第85話 手合わせ

「ちょっと二人とも、もう朝だよ」


 柔らかい光が窓を白く染め始めていた。

 冷え切っていた室内が、だんだんと温かみを増す。視線を外に向ければ、わずかな朝もやが今にも消えかかろうとしていた。

 王都のどこかで、一日の始まりを告げる鐘が音を響かせた。

 しかし、部屋の主と奴隷の少女はまだ目覚めない。

 ルーティアは眠り呆けているサナトの体を軽く揺すった。いつもなら最も早く起き出すサナトが、こんな時間まで寝ていることは珍しい。

 抵抗して毛布の中に潜ろうとすることなどなかった。


「リリスも起きて」


 同じベッドで小動物のように丸まって毛布に隠れるリリスを、ぽんぽんと軽く叩いて呼んだものの、少女もわずかな寝息で返事をするのみだ。

 ルーティアは苦笑いしながら、毛布をゆっくりと頭の方から剥がした。

 サナトの寝顔を見たのはいつぶりだろうか。幼く見える横顔は、子供の様に幸せそうだ。血色も良く、熟睡したのが目に見えて分かる。


「マスター……」


 規則的に胸が上下していた。

 サナトがここ最近、夜中に呻くような声を上げていたことは知っている。

 聴覚の鋭いリリスは、その度に「今日もうなされています」と心配し、ずっとベッドの上で体を起こしていたのだ。


「リリスも嬉しそうな顔してるなあ」


 ルーティアはにこりと微笑む。

 昨晩、何とか説得して送り出したかいがあったというものだ。

「奴隷の私がご主人様を助けるなんて」と躊躇する彼女に「リリスが一番の特効薬だから」と何度説明したことか。

 口実のお茶を持たせて、背中を押して、ようやく動いたのだ。


「うまくいったんだね」


 幸せそうな二人を見ていると、自分の胸まで温かくなった。

 想いまで告げたのだろうか。それとも添い寝させて欲しいと言っただけだろうか。

 ルーティアはもう少しだけ毛布をめくった。互いに向き合った体勢の二人は、寄り添うような姿勢で片手を繋いでいる。

 サナトから手を伸ばしたようにも、リリスからのようにも見えた。


「まあ、どっちでも些細なことだよね。こんなに幸せそうなんだもん」


 ルーティアは再び毛布を二人の肩の高さまで戻した。

 わずかに身じろぎしたサナトの横顔をじっと見つめ「見栄っ張りはダメだぞ」と人差し指で頬をつついて微笑む。

 そして、窓際に回り、日光が差し込み始めた窓のカーテンを閉めた。室内がぼんやりとした暗がりへと変化する。


「もう少し、いい夢見てね」


 ルーティアはそう言い残し、足音を忍ばせ部屋を出た。


「朝からいいもの見たなあ。マスターもこれで少し楽になってくれたらいいんだけど」


 ルーティアは低い廊下の天井に向かって「うーん」と両手を伸ばした。

 隣の部屋に戻ろうと、ドアノブに手をかけたその時だ。階段を上がってくるギルドの職員が見えた。

 記憶では、エティルという人間に違いない。少し跳ねた寝癖が慌ててやってきたことを物語っていた。

 片手に封筒を持ったエティルは「早朝にすみません」と丁寧に頭を下げ、「『白炎の灰』の関係者の方でしょうか?」と尋ねた。


 ***


「あの、私までよろしいのでしょうか」


 見るからに広大な敷地に建つ屋敷を前に、リリスが瞳を瞬かせた。落ち着かない素振りで、遥かに背の高い門を見上げている。

 今日は戦闘用の鎧を脱ぎ、少し洒落た町娘のような格好だ。あどけなさと気品が入り混じり、不思議な雰囲気を醸し出している。


「当然だろう。相手が会いたいと言ってくれているんだ。リリスも含まれているのは間違いない」


 いつもと変わらないローブ姿のサナトは事も無げに言い、門の両側で直立不動の態勢を崩さない衛兵に声をかける。


「呼ばれて参りました『白炎の灰』です。招待状はこちらに」

「確かに、フェイト家の家紋ですね。ようこそ」


 軽く頭を下げた中年の衛兵が、もう一人の衛兵に二言ほど指示を出し、門を開ける。

 そして、「こちらへ」と二人を先導し始めた若い衛兵は、後に続くサナトにちらりと視線を送り、水を向けた。


「お噂はかねがね耳にしています。何でも、わずかの時間で一気にランクアップされたとか。ドラゴンを一刀両断にしたという話も」

「大げさすぎます」


 そう言ったサナトは苦笑いを浮かべ、続ける。


「土蜥蜴と偶然に出くわしたので追い払った程度です。それに公式には認められたわけでもありません。声の大きい周囲がそう言っているだけです」

「それでも十分すごいと思いますが……パーティはお二人なんですよね?」

「まあ、臨時に戦力を補充することはありますが、基本的には」


 衛兵が小さく感心したような声をあげた。「噂以上にお強そうだ」と好戦的な笑みを向ける。

 サナトがその視線をかわすように、かぶりを振った。


「私のことより、あなたも、先ほど門におられた方も相当の腕なのでしょう。雰囲気だけでそこらの冒険者を超えている。さすがは名門と名高いフェイト家の兵、ということでしょうか」

「……わかりますか?」


 衛兵は嬉しそうに唇の端をあげた。

 そのまま立ち止まり、くるりと振り返る。片手に持つ槍の穂先が一瞬光を反射して輝いた。


「ええ。レベル以上に、熟練の雰囲気のようなものをひしひしと感じますので」

「さすが、お嬢様が目をかけられるだけのことはありますね」


 衛兵はそう言うと、一歩、また一歩とその場で距離を取り始めた。丁寧に整えられた敷地の中で、サナトと衛兵は間合いを十分に開け、互いに微笑を浮かべた。

 輝く槍の刃がサナトの胸に向けてゆっくりと下げられた。


「あまりこの状況に驚かないのですね? 初めての経験かと思ったのですが」

「この国の文化と、家風を知れば……と言いたいところですが、本当はギルドマスターの入れ知恵です」


 サナトはだらりと両手を降ろして続ける。


「フェイト家は『強ければ喰らえ』という勇猛な家訓を掲げているから注意しろ――と。現将軍の信念でもあるそうですね」

「ご存知でしたか。強い相手、ましてやアズリーお嬢様のお眼鏡にかなう程の方となれば、我々も手合わせをしたくなるのは当然です」

「なるほど。ちなみに、この話はアズリーさんの指示ですか?」


 衛兵が「違います」と首を振って、槍を握る手に少し力を込める。


「将軍直々のご指示です」

「……なんとなく状況は分かりました。致し方ないですね」


 サナトは小さくため息をついた。

 さしずめ、娘に近づく馬の骨の実力を自分の配下に探らせたいという親心なのだろう。

 それとも純粋な好奇心か。


「ご主人様、私にお任せください」


 前に出ようとしたリリスを、サナトが腕を出して止める。

 疑問を浮かべた彼女にサナトは言う。


「俺が受けた方が、何かと話が早そうだからな。リリスは見ていてくれ。そんなに心配顔をしなくても大丈夫だ。その……昨日眠れたおかげで絶好調なんだ……」

「……は、はい。頑張ってください」


 恥ずかし気に俯くリリスを一瞥したサナトは頬を掻き、一度咳払いをして衛兵に向き直る。


「失礼しました。では……どこからでもどうぞ」


 サナトの姿勢は無防備そのものだ。構えも無ければ、武器も手にしていない。

 衛兵が訝し気に眉を寄せた。


「無手でしょうか。よろしいので?」

「ええ。使えない武器があるよりはこちらの方が身軽なので。それに、武器は加減が難しいんですよ」


 衛兵は「加減?」と独り言のようにつぶやくと、小さく苛立ちを顔に表した。

 そして俄然やる気に満ちた張りのある声が、敷地に響く。

 少し離れた場所では中年の衛兵が見守っている。


「フェイト家衛兵、バレット。行きます」


 バレットは様子見とばかりに、数歩で間合いを詰めると槍の先を真っ直ぐにサナトの右太ももを目指して伸ばした。純粋に突くことだけを目的とした無駄のない動きだ。

 もちろん将軍には「殺すな」とは言われている。致命傷にならないよう、最初からかすり傷程度を狙ってのものだ。

 この真剣に近い模擬戦は、屋敷の部屋からアズリーが見ている。フェイト家の跡取り娘であり、熟達した回復魔法の使い手。

 もし万が一のことがあったとしても、命を落とさないよう配慮がされている。

 屋敷の一階にも救護に長けた家政婦が控えている。

 相手は新興の冒険者。噂話は十分聞いている。だが、どの程度強いかは戦ってみるまでは分からない。

 そう思って、負け知らずの愛槍を繰り出す。

 しかし、寸分違わぬ狙いが逸れた。

 ――いや、違う。完ぺきに避けられた。

 驚愕の事実に視線を投げると、斜め後方にサナトが下がっている。さきほどの目尻を下げた表情とは打って変わって、感情を消した黒い瞳がバレットを射抜いていた。

 小さく舌打ちを鳴らし、さらに二歩踏み込んで銀槍を振るう。

 一突き。

 二突き。

 当たらない。

 魔法使いのはずなのに、熟練の武闘家が瞬動術でも使っているようにその場から移動している。

 ローブすら捉えられず、小さい風切り音と共に虚しく穂先が空を切る。


「――っ」


 バレットは目を見張ったが、心のどこかで「やはりな」という思いが浮かんだ。

 一度目をかわされた時点で分かっていた。サナトは苦心して紙一重で避けるというレベルではないのだ。

 明らかに攻撃の方向を確認してから、当たらない位置に下がっている。方向、距離、それらを魔法使いである男が凄まじい速度で判断しているのだ。

 バレットは自分に言い聞かせるように言った。


「手加減してどうこうできる相手ではないということですか」


 愛槍の柄をぐっと握りこむ。

 この相手ならば、多少のスキルや魔法を使用しても大丈夫だろう。

 そう確信したバレットは、押さえつけていた挑戦心をじわじわと両の瞳に滲ませ始めた。冷静な衛兵の仕事を超え、元来の好戦的な気質に身を任せんと声を張る。


「失礼しました。すでに無礼を働いていますが、更に無礼を重ねていたようで申し訳ない」


 サナトは無言で続きを促す。


「魔法を使わせていただきます」


 あなたなら、何とかするでしょう。

 バレットは目で語ると、だらりと体を弛緩させた。さきほどより一層腰を落とし、槍の柄を腰に当ててサナトに狙いをつける。

 使うのは槍術と魔法の融合技だ。サナトがどんな方法で避けているのかはわからない。

 しかし、確実にこれで判明するはず。

 バレットは久しぶりの強敵に心を弾ませる。もしもここで尻尾を巻いてサナトが逃げ出せば、フェイト家では笑い者になるだろう。

 だからこそ、逃げられるはずがないのだ。いかに危険な技を向けられようと、自分の挑戦を受けざるを得ないのだ。

 ずる賢いと自嘲しつつも、与えられた機会に感謝する。


「どうぞ」


 サナトの言葉は予想通りだった。

 淡白な返事は少しもバレットの技を恐れていないことの証だ。バレットはますます感心する。自然と笑みは深くなり、心が躍る。

 そして――

 バレットは無防備に立つ男に放つべく、呪文を小さく口ずさみ始めた。

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