第86話 規格外の男

「風よ、流麗にして無なるものよ、鋭牙をもって敵を穿て」


 淀みない呪文と共に、バレットの髪が荒々しく波立った。風が吹き荒れ、槍の穂先に薄緑色の小さな嵐が巻き付いていく。

 サナトが生じる風を正面から浴び、目を見張りながら言う。


「武器に纏わせる魔法とは……初めて見ました。<風魔法>ですか?」


 心底驚いた様子のサナトに、バレットがにいっと口角をあげた。


「驚いてもらえて光栄です。ご推察のとおりですが、少しばかり工夫をしています。フェイト家は魔法の名家。誰もが日々魔法の工夫に精進しているのです。っと、しゃべりすぎました。そろそろお目付け役が来ましたので――行きますよ」


 そう言ったバレットは屋敷の扉の方向をちらりと一瞥する。

 大きな盾を持った壮年の男が慌てた様子で飛び出てきた。勢いよく開かれた扉が激しい音を立てて閉まる。

 アズリーの側近であるサルコスだ。遠巻きにもわかるほどに眉根を寄せて、深く息を吸った。


「待てっ、バレット!」


 大声を張り上げたサルコスをしり目に、バレットはさらに笑みを深める。

「この方に心配は無用でしょう。サルコスさん」と小さく口にし、先ほどまでとは比較にならないほどの速度でサナトに向けて足を踏み出した。

 地面を滑るように移動するバレットは、たった一歩で間を詰める。槍の刃は緑の突風を纏い、触れるものすべてを粉みじんに変える。

 敵が武器で弾いてくるならば、その破壊を。愚かにも素手で止めようとするならば、二度と使えない腕に。

 先ほどのようにうまく避けることも不可能だ。この槍の攻撃範囲は通常の比ではない。体ごと大きく飛び退くしかかわす手段はない。

 ――さあ、どうする?

 バレットはサナトの一挙手一投足を逃すまいと目を凝らす。

 右か、左か、盾や武器を引っ張り出すのか。それとも攻撃に転じるか。


「熟練者はこんな使い方をするのか」


 その時、サナトが小さく笑ったように見えた。危機感のない独り言のようなセリフと共にサナトが槍に対して取った選択肢は――

 素手だった。


「ばかなっ!?」


 バレットは驚愕の声をあげた。渦巻く嵐をまるで握りつぶすように、片手が槍先を掴みとめていた。

 ありえるはずがない。

 槍の刃の軌道を完全に見切り、素手でその勢いを殺すなど。刃とは飾りではないのだ。掴めば切れるのは当然のこと。

 しかし、槍は岩に固定されたかのようにピクリともしない。

 バレットは背筋に悪寒を感じ、反射的に押しとどめていた魔法を解放した。


「<ウインドテンペスト>」


 小さく圧縮された嵐が突如勢いを取り戻し、サナトを切り刻まんと暴発した。拳の隙間から鋭い風の刃が何十本と飛び出した。

 槍が止められた時の第二の刃。まさにバレットの奥の手だ。

 だが、緑の光は金色の光の壁に阻まれる。硬質な音を立てて刃が砕け、男は無傷で立っていた。


「接近戦用に工夫した魔法とは驚きました」


 サナトは笑顔を見せて事も無げに言った。全身を覆うように張られた盾には見覚えがあった。

 バレットは目を丸くしつつも、その正体を看破した。


「<光輝の盾>……」

「ええ。人より強い盾が使えるもので。多少無茶ができるんですよ」

「ダメージは、ないのですか?」

「バレットさんが手加減をしてくださったようで、幸いにも」


 サナトはそう言って槍から手を離し、盾を解除すると、己の顔や体に軽く触れて感触を確かめる。

 確かに、皮膚はもちろん、ローブにもかすり傷ひとつ見当たらない。

 無論、威力だけは手加減した。殺すことが目的ではないのだ。

 だが、これはどういうことだ。

「魔法とは面白いな」とつぶやくサナトを唖然と見つめ、必死に冷静さを取り戻しつつ、考えをまとめていく。

 風魔法を纏う槍の素手での受け止め。

 魔法の完全遮断と早すぎる呪文詠唱。

 そして、攻撃を完全に見切る目と、バレットが追えないほどの移動術。

 どれもが常識を遥かに超えていた。


「あなたは……一体……」


 自分の声があまりに遠くで聞こえた。

 手合わせの結果、得られたものは想像の及ばない高みにいる冒険者の強さだけだ。

 バレットはぼんやりとした思考の中、後ろから強い力で肩を引かれてたたらを踏んだ。

 横をすり抜けて、サナトと対峙したのはサルコスだ。


「危険な技を使用して申し訳ないっ。まさかこんなことになるとは、おいっ、誰か治療を! 急げっ!」


 サルコスは深々と頭を下げた後、屋敷の入り口に向かって声を張り上げ、「早く来いっ」と手招きをする。

 だが、サナトは目尻を下げて「大丈夫ですよ」と手を振った。


「フェイト家流の挨拶といったところでしょうが、こちらも勉強になりました。ケガはなかったのでご安心を」

「……え? そう……ですか……」


 予想もしていなかったであろうサナトの言葉に、サルコスがようやく異常事態を認識したようだ。

 恐る恐る顔を眺め、さらに全身に目をやり――

 息を呑んだ。


「ほ、本当にどこにもケガはないのですか?」

「ええ。バレットさんが上手に手加減してくれたので」


 サナトは繰り返しそう言って両手を広げてみせた。サルコスの顔がみるみる引きつり、ばっと振り返って、尻もちを着くバレットに視線を向けた。

 ――手加減したのか?

 そう聞きたいのだろう。

 バレットは疲れた顔で首を左右に振った。

 そんなはずがなかった。魔法まで使用したのだ。手加減したのは魔法の威力だけだ。

 かすり傷すら無いなどありえない。


「これで試験は終わったと思ってよろしいのでしょうか?」

「え……ええ、呼んでおいて試すような真似をして申し訳ない」


 壊れた人形のようにギクシャクした動きのサルコスは、何度か深呼吸をしたあと、決められていた謝罪を口にした。

 そして、必死に冷静を装いながら「……こちらへ」とサナトとリリスを誘導する。

 自身のシンボルとも言える大きな盾を拾い忘れたままだ。心中が穏やかではないのは一目瞭然だった。


「部屋で、お嬢様がお待ちです」

「まさかこんなところでアズリーさんとご縁があるとは思ってもみませんでした。冒険者というのは仮の身分だったのですね」


 朗らかに微笑むサナトとは対照的に、サルコスは乾いた笑いを浮かべた。

 残されたバレットが「どうやったら、あんなことができるんだ」と肩を落とした。

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