第二章 10

 第三回デモから三日後。水曜日の夜。

 暴動に発展しそうになったデモを沈静化させ、その後、完璧な指揮を執ってデモを成功させて以来、名実ともにリーダーとして広く認知されるようになっていたティモシーの元に、高く整った鼻に眼鏡型端末を乗せ、黒髪を後ろに撫で付けた清潔感のある髪型をした、身なりの良い見知らぬ男が尋ねてきた。

 来客を伝えるコンピュータの声を聞いたエマは、夫がデモ活動をしている今、すべての訪問者を疑うべきだと考えて警戒しながら、ドア越しに応対した。

「何の御用でしょう?」

「ティモシー・フィッシャー氏は、ご在宅でしょうか?」

「夫は今、出掛けています。ご用がおありでしたら、組合のほうに――」

「エマ、構わないよ。きみは下がっていろ」

 背後で待機していたティモシーが姿を現し、エマの肩を抱き寄せながら言った。エマは言われたとおりに部屋の奥へと下がり、振り返ってティモシーと男の様子を伺いながら、子供部屋に向かった。

 ティモシーはドアを開け、警戒と威嚇の意を隠さずに訪問者を見据えながら言った。

「それで、あんたは誰だ?」

「私は、ロバート・ヴァローネと申します。弁護士です。本日は、愛国建設組合の代理人として参りました。管理人さんからも許可を頂いて、訪問させていただいております」

 賛成派の建設会社経営者たちの手先か。

「帰ってくれ。話をしても無駄だ」

「お待ちください、フィッシャーさん!」

「知るか」

 ティモシーが乱暴な動作でドアを閉めようとしたとき、焦ったヴァローネが早口で囁くように言った。

「愛国建設組合はアンドロイド人権運動に反対しています」

 ドアノブを掴むティモシーの手が、ぴたりと止まった。

「それは、どういう事だ?」

「ここでは、ちょっと……」

 ティモシーは速やかに愛国建設組合の思惑を分析したが、短時間では答えが出そうになかった。

「……入ってください」

 ティモシーはとりあえず、この使者を受け入れることにした。このアパートの入口にある保安システムを通ってきているのだから、銃や刃物を持っていないのは明らかであったし、殴り合いで負けるわけもない。つまり、危険はない。

 部屋の主は、差し出された名刺を受け取って相手の素性を確認してから、愛国建設組合の代理人と名乗る男を招き入れた。子供部屋のドアの向こうにいる妻に、客人を迎えたのでそのまま待機するよう伝えてから、リビングの窓際にあるテーブルに案内する。

 ティモシーはコーヒーを機械任せにせず、自分の手で淹れた。キッチンに身を隠しながら、男をよく観察するためだ。ヴァローネと名乗った男は、ブリーフケースを膝の上に乗せて中身を確認したり、それが終わると窓の外を眺めたりするだけで、別段変わった素振りをみせることはなかった。

 問題なさそうだ。ティモシーは完成したコーヒーを運び、やっと席に着いた。

「どうぞ」

「ありがとうございます。先ほども申し上げたとおり、依頼主は愛国建設組合の人間でして、労働組合員と会合しているところを見られては困るということで、代理人である私が訪問させていただきました。改めて、依頼主の言葉を伝えさせていただきます。愛国建設組合は、アンドロイドへの人権付与に反対しています」

 建設組合がアンドロイド人権反対派に回ることが、ティモシーには理解できなかった。建設業の経営者は、より有能で工期も短縮できるアンドロイドを優遇するだろうと思っていたからだ。彼はその理由をすぐには訊かずに、ゆっくりと深呼吸をしてから、建設業者の損得を素早く検証し、導き出された答えを口にした。

「アンドロイドに賃金を払いたくはない、ということですか?」

 ティモシーの的を射た回答に代理人のヴァローネは目を丸くしたが、すぐに瞬きをして誤魔化し、無意識のうちに漏れ出た軽侮を恥じながら話を続けた。

「仰るとおりです。話が長くなってしまいますが、どうかお聞きください。まず、アンドロイドに人権が付与されれば、彼らは家事の対価を要求し始めるでしょう。当然ながら、所有者は支払いを拒否します。すでにメーカーに代金を支払っているわけですからね。そうなると、ただ働きは御免だと言って家事を拒否し、家を出るアンドロイドも出てきます。頭脳を使う職種には、新参のアンドロイドが入り込む隙はありませんので、彼らが行き着く先は、身体能力を最も発揮しやすい建設業や土木業になるでしょう。かなりの数のアンドロイドが、建設業界に流入してくる恐れがあります。規制法は取り払われ、職業を自由に選択できるようになるでしょうから、彼らを喜んで雇い入れる建設会社が出現するのは必至です。アンドロイドを多く抱えた建設会社に対抗するため、その他の建設会社もアンドロイドを雇わざるを得なくなります。その結果、愛国建設組合に加盟するほとんどの建設会社が人間を解雇し、アンドロイドを雇うことになるでしょう。アンドロイド自身が会社を設立して、建設業界に参入してくる可能性も充分あります。包み隠さず簡潔に申し上げますと、愛国建設組合は、人間にしか賃金を支払いたくないと思っています。あなた方には家族がいるからです。建設会社は金儲けをするだけの組織ではなく、間接的に合衆国の子供たちを養っており、未来永劫、そのような存在でありたい。私の依頼主は、このように仰っておられました」

 この男は、じつに良い話を持ってきてくれた。ティモシーは代理人を追い払わずに招き入れ、先ほどの蔑視に気づかない振りをして、最後まで話を聞いてやって正解だったと自身を褒めながら対話を続けた。

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