第20話 下村雪とえっちな部屋

 俺は紗季を追いかけた。

 紗季は玄関で靴を履こうとしゃがみ込んでいた。

 紗季の肩を両手でつかんで、家を出るのを制止する。


「おい、待てよ、紗季。誤解だ!」

 俺は言った。

「触らないで!」

 俺の方を見ないまま、俺の手を紗季が振りほどく。

 紗希が立ち上がる。


「早く私の部屋に戻ったら? 雪とえっちしたら? 途中だったんでしょ!」

「だから、誤解だって!」

 俺は言った。

「嘘ばっかり! だったらどうしてあんなものが私の部屋にあるのよ!」

「あんなもの? なんのことだ?」

「言わせないで! 変態!」

「……あ」


 コンドームだ。くそ、Fさんめ。あんたのせいだぞ。親父のコンドーム持ち出すから!

 紗季にFさんの話をしてもその場しのぎの嘘と思われるだろうし、どうしたらいいんだ。雪が持ってたというのはあまりにも不自然だ。


「ごめん、紗季。悪かった。お前の部屋で、その、雪ちゃんと、なんだ、えーと、いちゃいちゃしてたことは謝る。万が一、万が一の事態に備えて、なんつーか、いわゆるゴム製品を持ちこんでいたことも謝る」


「なにが万が一よ。つまりは雪とセックスしようとしてたんでしょ?」

 紗季がこちらを見ないまま、吐き捨てるように言った。


 ……雪とヤろうとしていたことは事実だ。


 どうする? どう返事する?

 短い沈黙の時間が俺と紗季の間に流れた。


「ああ。その通りだ」

 ……認めるしかなかろう。状況的には何を言っても言い訳だ。

「人のベッドで何やってるのよ! もうあのベッドで寝たくない!」

「お前の部屋のお前のベッドでお前の親友とえっちしようとした。それは事実だ。だが怒らないで聞いてくれ」


 紗季は返事しない。怒っている。俺はゆっくり息を吸ってから、言葉を吐き出した。

「……雪ちゃんは自分から俺の家に来た。今日はウチで勉強会だと思い込んでいたんだ。決して俺が連れ込んだんじゃない」


 俺は話を続ける。


「雪ちゃんには、お前の部屋でお前が帰ってくるのを待つことにしてもらった。だから部屋に入れた。決して最初から変な目的で誘い入れたのではないんだ」


「へー。じゃあ、なんでベットで抱き合っていたの? 足からませてさ。雪のスカート、こーんなにめくれてさ」

 紗季が言った。


「……説明してもいいか?」

「いいよしなくて。別に兄貴が誰と付き合おうとえっちしようと、関係ないもん。私が怒っているのは私の部屋でそういうことやろうとしたこと。私のベッドを汚したこと」

「だから、それは謝る」

「今度から自分の部屋でしてよね。好きなだけ女連れ込んだらいいじゃん。コンドームまで買ってさ。そういうことに関しては用意万全なんだね、兄貴って!」


 紗希は自分の部屋に行こうと、俺の顔を見ないようにして立ち上がった。


 そこに雪がやって来た。すこしだけ、着衣と髪のセットが乱れてた。まずい、いかにも「事後」だ。


「……あ、あの、私帰りますね」

 紗季は返事しない。

「……健太さん、あの、色々迷惑掛けちゃって、すみませんでした……」

 雪が謝る。顔が耳まで真っ赤だ。

「こちらこそ、その……すまん」

 俺も謝った。


 雪は紗希にも「さよなら」と言うが、紗希は無視した。

 悲しそうな顔で雪は紗希の横を通り過ぎる。

 雪が靴を履き、玄関を出ようとした瞬間、紗季がぼそっとつぶやいた。


「2人とも喜んでたくせに」

 そしてそのまま自分の部屋に行き、扉をバン! と激しくしめた。


「どうしよう、紗希ちゃん、怒らせちゃった……」

 雪が動揺している。

「大丈夫だ、俺から説明しておくから」

「……お願いします」

 小さな声でそれだけ言って、雪は帰って行った。


 俺は紗季の部屋まで行った。固く閉ざされているドアの前に立ち尽くす。

 どうしようか迷ったが、意を決してノックをした。

 案の定、返事はない。


「紗季。開けてくれ。話がしたい」

 やはり返事はない。

 ドアノブを回す。意外なことに、鍵はかかってない。ドアは普通に開いた。


 ドアを開けると、紗季が泣きながらベッドのシーツをはさみで切り刻んでいた。肩をふるわせながら、ひたすらシーツをじょきじょき切り刻み続けている。

「俺が悪かった。だが、話を聞いてくれ」

「……やだ」


 涙声だった。


「出てって。女の子の部屋に何しに来たの? あ、えっちか。変態。スケベ、エロ兄貴!」

「お願いだ。説明させてくれ」


 どうしても、紗季のフェロモンの影響を話しておきたい。もちろん、すべてがフェロモンのせいとは言わない。雪への潜在的な欲情が無ければ、フェロモンも意味が無かったろう。


 だが、それでも、フェロモンがなければ、ベッドで抱き合うこともなかったはずなのだ。


「何? 説明とか言って、私をベッドに押し倒すつもりなんでしょ。女なら誰でもいいって感じ? いいよ、しても。どーせ私エロいサキュバスだもん。する?」紗季がペロッと、スカートの裾をめくった。

「いい加減にしろ!」

 思わず怒鳴ってしまった。紗季がビクッとなる。


「確かに雪ちゃんに欲情してそういう関係になろうとしていた。それは認める。だが、最初に誘ってきたのは雪だ。この部屋……この部屋に残っていたお前の催淫フェロモンが、雪と俺を狂わせたんだ!」

「怒鳴らないで……なんで怒鳴るの? 私、何か悪いことした?」

 紗季が俺を見た。目を赤く泣き腫らしている。


「いいか、紗希。お前は悪くない。だから、ちゃんと聞いてくれ。俺は雪に対して、ごく普通、前に家に来たときと同じように接していた。だが、お前の部屋にしばらくいると、雪が俺を誘うような仕草をし始めたんだ」


 今にして思えば雪が足を広げて椅子に座っていたのも、俺を誘ってのことだったのだろう。いや、スカートをバタバタさせた時点からそうだったのかも知れない。


「紗季だって、自分のフェロモンの威力分かっているだろ? この前だって、雪ちゃん催淫して、トイレに駆け込ませただろ?」

 紗季は黙り込んだ。

「俺もな、お前のフェロモンたっぷりの風呂に入ったことがある。その時、本気で理性がはじけ飛びそうになった」

「……そうなの?」

 紗季が言った。

「ああ、あれは凄かった」

 と俺は答えた。


「もちろん、俺の心のどこかに、雪ちゃん、いや、女性全般に対するよこしまな気持ちがあったからこそ、紗季のフェロモンに催淫されたわけだ。だが、フェロモンがなければ、俺は雪ちゃんとえっちしようとは考えなかった。それは断言できる」


 断言できるとはいったものの、本当は自信が無い。Fさんとの会話も念頭にあったからだ。

 だが、それだって、俺が雪で童貞を喪失すれば、Fさんが紗希に妙なことしようとするのを阻止できると思ったからだ。単純に性欲だけではない……はずだ。


「……傷ついた」

「え?」

「傷ついた、って言ったの」


 紗季が座り込んだまま、俺を見て言った。

「……そんなの、分かってたよ。部屋に入った途端、すごいフェロモンだったから。だけど……だけど、私のベッドで、兄貴が、女と抱き合ってて、それは理屈抜きで傷ついたの!」


 紗季がわーんと泣き出した。

「だってー、だってー、兄貴は私だけの兄貴なんだもん。私以外でえっちな気分にならないでよぉー」


 泣きながら紗季が言った。


「紗季……」

「私、ずっと一人だったの……。やっと兄貴出来たのに……雪ちゃん、取ろうとするんだもん。ねえ、兄貴、もっと、もっとえっちぃ気持ちにさせてあげるから、他の人のものにならないでよー、他の人と仲良くしないで。雪ちゃんと付き合ったら、雪ちゃんのとこに毎日行くんでしょ? 毎日、雪ちゃんとえっちして、もう私には欲情しなくなるんでしょ? 血吸わせてくれなくなるんでしょ?」


「い、いや、そんなことは……」

 男子高校生の底なし性欲を紗季は知らないのだ。「大丈夫だぞ、雪とえっちしてもお前に欲情するくらいの性欲は残っている」と言おうとしたが、やめた。


「大丈夫だって。そんなことにはならない」

「ほんとに?」

「ああ。本当さ。だいたい、お前の理屈だと、俺、彼女作れないじゃないか? それとも……」

「それとも?」


 俺は息を整える。声が震えないよう、腹の下に力を入れる。


 そして、とうとう、俺は言いたくても言えなかったセリフを言った。


「それとも、紗季が俺の……彼女になってくれるのか?」


 冗談を装いつつも、この質問は本気だった。平然なふりをしているが、心臓はバクバク、口の中はカラカラだ。


 これは、俺から紗季への……告白。そう、本気の告白なのだ。


 俺は紗季の本音を知りたい。紗季、どうなんだ? 


 お前の返事は?


「まさかー。それはないって。兄貴ふざけすぎーだよ。兄貴は兄貴。私の彼氏が兄貴とかって、ありえないよ! もう、兄貴のシスコン!」


 俺の初恋は一瞬で崩壊した。

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