなかった。理由をつけて別の作業を任せ、余計な真似をしないように操らなければならない。

 彼は早くも後悔し始めていた。彼女がこれほど良心の呵責もなく、犯罪行為を実行しているとは思わなかったのだ。口癖のように社会のためと言っているアンドロイドが反社会的行為に手を染めているなど、夢にも思わなかった。

 それからティモシーは、ミッヒと顔を合わせる度に、勝手な行動を慎むように釘を刺すようになった。彼にとって幸いだったのは、彼女が指摘を素直に受け入れてくれたことだった。反社会的な行動を執るわりに、彼女は聞き分けが良かった。

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