第一章 帰還を目指して

初めての依頼屋

 少年は空を眺めていた。広い広い空を。雲がゆっくりと動いていく。金髪に隠れた深海色の瞳に白い雲が映った。

 ずいぶん遠いところまで来てしまったな。少年は故郷に思いを馳せた。母が待つであろう故郷を。

「母さん、必ず戻るから」

 心配しているだろうか。死んだと思っているだろうか。自分のことを覚えているだろうか。期待と不安で胸がいっぱいだった。

「ライン、どうしたの?」

 背後から澄んだ声が聞こえた。振り返る。白い髪を風になびかせ、少女は微笑む。

「ルフィア、本当にいいのか」

 心配して問う。ルフィアはまた笑った。

「大丈夫。私はラインと一緒に行くよ」

 

 二人はここに来るまでの間、奴隷鉱山に囚われていた。奴隷として強制労働を強いられ、非常につらい目に遭ってきた。奴隷制度をよく思わないレジスタンスの力を借りて、二人は閉鎖大陸から脱出してきたばかりだ。その時、レジスタンスに加わっていた天使の一人がルフィアに言った。「今なら共に天上界ファンテイジアへ戻れます」と。彼女の素性を知っていたのだ。天上界ファンテイジアのとある都市の生まれだということを。そして、それ以上の情報も知っていた。

 しかしルフィアは丁寧に断った。なぜなら。


「私は世界を知らないの。鉱山で見たこと、この身に受けたこと。あまりにも悲しくて残酷で。だから、知る必要があると思うの」


 胸に手を当てる。彼女は悲惨な光景を思い出していた。鎖に繋がれ、鞭に打たれ、休むことを許されない過酷な仕事。奴隷として働いていたとき、心から悲しくなった。とてもつらくて、今すぐ逃げ出したかった。しかし監視は許さなかった。

 ラインは鉱石の採掘、ルフィアは炊き出しや洗濯を行っていた。二人は離ればなれにされて、お互いを思うことで心を保っていた。ラインは何度も脱出を試みて、監視に捕まり、鞭で叩かれ、殺意をふつふつと沸き上がらせていった。

 そこに転機が訪れる。レジスタンスが襲撃したのだ。ルフィアはラインと再会を果たし、レジスタンスのアジトでしばし休息を取ったのち、船でこの地にやって来たのだ。


「ラインと一緒にいないと、どこかで倒れてそうだし。心配だよ」

 ふふ、と小さく笑う。ラインは苦笑いした。

「行こう」

「うん。ここからだと、港町が近いんだよね」

 今いる場所は港町から南にある海岸だ。閉鎖大陸から一番距離が近い場所で、大陸からの密航が後を絶たない。奴隷鉱山から抜け出した者達がやってくるのだ。

 二人は歩き出す。横に並んで街道を進む。途中馬車に道を開けたり、旅商人に道を確かめたりして、無事に港町へ辿り着いた。


「いらっしゃい! アイゼア産の魚は美味いよ!」

「港町アイゼアに来たからには、一度は食べていかなきゃ損するよ!」


 町に入った途端、威勢のいい掛け声が渡った。恰幅のいい女性や筋肉質の男性が、商店で海産物を売っている。

「わぁ、すごい元気な町だね」

 ルフィアが目を輝かせて辺りを見回す。人混みに入っていく彼女を見失わないように小走りで追いかけた。

 町を進んで行き、小さな公園で一息吐いた。ベンチに並んで座る。ルフィアがきょろきょろと辺りを見回した。

「すごいね。こんなに元気な町、初めて見た」

「俺の家のある街は静かだから、活気のある場所はちょっと驚くな」

「ねぇ、あれは?」

 ルフィアが指差す先には蒲焼きを売っている露店があった。タレに浸かった魚を炭火で焼く香りが漂ってくる。

「お腹空いたね」

「そうだな。あの店、行ってみようか」

 ベンチから立ち上がって、蒲焼き屋に近寄った。

「さぁさぁ、嬢ちゃん兄ちゃん食べていきな!」

 近寄って値段を見ると、さすが港町の露店。

「高い・・・・・・」

「大丈夫だよ、もらったお金あるから」

 ルフィアの素性を知る天使と別れる際、旅のためにお金をもらっていた。紙のお金を一枚差し出す。蒲焼き一枚をもらった。

「ライン、半分こしよ」

「いいのか、お前のだろ」

「だって蒲焼き、大きいもん」

 先ほどのベンチに戻って、二人は串に刺さったそれを半分にした。焦げたタレの香りが鼻をくすぐる。あむ、と一口。香ばしい匂いとタレの味、柔らかな白身の食感が口に広がる。

「美味しいね!」

「蒲焼き、初めて食べた」

 お腹が空いていたため、あっという間に食べ尽くした。串をゴミ箱に捨てて、公園の中に移動すると。


「誰かー! あの人を捕まえてー!」


 遠くから悲鳴が聞こえた。どよめく人の波が割れる。男が高級そうなバッグを抱えて走ってくる。

「っ!」

「あっ、待って、ライン」

 ルフィアの静止を聞かず、ラインは飛び出した。走ってきた男の前に立ち塞がる。男は雄叫びを上げてタックルしてきた。とっさにガードの姿勢を取ったラインが攻撃を受ける。体は弾かれ体勢を崩した。人の波に倒れかかる。

「くそっ!」

 体勢を立て直して追いかけようとした時、男は憲兵によって取り押さえられていた。後ろから女性が駆けてくる。憲兵からバッグを受け取り、何度もお礼を言っていた。

「・・・・・・っ」

 ラインはその様子を黙って見ていた。止められなかった悔しさにため息を吐いた。

「ライン」

 ルフィアが近寄ってきた。心配そうにしている。大丈夫だ、と一言返した。

「父さんみたいには、まだなれないんだな」

 ラインの父親は凄腕の依頼屋クライアだった。不慮の事故によって命を落としても、彼の名は同業者にとって偉大だった。ラインはそんな父を尊敬していた。いつか父と共に依頼屋クライアをやろうと約束していたのに。ラインは思い返してぐっと拳を握り締めた。

「俺も、父さんみたいになりたいんだ」

「焦らないで。ちょっとずつ、目指していこっ」

 ルフィアが笑う。悔しそうな顔をして、ラインは頷いた。


*******


 ラインとルフィアは手持ちのお金を数えていた。ルフィアがもらった路銀はそこまで多くない。すぐになくなるだろう。となると、やることはひとつだ。

依頼屋クライア、やろうか」

 ラインが提案した。いずれ自分も依頼屋クライアをやろうと思っていたところだ。偉大な父親の背中を見て育った彼にとって、神聖な領域に入る気分だった。依頼屋クライアの情報店に入る。情報係に話を聞いて、今ある依頼を見せてもらった。

「お前達、子供だろ。一応、力があるからここに来ているとは思うんだが、あまりランクの高い依頼はさせられないな。まずは、こういうのからしたらどうだ?」

 示した依頼は。魔物を討伐してほしいという内容だ。魔物の棲み家である森に入り、親玉をやっつける。文章で見る分には簡単だ。ラインは引き受けることに決めた。

「地図は持ってるよな。そう、それだ。港町アイゼアから西だ。西の森だぞ」

「分かった」

 情報係は二人を心配そうに見送った。名も無き依頼屋クライアの卵は、無事に帰ってくるだろうか。


 西の森は港町と対照的に静かで、鳥のさえずりと葉の揺れる音がするだけだ。二人は獣道を進む。ラインはルフィアと手を繋いで歩く。ルフィアがふふ、と小さく笑った。

「・・・・・・なんだ?」

「レジスタンスの船でのこと、思い出しちゃって」

 ラインが立ち止まる。ルフィアも隣に立ち止まった。彼女は笑顔を向けている。

「船の上で、ずっと私の手を握ってくれたでしょ。なんでか分かってたよ。ライン、ずっと怖かったんだね」

「いやそれは・・・・・・、はぁ、お前には嘘がつけないな」

 観念したようにラインは言葉を漏らした。

「不安だったし、怖かったんだ。俺の目の前でいなくなってしまうんじゃないかって」

「また、ってことは、前にもあったんだね」

「・・・・・・あぁ。俺の前から消えてしまわないうちに、お前を助けたかった。だから奴隷鉱山では無茶をした。何度も鞭で打たれたさ。それでも、お前が無事でいて共に脱出できるなら、なんだってしようと思っていた」

 ラインは小さくため息を吐くと、ルフィアの顔を見た。

「ルフィア、俺の前から、いなくならないでくれ・・・・・・」

 不安と恐怖が入り交じった声だった。ラインの表情も固い。ルフィアは優しい声で返事をした。

「うん。できるだけ、頑張ってみるね」

「・・・・・・あぁ」

 二人は再び手を繋いで森を進む。木漏れ日の中、鳥の声や獣の声が響いている。深部に進むにつれて声がなくなっていった。

 開けた場所に出た。大樹の根元で大きな狼型の魔物が眠っていた。二人は一旦手を離して身構える。

「あいつか」

 ラインが三歩近寄る。魔物は気配を感じて目を覚まし、頭を持ち上げた。侵入者に対しうなり声を上げる。

「その子、闇に冒されてる」

 ルフィアが異様な力を感じ取った。体の一部が黒ずんだ狼は上半身を起こす。視線はルフィアに向いている。闇に冒されているとは、いったい。

「俺が相手だ」

 ラインは手をかざした。翡翠色の光が溢れ、亜空間が口を開く。剣の柄が伸び、左手に収まった。魔力を込めると剣の刃が生まれる。

「殺さないであげて。お願い」

「できる範囲でやるさ」

 遂に狼は立ち上がった。歯茎と牙を見せて威嚇する。ラインも剣を両手で握って構えた。


 バウッ!


 吠えると狼は飛びかかった。ラインは眼前に剣を構えて剣身を噛ませる。そのまま振り回され、茂みに投げ込まれた。

「くっ!」

 狼はルフィアに狙いを定めている。急いでラインは立ち上がり駆けた。狼は跳び退いて距離を取る。再び飛びかかって、防御間に合わないラインの腕を噛んだ。

「ぐあぁっ!」

 牙が筋肉に突き刺さる。怒り心頭の狼はこのまま喰ってしまおうと考えていた。腕を引き千切りそうなほどラインを振り回す。

「お願い、あの子を助けてあげて」

 ルフィアの周りに光が溢れていた。彼女に生来持ち合わせる癒しの力だ。治癒術と浄化の力を合わせ、狼に術式を放つ。大地に白い紋を現した術式はラインごと狼を包み込み、どす黒い闇を払う。黒ずんでいた狼の一部は塵となって消えていった。途端に、狼は攻撃色を失った。体に付いていた黒ずみは元から無かったように消え去っている。ラインから牙を放し、今まで何をしていたのか分からない、といった様子だ。

「貴方は闇に捕らわれていたの。もう少しで、取り返しがつかなくなってしまうところだった。もう大丈夫だよ」

 ルフィアが笑う。狼は人語を理解しているのかいないのか、頷くように頭を下げた。ラインに視線を移し、一礼するかのように頭を動かした。不思議そうにしていたが、きびすを返してその場から去っていった。

「今治すね」

 ルフィアはラインのそばへ行き、治癒術を展開した。構成式の難しい治癒術を簡単に扱えるとは、恐れ入る。ラインは治療されていく腕を見ていた。体内の魔力に干渉して体の組織を元に戻していく。血は止まり、傷つく前の状態に戻った。

「治ったよ」

「ありがとう。にしても、お前はやっぱり」

「ん?」

「創造源神の娘、というのは、本当なのか?」

 創造源神とは、この世の全てを創ったとされる最高神だ。昔々、彩星に生み出された一柱の神。その娘がルフィアだという。

「そうだよ。お父さんは神様。私の持つ聖剣は、貴方の持つ聖剣の片割れ。剣に選ばれた人でしか扱えないもの。それを使えるんだから、ラインもただ者じゃないよね?」

 ラインは剣を亜空間に返す。少し黙って、頷いた。

「あぁ。ただ者じゃないさ。俺は、・・・・・・っ」

 脳裏によみがえる悪夢の光景。人体実験。刺し込まれるケーブル。凌辱。触手。性暴力。

 服の下に隠された背中の刻印が疼いた。

「・・・・・・俺は、何者なのだろうな」

「ん?」

 ルフィアがきょとんとしている。ラインの言葉の意図がよく分からなかった。

「ラインは、ラインだよ」

「・・・・・・ありがとう」

「うん!」

 惑うラインは、ルフィアの笑顔に救われた。自分の受けた残酷なことを思い出すと、痛みまでよみがえるようだった。小さく頭を振って考えを捨てた。

 ふと狼の歩いていった方を見ると、地面にふさふさした物が落ちていた。毛の一部だ。

「これを持っていけば、依頼の証拠になる。戻ろう」

「うん。あの子、闇に捕らわれて苦しんでいただけだし。それに、あの子を殺してしまったら、森の生態系が崩れてしまうと思うの」

「そこまで考えてなかったな・・・・・・」

 ルフィアは時折大人びたことを言う。創造源神の娘だからか、とラインは理由付けた。



 港町アイゼアに戻ってきた。依頼屋クライアの情報店へ向かった。

「おう、戻ってきたか」

「依頼の証拠に、これを」

 差し出した毛を見て、情報係は納得する。よくやったな、と声をかけた。

「無事に依頼完了、ごくろうさん。賞金は隣のカウンターで配るから、椅子に座って待っててくれ」

 係は奥の部屋に引っ込んでいった。二人は言われた通り椅子に座る。辺りを見回してみた。屈強な男性に、鎧を着た女性など、依頼屋クライア達が仕事を求めてやって来ていた。

「ラインのお父さん、すごい人だったんでしょ」

「あぁ。父さんに剣を教わって、いつか一緒に依頼屋クライアをやろうって、約束していたんだ。けど、死んでしまってさ」

「残念だね」

「俺が強くなって、残された母さんを守れるようになりたんだ。その為にも、少しずつ依頼をこなしていかないと」

「うん、頑張ってね。ライン」

 と、ラインの名が呼ばれた。カウンターに向かって、賞金を受け取る。情報店を後にした。

「とりあえず、今日はもう遅いし、この町の宿に泊まろう」

 路銀の調達も完了した。が、動き回るにはもう夕暮れだ。大人しく港町に滞在することにした。


「ケケケ、見ツケタ」

 

 暗い影が、彼らに迫っていた。

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