第83話 報告と勧誘

 エティルはノックの後、馴染みの薄い重厚な扉を押し開けた。

 重みに反してそれは滑るように奥へと開かれる。

 古い書物の埃っぽい香りと、かすかな葉巻の匂いが鼻孔を刺激した。

 ここは王都ヴァルコットのギルドマスターの部屋。

 足を踏み入れる度に、いつも強く実感する瞬間だった。

 窓のある一面を除いた三方には本棚がある。

 これでもかと押し込まれた棚は側板が軽くたわみ、大きさがバラバラの本がひしめき合うように詰め込まれ、溢れ返った本はその手前にどさりと積まれている。


 この中からどうやって必要な情報を探すのか。

 エティルはいつも疑問に思っている。紙をめくるだけでも相当の時間がかかるはずだ。

 まさか全部記憶しているのでは。

 荒唐無稽な自問が心に浮かんだものの、それはないなと心中で一笑に付した。

 ギルドマスターのダレースは博識で有名だが、さすがに難しいはずだ。

 ただ、ディーランド王国におけるギルドの最高権力者の椅子に座るためには、生半可な勉強量では不可能ななず。

 ずば抜けた記憶力を持っていることは確かだろう。


「報告に参りました」

「ご苦労さん」


 エティルの一声に、年季の入った濃い茶色の執務机から顔を上げたダレースは、眼窩にはめていた片眼鏡を外して、シャツの胸ポケットに滑り込ませた。

 刈り上げた短い白髪を逆立てた彼は、分厚い手に不釣り合いの薄い紙を、机の端の紙束の上に放り投げ、揉みほぐすようにこめかみに指を当てた。

 そのまま革張りの椅子をぎぃっと鳴らし、一度天井を見上げると、小さく息を吐いて言った。


「歳を取ると書類仕事が一番しんどいな」


 ダレースは苦笑いしながら紙束の上に片手を乗せた。重量のある太い腕が机の天板でどんと音を立てた。

 エティルが扉の前で直立したまま、書類の束にちらりと視線を向けた。


「こいつは暗部の連中に一人ずつ書かせた報告書だ。まあ今回は報告というより、感想文に近い代物だがな。だいたいは把握した」


 低い声でつぶやいたダレースは「お前も座れ」と執務机の前に設けられた布張りのソファを指さした。

 ソファは足の短い長テーブルを挟んで対面に設置され、片方が三人掛けのもの。そして反対側には一人掛けが二脚並んでいる。

 真新しいソファだ。

 記憶にあるものとは色がだいぶん違う。

 指示された通り、ゆっくりと三人掛けのソファに腰かける。


「昨晩は眠れたのか?」


 エティルが腰を下ろしたのを見届け、先に座っていた同僚が声をかけた。

 ワズロフだ。

 上品なシャツに細身のパンツ姿の彼は、どこから見ても身なりの良い普通の青年だ。

 日々危険な仕事に追われている暗部とは思えない。

 エティルは伺うような瞳に小さく首を横に振った。


「まあ昨日の光景を見て寝られるとは思えなかったが案の定ってところか」

「隊長は眠れたんですか?」

「いいや。俺も似たようなもんだ。ギルマスから報告書をせかされたし目も冴えてしまってな」


 ワズロフは恨みがましい瞳を対面に座る男に向けながらそう言った。

 しかし、「至急だと言っただろ」とにべもない返しに、これ見よがしにため息を吐いた。


「隊員全員の分を集めろとは言われてませんでしたよ」

「それはお前らを送り出してから思いついたからな。事情が事情だ。一人より全員に報告させた方が情報の確実性が上がる」

「おかげで朝方まで起きてたんですが」

「俺はその後、かすむ眼に鞭を打って暗がりで読んだぞ」


 自分の抗議がまったく意味をなさないと知って肩をすくめたワズロフは「で、ギルマスの結論はどうなんです?」と話を進める。


「その前に、エティルの意見を聞こうか」

「私の?」


 驚きに目を丸くしたエティルにダレースはいう。


「戦闘員じゃない者の意見は貴重だ。ワズロフや暗部は強者の目。お前は観察の目だ。人と成り、性格、印象。なんでも構わない。文字におこせない何かを教えてくれ。一晩たっぷり考えただろ」


 ダレースが目を細めて見つめる。エティルがしばらく考え「わかりました」と姿勢を正した。

 そしてぽつりと言った。


「……普通の人。あまり冒険者らしくない人です」


 エティルは「あっ、もちろんサナトさんのことです」と慌てて付け加え、思い出すように虚空に視線を向ける。


「移動中も私に気を配って、守ってくれて。でも戦いになると恐ろしいほどに怖い人。殺すことを躊躇せず、はっきりと敵と味方を分けています」


 ダレースが探るように問いかける。


「どんな技を使っていた」

「見たこともない目で捉えられない技でした。拳に刃物のような武器を纏っていました。魔法……だと思うんですけど、呪文も無いですし、見たことはありません。それに私は結局それを振るったところを一度も見ていません」

「移動速度が速すぎるのか」


 エティルがゆっくりと首を振った。


「直感ですけど、おそらく違います。あれはもっと違う何かです」

「ステータスを考えれば不可能だしな」

「……トルドウルフを一撃で葬っていましたし、あの人に限ってはステータスを考えない方がいいかもしれません。レベルを無視したと思えるような途方もないほどの強さです。ただ――」


 明瞭に話していたエティルが迷うように視線を泳がせた。ダレースが声を和らげ、「ただ?」とオウム返しに問う。

 「私の勝手な思い込みかもしれませんけど」と前置きをしたエティルは、ダレースを見返していう。


「強さを考えると、サナトさんの性格はおかしいです」

「おかしい?」


 エティルがはっきりと首を縦に振った。


「はっきり言えば、トルドウルフ四匹と帝国兵四人を無傷で殺せる人間なんていません。それほどの強さを持つ人が、あんなに普通の性格であるはずがないんです」

「なるほど……」


 ダレースが太い腕を組んで小さく唸った。「つまり」とつぶやき続ける。


「強い人間ほど、どこか歪んでいるはずだと」

「はい。すごい才能があって、サナトさんレベルになれたとしても、仮にあそこまでなるには死ぬほどの鍛錬と長い時間が必要です。どこか狂気に近い想いが無ければ無理です。逆に、あり得ない話ですけど、最初からあの強さだったなら、必ず舞い上がってしまうでしょう」

「元剣士を目指していた者ならではの観察か。当然だな……高飛車な人間になることは間違いないだろうな」


 ダレースがうなずき、ワズロフが「確かに」と考え込む。


「でも、サナトさんは普通なんです。かといって誰にでも優しさを見せるわけじゃない。なんというか……酒場の店員が、ある日目覚めたら強者になっていたような……そんなちぐはぐな雰囲気を感じてしまうんです」


 エティルが黒髪の男の姿を脳裏に浮かべながら、視線を落とした。

 遠くに合っていた焦点がようやく戻ってきた。

 なぜか確信に近いものが心の奥底に居座っていた。


 ***


「まあ、何となく言いたいことはわかった」


 腕組みをして考えを巡らすダレースに、ワズロフが問いかける。


「ギルマスも同意見ですか?」

「概ね、な。もう少し優しい殺し方をすると思っていたこと以外は、以前話をした時のサナトの印象そのままといったところか。他の暗部の感想も似たようなものだ。ただ……二人の銀髪の子供の件が判断を悩ませるな」


 ダレースが立ち上がり、報告書の束を片手に戻ってくる。


「全員一致で、異常。とても子供とは思えないとのことだ。エティル、やつらのレベルは見えたか?」

「……サナトさんに止められました。真意はわかりませんが暗に危険だと」

「なるほど。事情があって我々にも秘密にしておきたい連中というわけか。二人のサナトへの態度は?」


 深い英知を感じさせる濃い青い瞳が、エティルを射抜く。


「従順……な様子だったと思います」

「いや、確かに命令に膝をついていましたよ」とワズロフ。

「となると、桁外れに強いというのに、対等というよりサナトへの従属に近い関係か。ならば、是非もないな。『白炎の灰』の待遇は現状から一段格上げだ。子供の件が無ければ完全にギルド側に引き込みたかったが……」

 

 悩む様子を見せるダレースにワズロフが口元を歪めて言う。それはギルマスとしての口癖を真似たものだった。


「『制御の利く強者は欲しい』でしたか?」

「その通りだ」

「今のは皮肉です」

「知っている。しかし、それが真理だ。組織は身勝手な連中だけでは回らんからな。国との力関係もある。どうだワズロフ、それが分かるようなら俺の右腕になれるぞ」

「よしてくださいよ」


 ワズロフがひらひらと手を振り、「事務仕事は務まりません」とつぶやきながら盛大に顔をしかめた。

 ダレースがそれを見て小さく口角を上げたが、すぐに真顔に戻る。

 そして、無言のままゆっくりと立ち上がると執務机から開封済みの一通の封書を持ってくる。


「……これは?」


 真っ先に声をあげたのはエティルだ。

 この国に住む者ならば、知らない者はいないほどの紋章が封蝋印に使用されていたのだ。

 盾紋の中に一角のユニコーン。

 魔法の名家と名高いフェイト家の紋章だ。

 亡ノトエア国王が作り上げたとされる護軍。その軍門に代々エリートを輩出し続ける家系がフェイト家だ。

 絶大な力を持つという家が何の用でギルドに手紙を。

 そんな疑問が顔に出ていたのだろう。ダレースは苦々し気に言った。


「良識のある桁外れの強者は、ギルドも名家も喉から手が出るほどに欲しいということだ。まったく……どこで情報を掴んだのやら。こうなる前に手を打ちたかったのに。検討時間が裏目に出たな」

「ギルマス、手紙は『白炎の灰』に関するものなんですか?」


 目を細めたワズロフの問いに、ダレースがかぶりを振った。


「そいつはサナト個人についてしか書かれていないが似たようなものだ。一言で言えば、フェイト家に招待したいんだと」

「あのフェイト家にですか!?」


 あんまりの事実に、エティルがすっとんきょうな声をあげて目を白黒させる。

 冒険者が名家に個人的に呼び出されることなどありえない話だ。

 ダレースが小さく舌打ちをしながら、封書の中身を広げた。


「しかも差出人はアースロンド将軍のご令嬢だ」

「また大物が出てきましたね。ご令嬢の名前は確か……」


 鋭い視線を向けたワズロフにダレースが「そうだ」と頷いて言う。


「アズリー。フェイト=アズリーだ。ついこの間まで身分を隠してうちに所属していた冒険者。名をあげ始めたサナトと一度話をさせろということだが、魂胆は見え透いている。おそらくは――」

「自分の懐に引き込むつもりでしょうね」

「そういうことだ。ギルド所属だからと橋渡し役を依頼するという体裁を整えているが、実質は命令に近いものだ」


 やれやれとばかりに肩をすくめたダレースは、どかっと背もたれに深く腰掛け、疲れた息を吐いた。


「まさか、こんなに早いとは予想もしてなかった。アズリー嬢は情報収集をしていたんだろうな」

「受け入れるんですか?」

「仕方あるまい。フェイト家はまずい。あそこは敵に回すわけにはいかん」

「ギルマスって大変そうですね」

「そう思うなら、少しは手伝え」

「暗部としてさらに尽力しますよ」

「まったく……」


 苦笑いを浮かべる二人をよそに、エティルは衝撃の事実をゆっくりと反芻していた。

 ――フェイト=アズリー。『家名持ち』の名家の令嬢。


「どこでサナトさんを……」

 独り言が耳奥に残った。

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