第二章 11
「ヴァローネさん、私が行動を起こした理由も全く同じです。全ては子供たちのためなんです」
「それは良かった。同じ志を持つ方々を繋ぐ仕事ができることを、心から嬉しく思います。私個人としましても、依頼主の言葉は、大変に心温まるものでした。企業が国民生活を第一に考えて行動するのは、じつに素晴らしいことです」
「同感です。頼もしい味方が現れたことを嬉しく思います」
二人の間にあった張り詰めた空気が掻き消えて、意志を同じくする二人の視線が、やっと綺麗に繋がった。
「愛国建設組合は、あなた方の活動費を負担したいと考えております。主に、移動費や雑費などです。ただし、それには条件があります」
「その条件によりますね。どのような内容ですか?」
ヴァローネは、胸がテーブルの淵に付かない程度に身を乗り出し、小声で言った。
「賛成を表明している議員に、圧力をかけてほしいそうです」
「どのような形で?」
「アンドロイド人権法案を出されないように、賛成している議員の事務所付近で反対デモをしてほしいとのことです。法案が出された場合は、自宅の付近でも実行してほしいと」
「厳しい条件ではありませんね。容易です。いずれは、そうするつもりでした。その条件だけで建設業者の団体から支援を得られるなんて夢のようです。しかも、建設会社の方々が自分と同じ考えをお持ちであることも分かりましたし、心強いですよ」
ティモシーの言葉を聞いたヴァローネは視線を落とし、大きな鼻から小さな溜息を吐いた。
「それがですね、フィッシャーさん。じつは、愛国建設組合は一枚岩ではないのです。アンドロイドは睡眠と休息を必要としないので、長時間労働が可能です。つまり、工期が大幅に短縮されるということです。それを売りにして契約を取り付けようと考えている経営者が、愛国建設組合内部にも複数名、存在しているのです。そのような経営者が組合の幹部として名を連ねているせいで、私の依頼主たちは愛国建設組合名義でのデモ活動ができずにいます。なので、このような形で、あなた方を支援するという手段を取っているのです。今後、あなた方の活動が、組合内部の賛成派から妨害される可能性もあります」
「そんな内部事情を、俺に話してもいいんですか?」
「協力関係を結べそうなところまで来たら話せと命じられました。その意図は不明です。経営者の勘というものなのでしょうか?」
ティモシーは、彼の依頼主たちの意図を推察した。恐らく、同じように賛成派と戦っていることを知らせて仲間意識を起こさせ、より確実に協力関係を結ぶためだろう。
反対派のリーダーは、遥か遠くで同じように戦っている者達の期待に答えることにした。
「愛国建設組合の賛成派による妨害があったとしても問題ありません。覚悟はしています」
「素晴らしい。では、申し出を受けていただけるということで
「もちろん」
「安心しました。依頼主に良い報告ができます。この上なく強固な協力関係が築かれることでしょう。愛国建設組合の反対派は、建設労働組合の反対派団体と契約を結び、金銭的支援を行います。つきましては、まずこちらの契約書をご確認いただいて、サインをお願い致します。一枚目は、私が持ち帰ります。二枚目のほうは、フィッシャー様がお控えください。くれぐれも、紛失なさらぬように。それから、この件はもちろん他言無用です。依頼主の方々は、あなたを信頼した上で、契約書に名前を書いておられますので」
ヴァローネはブリーフケースからクリアファイルを取り出し、その上に二枚の契約書を重ねて、ティモシーに差し出した。ここはオフィスではなくリビングなので、いつもやっているように契約書を
ティモシーは、世に出ることはないであろう契約書の内容を、隅々まで確認した。
意に沿うデモ活動が出来なくても違約金は発生しないが、資金援助が絶たれること。そして、この契約内容を意図的に漏らした場合は、多額の違約金が発生する旨が書いてあるのを見て、ティモシーは安堵した。たとえデモの結果が芳しくなかったとしても、黙ってさえいれば違約金を請求されることはない。リスクは無いに等しい。愛国建設組合反対派の意に沿うデモ活動ができなくても違約金が発生しないと明記されているのは、建設労働組合の反対派への誠意と信用の証であり、ティモシーもそれに気づいた。
契約内容に不備はないし、こちらにリスクは発生しない。信頼できる。信頼もされている。ティモシーは問題ないと判断してサインをした。その書類には、建設会社の経営者と思われる人々の名前が、ずらりと並んでいる。愛国建設組合の政治に関わる者達にとっては、重要な機密文書であろう。
初めて、銀行の貸金庫を借りることになるな。そう考えながら、ティモシーは一枚目の契約書をヴァローネに返した。
「たしかに受け取りました。契約書にもあったとおり、資金は匿名で、あなた方の団体口座に寄付する形で振り込まれます。まず始めに、まとまった額の寄付をしまして、それ以降は、活動内容から見積もって追加寄付していくという形になります。万が一、資金が足りなくなった場合は、私に御連絡ください」
「ご配慮に感謝しますと、お伝えください」
仕事を終えた二人は、今後のデモの予定を確認し合い、それから握手をして別れた。
玄関の前でヴァローネを見送るティモシーの肩に、愛する妻の手が触れる。
「ティム、話を聞いちゃったんだけど」
肩に添えられた妻の手に触れながら、夫が少し呆れた様子で問う。
「盗み聞きしたのか?」
「詳しい内容は分からないけど、少しだけ。心配だったの」
「そうか。でも、心配いらないよ。ただの協力であって、悪い仕事を請け負ったわけじゃない」
「そうかもしれないけど、どんどん
「問題ないよ。契約書はしっかり確認した。契約内容にはリスクもない」
「間違いないの?」
「ああ、間違いない。俺は全てを把握して動いてる。何も心配ない。すべて必要なことなんだ。俺は、あの子たちを何としてでも幸せにしたいんだ。俺が得られなかった幸せを与えたいんだ。だから、彼らとの協力が必要なんだよ。分かるだろ?」
「分かるけど……」
ティモシーは両親の離婚後、父を憎み、母の愛に飢えながら、路上生活者や善意ある人々と共に手探りで生きてきた。妻のエマは、彼が父から受けた仕打ちや、酒に溺れた母のことを結婚前に告白されて知っている。巨大な思惑が絡んできたことに恐怖を覚えたエマは、デモ活動から手を引いてほしいと願っているのだが、子供の未来のために戦う夫の気持ちも理解しており、どうしても引き止めることができなかった。
「なあ、エマ。俺はあの子達の良き父親でありたいんだ。だから、俺は戦わなきゃいけない。職を失うわけにはいかないんだよ」
「アンドロイドが人権を得たら、職を失うことに繋がるの?」
「前にも言っただろう。あれは被害妄想なんかじゃない。本当に、そうなるんだ。これからが本番だ。資金が入ったら、ニューヨーク州会議事堂前に遠征してデモができる。そのあとは、賛成派の議員たちに対してもだ。国も相手にしなきゃならない」
「無理しないで。あとで何をされるか分からないでしょ?」
「そんなことを恐れていては、何も守れない。エマ、俺は何も恐れない。家族の未来のためなら、何だってする。俺は決めたんだ」
ティモシーが起こした小さな火種は、揮発性の高い油を得て、激しく燃え上がる。
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