第58話 もう一つの戦い

 空気を切り裂く飛来音が響く。と同時に、アズリーはそれを戦士顔負けのスピードで横っ飛びでかわした。満足に体勢を整えている時間は無い。すぐに立ち上がり、一方向に駆け出した。


「まったく変わらないな」


 ヴィクターが吐き捨てるようにつぶやいた。

 この戦法で勝てると思われているのか、それともこれ以外の攻撃パターンが無いのか。

 ミノタウロスの先手は毎回同じだ。数匹で手斧を投げて、あわよくば仕留めることを狙いつつ、こっちの陣形をバラバラにしてくる。

 その後、数の多さを活かして、一人の冒険者に複数で襲いかかるのだ。

 逆に言えば、初っ端の投擲で狙いを外してしまえば、その心配は無くなる。防御の薄い魔法使いには危険だが、来ると分かっていれば回避は困難ではない。

 アズリーがちらりと全員の無事を確認した。

 戦士として図抜けたヴィクター、タンクのサルコス、そして補助系魔法の使い手のダンがミノタウロスの動きを確認しつつ駆け出す。初撃はうまくかわせたが余裕は無い。一直線に走り出していた敵が進路を曲げて、追いかけていく。

 速度は出ていない。短距離走なら冒険者に軍配が上がる。


「止まるなよ。足を止めれば捕まるぞ」


 経験豊富なサルコスが、全員に発破をかけた。最も重装備の男は、アズリーの背中を守るように最後尾へと下がっていく。

 投擲武器がまだあるかもしれない敵に、背中を狙わせないためだ。


「ヴィクターさんっ!」


 アズリーの前を駆けていたダンが悲痛な声をあげた。ダンはヴィクターを崇拝に近いほどに頼りにしている。

 どこに行ってもトップクラスの戦士は、彼の憧れだ。

 だが、そんなリーダーは、後ろを追いかける仲間も、方向転換してくる敵も無視して、最奥に鎮座し眺める大きなミノタウロスだけをにらみつけている。


「今度こそ殺してやる」


 仲間の声は耳に届かない。走りながら、流れる動きで腰に佩いたロングソードを抜き放った。全長九十センチほどの刀剣が、きらめきを放ちながら、ヴィクターの意のままにその軌跡を描く。

 貴様さえ殺せば。

 そう物語る瞳は鬼気迫るもの。アズリーは無言でヴィクターを見つめ、見ていられないとばかりに視線を落とした。

 ダンは、彼の背中に攻撃力を高める補助魔法と防御力を高める補助魔法を二度かけた。ほんの少し、何かを期待したような視線が続いた。

 しかし、ヴィクターは振り返らなかった。速度を上げて、一直線にミノタウロスに急襲する。本気の走りはたちまち残りの三人を突き放した。


「……やはりこうなったな」


 サルコスが諦観の表情で言った。

 再挑戦の前に、彼は作戦を変えるべきだと散々主張した。


 ――敵の頭を一騎打ちで倒し、戦意をくじかせてから残りを撃破する。だから、しばらく耐えてくれ。あいつだけはほかのミノタウロスが手助けしない。俺が必ず殺してみせる。

 強い執着を感じさせたヴィクターの言葉。

 それは、一対一で確実に勝てる保証の無い敵を前にした無謀な作戦だった。

 自分の力を過大評価するリーダーを、サルコスは必死に止めた。無謀は作戦とは呼ばないぞ、と。


「ダン、目くらましを」

「……了解」


 痩身の男が、寂しげに杖を掲げて呪文を唱えるた。<水魔法>中級で使える<ミストエリア>。

 あたりに噴射されるように広がる濃い霧が、三人の姿をみるみる隠していった。鎧、ローブが一気に湿り気を帯びる中、サルコスの低い声が不安定な視界の中で響く。


「絶対に離れるなよ」


 打って変わって気配を殺し、迂回するようにして来た方向へ進路を取ったサルコス。

 あえて盛大に追いかけっこをして敵に自分たちの進路を印象付け、急な目くらましを使用して敵の視界を絶ち、真逆に移動する作戦。

 ヴィクターがパーティから離れてしまった以上、接近戦で決定打を打てる人間がいないために選んだ時間延ばしの苦肉の策だ。

 自らの視界すら不確かなこの距離では、もしも離れ離れになり、ミノタウロスに遭遇した時点で死が待っている。特に魔法使い二人は厳しい。

 

 以前ならば、サルコスが防御を固めつつ、魔法で大ダメージを与えることもできた。

 強力な攻撃魔法を使えるジェリタがいたからだ。

 アズリーは失った仲間を思い出し、悔しさでほぞを噛んだ。補助、回復、そしてタンク。アズリーも攻撃魔法を使用できるが、中級魔法までしか使えない。


「私がもっと――」

「静かに」


 自責の念を吐露しかけたアズリーの言葉をサルコスが制した。そのまま指先をとある方向に固定する。

 すぐ近くをミノタウロスが探し回っているというハンドサイン。

 慌てて口をふさぎ、目を凝らした。だが、姿はまったく見えない。先頭を歩くサルコスのみが探知しているのだろう。

 自分も何か手がないだろうか。

 うかつに居場所を教えることは危険だと分かっている。しかし、ヴィクターの様子も分からず、濃い霧の中で姿を隠すだけという状況は、アズリーの精神力を容赦なく削っていく。

 今にも真横からあの牛のような顔がぬっと現れ、長い両手用の戦斧を振り下ろしてくるかもしれないのだ。


(……怖い)


 広い空間に、刃物が激突するような音が響いた。

 アズリーは体を一瞬強張らせた。だが、距離は遠かったようで、小さく安堵の息を吐きだした。ヴィクターが今も大きなミノタウロスと刃を交えているのだろう。

 冒険者をしていれば、危険な場面は数多ある。己よりも強い敵、遥かに巨大な敵に出会うことも珍しくはない。

 だが、戦力差がある状況で閉鎖空間に閉じ込められ、しかも視界を失っているという事実は、時間が経過するほどにじわじわと恐怖を募らせる。

 脳裏に、ジェリタを失った時の光景がフラッシュバックした。


 それはヴィクターがミノタウロスに力負けし、吹き飛ばされたことに目をとられた瞬間だった。

 サルコスが三匹の猛攻を受けて崩れ落ち、ダンが杖で何とか一匹の攻撃を受け止めようとしたとき――ジェリタの首が宙を舞っていたのだ。

 何かが飛んだ、とアズリーが見上げた先で、悲壮な表情の頭部だけのジェリタと目が合った。

 同時に、胴体には遅れて戦斧の刃が二枚食い込み、体の中ほどまで切り裂かれた彼女は、血の雨を降らしながら壊れた人形のようにくるくると回り崩れ落ちた。

 物言わぬ死体となった彼女の泣き叫ぶ前のような瞳。


「うっ」


 アズリーはのどの奥に上がってきた酸っぱさを必死で飲み込んだ。胃がひっくり返されたような気持ち悪さが後から後から湧いてきた。

 思わず、片手で口を押えようとしたその時だ。


「――あぁっっ」


 順調に目の前を歩いていたはずのダンが、くぐもった声をあげて倒れた。

 同時に、みるみる霧が薄くなった。

 程なくして見えたのは、膨れ上がった筋肉を無理やり押し込んだような体のミノタウロスたち。

 手斧を持つ者も、戦斧を持つものも、その浅黒い肌には霧による水滴が浮かんでいる。

 八匹のミノタウロスの位置はバラバラだ。散らばってアズリーたちを探していたのだろう。

 目を凝らせば、遠くでは未だにヴィクターが激しい戦いを繰り広げている。右に、左にかわしつつ、隙を見つけて攻撃を繰り返していた。だが、明らかに劣勢だった。

 迫りくる凶悪な斧を何とか受け流しては、どんどん背後に距離を取っている。


「くそっ、まぐれか」


 ミノタウロスの中に、手斧を三人に向かって投げつけ終えたあとの体勢で停止している者がいた。

 分かりにくいが、驚いているようにも見えた。

 しかし、その顔がゆっくりと、邪悪な笑みへと変化していく。まるで、「そこにいたのか」と言わんがばかりの喜悦の表情。

 サルコスが舌打ちをして、ダンに駆け寄った。アズリーも遅れて、続く。


「しっかりしろ、ダン。アズリー、<ヒーリング>を」

「うん。聖なる光よ、ヒーリング」


 不安な気持ちを押し殺して、膝をついた。

 温かい光がアズリーの右手を包み、そのままダンに当てられる。

 斧を肩に受けたような傷口は、血を後から後から吐き出していた。しかし、優秀な回復役の魔法は立ちどころにその傷口を塞ぐことに成功した。

 二人の表情が幾分ほっとしたものへと変わり、青白い顔のダンが弱弱しく礼を述べる。

 サルコスが険しい顔つきで立ち上がった。


「ダン、もう一度、目くらましだ。私が何とか時間を稼ぐ」

「……わかった」


 決死の覚悟で盾を体の正面に構えた男は、アズリーの体を借りて立ち上がるダンを横目で確認した。


「なるべく早く頼む。さすがに持たない」

「分かってる」


 サルコスは苦笑し、アズリーがここぞとばかりに声を出す。


「私も魔法で援護するわ」

「……それはやめてくれ。二人も標的にされたら守り切れないんでな」

「でも、サルコスだけじゃ……」

「なら、ダンを早く回復させてやってくれ。……では私は行く」


 有無を言わせなかった。

 巨大な盾の重みをもろともせず、サルコスが走り出した。もう立てる音を遠慮する必要はない。むしろ、がしゃがしゃと高らかに鎧を鳴り響かせ、必要以上に声を張り上げた。


「かかってこい! のろまな牛ども! 私はここにいるぞ!」


 これがタンクの仕事だと言うように、己の胸をどんと一度叩いて、ミノタウロスの視線を集めた。そして盾の底を地面に突き刺し、背後のアズリーに視線を向けた。

 

 ――私が死のう。

 

 長い付き合いで、アズリーにはサルコスが言いたいことがすぐに分かった。達観した顔が、その証拠だ。

 誰かが死ぬか、ミノタウロスを全員殺すかしか出られない部屋。

 冷静に状況を俯瞰すれば、ヴィクターがあのミノタウロスに勝てる見込みはない。一匹だけならまだしも、疲弊しきった状態での連戦は厳しい。

 それならば、ヴィクターには悪いがこの部屋を脱出してしまった方が良いという最年長の判断だ。


「私がやるわ!」


 アズリーは反射的に叫んだ。

 死ぬのは楽じゃない。ジェリタのような死に方をすると考えると勝手に膝が揺れた。

 与えられる肉体的、精神的なダメージ。

 特に精神的な衝撃はすさまじい。恐怖のあまり、一度負けたボスに挑むことができなくなる冒険者は珍しくなかった。

 加えて、死ぬことによるリスク。次は高価な復活の輝石が無ければ復活できないというペナルティ。

 死んで良いことは一つもない。

 それに、サルコスは前回に一度死んでいる。ジェリタのように蘇生アイテムを持っていないわけではないが、生き返るために、アイテムを計算に入れているのだ。

 ――自分はまだ一度も死んだことがない。

 目線で伝えたアズリーに、タンクの男は「それは認められません」とばかりに首を振った。

 

「蘇生アイテムは危険だって言ったところなのに……」


 アズリーがぼそりと毒づいた。と、その時だ。

 サルコスの両の瞳が、見てはならないものを見たかのように、大きく見開かれた。

 見る間に盾をその場に放り出し、体を反転させて走り出した。思うように前に出なかった足が、もつれて倒れかけるのを、立て直して必死に叫んでいる。

 それは急を告げる言葉。


「お嬢様っ!」

「……えっ?」


 必死の形相が見つめる先は、アズリーの頭上。何かをとらえている。

 アズリーが視線の先を追って見上げた。

 重量のある何かが地響きを立てて落ちてきた。


「十匹目っ!?」


 一瞬であっても、緩んだ気持ちは戦場で命取りとなる。歴戦の戦士、ベテランであっても集中力を永遠に維持することは不可能だ。

 それでも、アズリーの対応は早かった。経験を活かし、即座に飛び退こうとした。しかし、その場には力を失っているダンがいた。

 自分が避ければ、ダンが死ぬ。

 頭によぎった思いが、彼女の選択肢を限定した。

 ――それなら受け止めてみせる。

 目の前で振り上げられた戦斧を止められるかはわからない。だが、余計なことを考える暇はない。その瞬間、アズリーに恐れはなかった。

 両手で支えたロッドに凄まじい重みがかかった。腕が折れたと錯覚するほどの衝撃に襲われた。

 生じたわずかな抵抗。ロッドの柄がほんの一瞬耐えた時間だった。

 続いて、両腕が外側にはじかれたような衝撃。自分の目の前を高速で降りていく銀閃。

 そして――

 突如襲い来る、灼熱のごとき胸の熱さ。

 何が起きたかははっきりと理解していた。


「みんな、ごめんね……」


 アズリーは膝から崩れ落ちた。



 ***



「くそっ!」


 なりふり構わないサルコスの体当たりが、低く不気味な声で笑うミノタウロスを横から吹き飛ばした。

 腰に差していたショートソードを抜き放ち、アズリーを攻撃した一匹の上へととびかかる。低確率で麻痺を与える武器を、二度、三度を力いっぱいたたきつけた。


「ダンっ! 傷を塞いでくれ!」


 足取りのおぼつかない痩身の魔法使いが、倒れたアズリーに駆け寄った。

 残りのミノタウロスたちはあざ笑うように光彩の無い漆黒の瞳で眺めている。無駄な努力だと言いたいのだろう。

 回復魔法を使用できないダンは、アイテムボックスから回復薬を取り出す。

 力を失ったアズリーの体勢を何とかあお向けに変え、息を呑んだ。体には見事に真っ赤な縦線が描かれていた。ローブが切り裂かれ、筋肉がぱっくりと口を開けている。

 思わず目を背けかけたダンだが、アズリーはまだ生きていた。横たわって荒い息を吐きながらも仲間のことを問いかけた。


「……ダン、サルコスは?」

「ミノタウロスと格闘中だ」


 うつろな目がふっと微笑むように細められる。


「ヴィクターは?」

「……戦闘中だ。まだがんばってる」

 

 ダンはアズリーに教えるように指を差してその方向を示した。

 ぐるりと辺りを見回せば、サルコスが再び跳ね返されていた。元々、ミノタウロスに力勝負を挑むことがありえないのだ。こうなることは時間の問題だった。


「ダン、調子は?」

「最悪さ。だが、まだやれる。ヴィクターが負けてないのに俺が死んだら恨まれるしな」


 ダンは、ゆっくりと近づいてくる残りのミノタウロスをぼんやりと眺めた。死を運ぶひたひたという足音と、にぶい銀光を放つ戦斧が、残り時間を宣告していた。

 もう間もなく、誰かの命は潰えるだろう。

 強気な言葉とは裏腹に、大きなため息を吐いた。

 どんなに足掻いても、逆転の手はなかった。そう思っていた。


「……じゃあ、私も死ねないね」


 しかし、最も死に近い魔法使いはそうつぶやいた。命の灯が消えようとするわずかな時間の中、右手が何かを探している。


「どうした?」

「……腰に魔法銃ある?」

「これか? お前、こんなの持ってたか?」


 はだけたローブの合間に手を突っ込んでみると、銀色に輝く魔法銃が出てきた。虚空に伸ばされたアズリーの手がひらひらとそれを求めていた。

 ダンは訝しく思いながらも、握らせた。

 アズリーが少しだけ嬉しそうに微笑んだ。


「そんなのどうするんだ?」

「……助けてほしいって頼むの」

「魔法銃ごときで助かるのか?」

「……大魔法使いのみぞ知るって感じかな」


 瀕死の魔法使いは震える腕を天井に向けた。今か、今かと銃口が口を開けている。

 アズリーは一人の人物を思い描き――

 トリガーを軽く引いた。

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