第64話 源泉 2

「相変わらず遊びが好きなことはわかったけれど、人間ごときに<源泉>の力をどうこうできるものではないでしょう?」

「それが常識です。ところが、何にでも例外は存在するのですよ。サナト様は確かにその力を持っておられる」


 訝しむウェリネが、にやりと微笑むバールを眺めた。その美しい顔がさらに疑惑に満ちていく。


「……バール、さっきからその呼び方はどうなっているの? 言葉遣いもおかしいし。なに? この人間と契約でもしたの?」

「いえ。契約の方ではなく召喚ですね」

「しょうかんっ!?」


 驚愕の声を上げたのはウェリネではなかった。隣にいるロキエルだ。青い蛇が肩で飛び上がるほどだ。

 ウェリネが、鼻で笑う。


「あなたが<悪魔召喚>の意味を分かっていないとは思えないけど?」

「もちろんです」

「第一級悪魔が人間に負けたとでも?」


 ウェリネの切れ長の目が、サナトに向けられ、隣で身を固くするリリスを一瞥する。

 そして「冗談はよして」と肩をすくめた。


「そこの魔人と人間が協力しても無理だわ。それとも無抵抗で殴られ続けたわけ?」


 自分の言葉を想像したのだろう。何が琴線に触れたのか、小さな笑い声を漏らした。

 だが、バールは真面目くさった態度で言った。


「疑うならば試してみればどうですか? 油断して<悪魔召喚>を与えることのないよう、全力でやることを勧めますが」

「そう……」


 途端、ウェリネの腰に巻いたラップスカートが波打った。ロキエルが後方に距離を取ると同時に、その場は荒れ狂う竜巻が吹き荒れた。

 そして、意志を持つかのように風の塊がサナトを飲み込んだ。

 局所的に轟轟と重低音を響かせ、草花が見るも無残に姿を消していく。巻き上げられた土砂がばらばらと音を立てて落下した。


「……勝手に巻き込んでおいて、突然の攻撃とはひどい話だ」


 ウェリネが風を散らすと、そこには金色の盾に囲まれたサナトが苦々しい表情で腕組みをしていた。

 数秒にらみ合いが続き、バールに視線を向ける。


「今のは他人の力を借りた攻撃になるだろ。間接的な反逆もできないんじゃなかったのか?」

「ご心配には及びません。今のサナト様ならあの程度、児戯も同然。無傷は確信しておりますので」

「……まったく、勝手なやつだ。で、ウェリネとやらは満足したのか?」


 薄桃色の髪の悪魔が「驚いたわ」と両目を見開き、小さく唇を舐めた。その金色の瞳に、ゆっくりと興味深さが混じってくる。隣でロキエルが唖然と口を開けた。


「<時間停止>」

「<時間停止解除>……」


 音もない魔法。場に流れる柔らかな微風となびく草花から時間が奪われかけ――対抗魔法によって元に戻った。

 しばらくの沈黙が流れ、サナトが重々しく告げた。


「その手はもう知っている」

「へえ……誰がここまで手の内を明かしちゃったのか聞いてみたいものね。しかもなぜ<時空魔法>まで使えるのよ」


 ウェリネが横目で張本人を流し見た。批難するような声色だが、その顔は笑っている。

 さらに何かを確かめんと、今度はサナトに近づいてくる。


「待て。それ以上近づくなら遊びではなく宣戦布告と判断するぞ」

「まさか。そんなつもりはまったくないわ。ただ近くで見たくなっただけよ。それくらいなら構わないでしょ? あっ、言っとくけど、魔人の子が手を出したら私が宣戦布告だと判断するからね」


 動こうとしたリリスを目線で制し、ウェリネは堂々と一直線に歩を進めた。

 サナトは警戒をしつつも困惑していた。

 なぜか、一歩近づかれるごとに目の前の悪魔にとても惹かれていくのだ。思わず自分から危険な悪魔に進み出てしまいそうになる。

 距離以上に精神的に親しみを感じるこの状況があまりに不自然すぎた。

 弾かれるように魔法を使用する。


「<神癒の領域>」


 サナトが右手を上げると同時に、まばゆい巨大な円形の光が現れた。徐々にうつろな表情に変化していたリリスの焦点が合わさる。

 遅れてサナトが大きく息を吐いた。


「自然に魅了状態にしてくるとは。<精神操作>とは恐ろしいスキルだな」


 <神格眼>ではウェリネから伸びる無色の矢印だけが見えていた。だが、それが何の魔法なのかと訝しんでいるうちに状態異常をかけられたのだ。

 気づけば、すでにスキルを使用した悪魔は目と鼻の先だ。

 最初から<魅了>を解除されることを想定したのか、その顔には微笑だけが浮かんでおり、驚きは少ない。

 ウェリネはサナトの目の前まで来て、そのほっそりとした腕を肩に延ばした。

 ようやく意識の戻ったリリスが弾かれたように動きだし――

 サナトが片手を上げて制した。


「リリス、大丈夫だ。動くな」

「……はい」


 白魚のような指が、サナトの灰色のローブの上から当てられた。

 人差し指と中指、そして親指の三本が蟻でもつまみあげるように――


「っ……お前」

「ふふふふ……」


 まるで万力で締め上げられるような力がサナトの左肩にかかった。みしみしと骨が嫌な音を立て、とてつもない痛みに顔をゆがめていく。

 しかし、妖艶に微笑む悪魔は手を緩めない。

 肩甲骨に爪先を食い込ませながら、地面に押し付けんばかりに力を加えていく。

 一気に脂汗を流し始めたサナトは、必死に痛みに抗いながら目の前の悪魔を睨みつけた。片膝がその重みに崩れた。

 ウェリネの表情がますます喜悦にゆがむ。


「ご主人様っ!」

「動くなと言ったはずだ!」


 居ても立っても居られなくなったリリスが、怒りを露わに大地を蹴った。だが、これを主人は右手をあげて必死に制する。

 ここで抗うことは決して得策ではないのだ。


(ウェリネはバールと同格。ロキエルはその少し下。さらに部下も大勢いるだろう。仮にバールがウェリネと戦っても、トップが出てきた以上は何匹悪魔が出てきてもおかしくはない。俺だけならともかくリリスが危険だ)


 サナトは苦痛に顔をゆがめ、あざ笑う悪魔の嫌な笑みを真下から見上げた。だが決して負けを認めるものではない。。

 

 鈍い、何かが砕ける音が場に響いた。

 サナトの両目が一瞬大きく見開かれ、苦し気な息が漏れた。ウェリネがそれを見て満足そうに瞳を三日月型に細めた。頷き、踵を返す。


「ご主人様、大丈夫ですかっ!?」


 リリスが、もはや我慢できずに駆け寄った。悲壮な表情で肩を押さえたサナトは額を汗で濡らしながらも片目だけを上げて「大丈夫だ」とつぶやくと、一瞬にして白き光に身を包んだ。

 食い込んだ爪痕から流れ出たどす黒い血筋がぴたりと止まり、みるみる傷口が塞がっていく。

 ウェリネが感心したように振り返った。


「回復もお手の物ってわけね。でも――」


 少しいらだった様子でバールを睨め付ける。


「多少戦えそうなのは認めるけど、この程度なら殺せるはずよ。ステータスそのものの体の造りじゃない。もろすぎるわ。あなた、この人間で何がしたいわけ?」

「……ウェリネ、少し耳を貸してください」

「はあっ?」


 あきれ返るウェリネに構わず、バールは静かに近づくと何やらひそひそと耳打ちをした。

 話し終え、一歩離れたバールに、ウェリネが真剣な顔で問いかける。今までの冗談めいた雰囲気が嘘のような真顔。美の彫刻のようだ。


「……本気?」

「もちろん本気です。対価としては十分でしょう? ウェリネが少し協力してくれれば確実です。この程度ならあなたの力でできるでしょうし」

「約束を違えたら?」

「約束とは契約も同様。私に不履行などありえません」


 自身に満ちた様子のバールは一歩も引かない。

 ウェリネがうつむいてしばらく考え込み、ため息をつくと同時に顔を上げた。

 そこにはぎらつく瞳。隠しきれない野心が見て取れる。


「……いいわ。協力してあげる。でもどの程度のものになるかわからないわよ」

「それは承知のうえですが……十中八九、今以上のものにはなるでしょう」

「そう。サナトって人間はそれができるのね? …………ロキエル、ちょっとこっとに来なさい」


 蚊帳の外に置かれていた白衣の悪魔が手招きで呼ばれ、すばやくウェリネの元にやってきた。

 一体何が始まるのだ、と緊張感がにじみ出ている。

 ロキエルにとっても明らかに異常事態なのだ。


「待て。いい加減に俺にも説明しろ。当事者を無視して悪魔だけで話を進めるのはまったく気に入らない」


 リリスを伴って近づいたサナトをウェリネが眺める。

 呆れとも感心ともとれる表情だ。


「骨まで砕いたのに元気ね。普通の人間なら二度と私に近づかないわ」

「あいにく、身勝手な暴力は何度も体験しているからな」


 皮肉に笑うサナトに、ウェリネが「自慢にならないわ」と微笑んだ。でも、と前置きしたうえで続けた。


「引かない姿勢は悪くないわ。……いいでしょう。悪魔の深淵を覗いた人間よ。少しばかり説明してあげる。第一級悪魔の私がね」

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