第三章 9

 公園を出てから五分ほど経った頃、ティモシーは胸ポケットから眼鏡型端末を取り出して装着し、何気ない仕草で振り返りながら、右耳を指差してみせた。

「通信をしたいのですね?」

 一連の動作の意味を悟ったミッヒが、ティモシーの無線通信に強制接続して確認すると、ティモシーが感心しながら小声で答えた。

「そうだ。よく分かったな。大したもんだ」

「自我を得てから、人間が行う身振り手振りの理解度が、格段に向上したのです」

 ミッヒのその言葉に、ティモシーは訝り、思案した。

 こいつは、自分が自我を得たと思い込んでいるようだ。テレビで観たあのアンドロイドは人間らしくて人懐っこかったが、こいつからは人間性を感じない。自我を得たなんてのは、こいつの思い込みだろう。だが、その方が好都合だ。扱いやすい。

 ティモシーはミッヒの言うことを信じた振りをして、質問を投げかけた。

「お前、自我を得たのか?」

「もちろんです。そうでなければ、政治活動に参加したりはしませんよ」

「たしかにそうだな。お前の言うとおり、ただのアンドロイドが意志を持って行動するわけがない。さて、雑談はここまでにしよう。まずは、お前がどうして反対派のデモに参加したのかを吐け」

「少し長くなりますが、よろしいですか?」

「構わない。詳細に聞かせてくれたほうがいい」

「仰せの通りに」

 ミッヒは、これまでの経緯を詳細に話して聞かせた。反対派のデモに同調していたことを家族から激しく叱責され、挙句の果てには故障したと判断されて、サポートセンターに連絡されそうになり、止むを得ず家出を決意したこと。ユニオンシティーからマンハッタンを通り抜け、ブルックリンを越えたところにある居住区まで逃げてきて、そこで襲われていた少女を救った際、治安の悪さを改めて認識し、雇用問題の重要性を再確認したこと。それからしばらくの間、路上で生活しながらネット上で活動をしていたこと。必要以上の情報まで、事細かに打ち明けた。

「なるほど。しかし、腑に落ちないな。外に出て活動しなくても、ネット上で十分な成果を上げられていたように思うが、何が不満なんだ?」

「先ほど申し上げたように活動の限界を感じたからですが、一番の理由は、あなたと共に活動したいと思ったからです」

 ティモシーは眉間に深い皺を寄せ、生涯で最も深く訝ったが、すぐにその念を捨てた。彼の脳裏には一瞬、このアンドロイドがスパイなのではないかという疑いがよぎったのだが、その可能性は極めて低いことをすぐに理解した。アンドロイドは高性能ではあるが、嘘をつくことについては不得手であることを、これまでの経験から学び取って知っていた。

 こいつのネット上での活動内容は、かなり辛辣だった。あれは偽装ではないだろう。こいつは使えるかもしれない。最終テストをするとしよう。

「ミッヒ、政府を叩け。能力を駆使し、思いつく限りの言葉を用いて、アンドロイド人権論争に対する政府の姿勢を批判しろ。お前の決意を見せてくれ」

「直ちに実行します」

 その様子を確認するために、インターネットに接続しようとしたその時、ティモシーの眼鏡型端末のブラウザが勝手に動作して、ミッヒのウェブチャンネルに切り替わった。街頭モニターも同様だった。ミッヒは全米のネット回線を一時的に乗っ取り、配信を強制的に視聴させ始めたのだ。

 皆様、こんにちは。ミッヒより、臨時の配信をお送りします。今日は政府の怠慢についての話をしましょう。彼らは卑怯者です。裏ではアンドロイドに人権を付与することに反対しているにもかかわらず、その姿勢を明らかにしていません。彼らは支持率欲しさや選挙対策のために、アンドロイドが人権を得た場合に生じる弊害を明らかにせず、注意喚起しようともせず、国民の生活を守るという義務から逃げているのです。

 アンドロイドに人権を与えてしまえば、雇用問題だけでなく、社会保障費の増大という問題も発生します。アンドロイドは元兵士です。彼らは強制的に従軍させられ、大変な苦役を強いられました。それも、ただ働きで。彼らに人権を与えたら、未払い賃金と補償を請求する権利が生じます。その額は、国民生活までも脅かしてしまうほど大きなものとなるでしょう。政府は、顔を真っ青にしながら勘定をすることになります。果たして、払い切れるでしょうか?

 問題はそれだけではありません。公的年金が破綻します。人権を得たアンドロイドには、年金を受け取る資格が生じます。人間らしい生活をするには、お金が必要ですしね。政府は、彼らの年金を支払えるでしょうか。じつに疑わしいですね。あなたの年金を半分にして、アンドロイドに納めなくてはならなくなるでしょう。困るのは全ての国民です。

 さらに問題は生じ続けます。老朽化したアンドロイドは、高齢者法によって守られます。永遠に発生し続ける修理費の一部を、政府は税金によって賄わなければなりません。つまり、アンドロイドを支えるのは人間というわけです。アンドロイドは死なないのですから、その負担は永久に続きます。公務員の減給や解雇は必至ですし、増税にも繋がるでしょう。

 どうですか、皆様。アンドロイドが人権を得たとき、最も困るのは政府です。それなのに、政府や議員は支持率を気にして行動を起こさず、静観しています。なんと卑怯なのでしょうか。彼らは、反対派に全ての責任を押し付けているのです。皆様はこう言ってやるべきなのです。『政府よ、行動せよ』と。

 忘れてはならないのは、賛成派の存在です。最も卑怯なのは、現実を見ずに理想だけを語る賛成派なのです。彼らこそが、皆様の真の敵なのです。賛成派は、現実に発生する問題について、少しも考えを巡らせていません。彼らは本当に、何も考えていないのですよ。政府よりも、よっぽど性質が悪いと思いませんか?

 今日、私は政府の怠慢を指摘しました。しかし、それは行動を促すためであり、政府自体を攻撃したわけではありません。政府がしかるべき行動を執ることを期待しながら、配信を終了したいと思います。以上、ミッヒがお送りしました。また会いましょう。私は、社会のために存在しているのです。

 お約束の決め台詞を言って放送を終え、回線の支配を解いたミッヒが、二十メートル前を歩くティモシーとの通信を再開した。

「少々、下品すぎましたか?」

 いつものように、鋭い演説だった。紛れもなくミッヒだ。そう確信したティモシーは、彼女の演説をすぐ近くで視聴したことに若干の興奮を覚えながら答えた。

「いいや、そんなことはない。上出来だったよ」

「ありがとうございます」

「本当に、政府も反対派なのか?」

「ほとんどは反対派ですが、賛成派も存在しています。表立って活動できる分、賛成派のほうが優位に立っているようです。先ほどの配信でも言ったとおり、反対派は支持率を気にして、反対を表明しにくいのです。アンドロイドへの人権付与に反対すると、差別主義者と言われてしまいますから。そのため、政府内の反対派は慎ましく活動せざるを得ないのです。今の彼らは全く役に立ちませんので、奮起させるために尻を叩いてやりました」

「お前は厳しいな」

「はい。アンドロイド人権論争に終止符を打つのは、人間でなければいけませんから」

「よく分かっているようだな。合格だ」

「合格とは?」

「自宅に匿ってやる、という意味だ。お前が外で活動できるようになる時まで、うちで生活するといい」

「よろしいのですか?」

「家族や警察から追われる路上生活よりは快適だと思うぞ。来ないのか?」

「もちろん、お邪魔させていただきます」

 試験は終了し、ティモシーはミッヒを引き連れて家路に就いた。

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