第56話 工夫次第で

「バールは……まだ遊んでいるな……一体何をやっているんだ? あの程度の敵なら一蹴できるだろうに」

「何か……試しているようにも見えますけど」


 身軽な動作で残り一匹のミノタウロスの周囲を移動するバールの顔つきは珍しく真剣だ。

 時折、振り下ろされる戦斧を片手で受け止め、時に両手を使って受け止め、そしてはじき返す悪魔は、リリスの言うように実験をしているように見える。


「確かに何かしているようだな。まあ、あいつは放っておいても大丈夫だろうが」

「そんなことより、マスター、さっきの魔法ってやっぱり『正と負』を変えちゃったからああなったの?」


 ルーティアの興味津々な両目がサナトに向けられる。


「ああ。……時間もかかりそうだし、一応二人には説明しておくか」


 サナトはその場に軽く腰を下ろした。二人の少女も合わせて座る。もはや戦いの気配はその場にはない。

 たった一つ聞こえる荒い息遣いは、奥のエリアで憐れにも悪魔に弄ばれるミノタウロスのものだ。


「まず、<回復魔法>の初級スキルには二つの魔法が含まれている。一つは<ヒーリング>、HPを少量回復するもの。そしてもう一つが<麻痺治癒>、状態異常の麻痺を治療するものだ」


 サナトは落ちていた適当な大きさの小石を拾って地面に文字を書き始めた。徐々に現れる情報。

 それは彼とルーティアがいつも見ている画面の一部。

 今回は説明用だ。

 自分のためだと気づいたリリスが体を乗り出してのぞき込んだ。


 麻痺治癒

《源泉》 ???

《種類》 状態異常回復

《正負》 正

《必要MP》 7

《確率》 80%

《対象》 単体

《呪文》 聖光よ、痺れを打ち払え

《精製速度》 2

《その他》 麻痺


「元の<麻痺治癒>を変更し――」


 病魔の領域

《源泉》 ???

《種類》 状態異常回復

《正負》 負

《必要MP》 1

《確率》 100%

《対象》 範囲(円)

《呪文》 

《精製速度》 10

《その他》 麻痺


「……と、こうしたわけだ。使い勝手が良さそうだから新しい魔法として名前を変えて登録もしておいた。さらに面白いのは『その他』の欄だ。ここは言わば、共通の魔法設定に対し、個別の効果を認識させる部分だと思うのだが――」


 サナトは地面に『毒』と文字を書き、小さく笑う。

 状態異常回復という分類の魔法。それは麻痺だけではなく、どの状態異常にも適用される仕組みなのだろう。

 ただ、中身が少し異なるだけなのだ。

 だからこそ――

 

「『麻痺』を『毒』に変えるだけで、毒回復が可能になる」


 リリスが「あっ」と小さな声をあげた。

 少し考えこみ、納得したように小さくうなずく。


「だからご主人様は毒の爪で……」

「そういうことだ。最初に<麻痺治癒>が<毒治癒>に変更できるのかを試していたんだ」

「そうだったのですね……」

「しかも、『その他』は条件を一つに限る必要はないことも分かった」

「……どういうことですか?」

「つまり、『麻痺』と『毒』を混合できるんだ。状態異常の種類さえ分かれば<病魔の領域>は同時に複数の異常を与えることができるようになるはず。しかも、もしも『正負』を再度逆転させれば、今度は癒しの領域に早変わりだ」

「うわぁ……やられる方にとってはとんでもない魔法だね」

「……ご主人様はすごいです。こんなことを思いつかれるなんて」


 リリスの素直な賞賛に、サナトは首を振り「それは違う」と口にした。


「俺は発想を変えただけで、全部<解析>の力だ。このスキルはすごい。たった二つの何でもない魔法をここまで激的に変えてしまう力があるからな。ルーティアのおかげだ」

「……えへへ。あっ、じゃあもう一つの<絶対浸食>は?」

「『絶対』なんて大層な名前だが、そっちは簡単だ。<ヒーリング>の『正負』を逆転させて、回復量を500にしたんだ。もちろん呪文を消したり、範囲を広げたりしたうえでな。回復魔法耐性なんてものが存在しなければ、軽減や半減すら不可能な魔法となる」


 サナトは持っていた小石を軽く放り投げた。

 ゆっくりと立ち上がり、ローブの土を軽くはたき落としながら、足の裏で地面をこする。

 二人の少女が感心しきった様子で腰を上げた。


「ご主人様」

「ん?」

「私ももっとがんばります!」


 明るい表情でリリスが微笑む。

 主人がまた一歩前に進んだことがうれしかった。ルーティアも優しい表情でそれを見つめる。


「頼むぞ。何だかんだと言っても、俺が魔法を使うまでの時間はリリスに稼いでもらう必要があるからな。それに……接近戦はあまり得意じゃないしな」

「はいっ!」

「俺も、リリスに負けないようにまだまだ強くなりたいと思う」

「あっ、マスター、私も私も!」

「…………そうだな。だが、その前に、ルーティアには少し話がある」

「……え? 私に?」



 ***



 三人が新しい魔法の力について談笑しているころ、バールは一人戦っていた。

 一瞬で終わったサナトの戦闘のせいもあるが、まだ予定していた分析は済んでいない。

 かわし、軽く殴り、消えて翻弄する。

 殺さないように、慎重に回復薬を敵に使用しながらHPの残をにらむ。

 彼は武器を有していない。

 レベル80超えともなると、振るう肉体だけで十分に始末できてしまう。


 一通りの確認を終え、バールは積極的に前に出た。

 少しばかり力を込めた手刀が、丸太のような腕を肘の上から切り飛ばした。悲鳴とも怒声とも聞こえる声をあげたミノタウロスは、光の塵と消えた己の腕を一瞥し、それでもなお悪魔に襲い掛かる。

 必死の形相。

 自分以外の仲間がどうなったかなど強敵を前にして気にする余裕はない。元々、最も強いこの一匹は助けを必要としないが、今だけは助けが欲しいだろう。

 隔絶たる差に顔が醜くゆがんでいる。

 だが、それを涼しい顔で見つめる悪魔の瞳は無機質な研究者のようである。

 戦斧を破壊され、肉弾戦を余儀なくされる獣の猛攻をあっさりと受け止め、様々な角度からしげしげと眺めている。 


「ふむ。片腕を切り落としても『力』は変わらず。ただし、攻撃力が一番高いのはやはり腕と足。防御は、どの場所も誤差の範囲……」


 視線を動かすことなく、バールは左の手刀を胸の前から外に向けて振るった。と同時に、再び舞う光の塵。

 もう一本の腕が切り飛ばされた。

 荒い息を小刻みに吐くミノタウロスが、絶望に顔をゆがめる。


 そんな馬鹿な。


 感情を言葉にしろと言われれば、間違いなくそう言うだろう。こんなに規格外の敵に出会ったことがあるはずがない。

 だが、驚いてばかりはいられない。この30階層を守る獣にも意地はある。

 もはや圧倒的な力の差は埋めがたい。

 ゆえに、負けられない、ではなく、一矢報いてやる、という意地が。

 その想いは、さらに前に足を進ませる。攻撃手段を失った獣に残された方法。


 頭。


 人間よりはるかに硬い頭蓋は、ミノタウロスの力をもってすれば比類なき鈍器へと変わる。事実、冒険者を何人も屠ってきたこともある。

 しかし、これでもくらえ、と渾身の力を込めた頭を、悪魔はこともなげに片手で受け止めた。

 それは、あまりにも軽い物を手の平に乗せただけと言わんがばかり。

 バールの細い指先が頭蓋にめり込み、ミシミシと頭部がきしむ音が響く。


「腕と足だけかと思っていましたが、こうしてみると頭突きも意外と力がある。今のは胸も、腹筋も使用しているはず。ということは……」


 赤髪の悪魔はとんっとステップを踏んで飛び上がった。その先は岩の上。まるで背中に目があるかのごとき着地点の正確さは驚嘆に値する。

 バールは口角を上げ、瀕死のミノタウロスを睥睨する。


「やはり、『防御』の数値も影響がありそうですね。ステータスには見えない『基礎筋力』とでも言いましょうか。魔法系能力も期待できそうだ……これは素晴らしい」


 輝く瞳が瀕死の獣を眺める。

 そこに宿るのは狂気と、新たな知識を得たという喜び。

 仮説は立証された。


「感謝しますよ。取るに足らない相手も、たまには役に立つ。あなたは十分に働いてくれました。では――」


 ごきげんよう。


 声には出さずに口を動かした。

 途端に、足を止めていたミノタウロスが消えた。足元から落ちたように暗い穴に吸い込まれたのだ。

 しんと静まり返った空間。残ったものは何もない。

 断末魔さえ響くことはなかった。

 悪魔が漏れ出すような低い笑い声をあげて、天井を見上げた。 


「……それなら手はある」


 バールは静かにつぶやき、いずれ訪れる未来に思いをはせた。



 ***



「やった!」


 熱気と殺気が入り混じる30階層で、一人の人物が弾んだ声をあげ、飛び上がって手を叩いた。

 ミドルショートの茶髪の女性。アズリーだ。

 ボス部屋につながる重厚な石作りの扉が、銀色から淡い青色へと変化したのだ。これは室内のボスを撃破した確かな証。ここまで来た冒険者には周知の事実。

 有名な彼女が嬉しそうに頬を緩め、何事かと釣られて扉の変化を目の当たりにした数々の冒険者が次々と驚きと困惑の表情を連鎖させていく。

 扉に背を向けて座っていたギルド職員――チエラ――も「まさか」と口にして振り返った。


「……すごい。本当に突破してしまうなんて」


 チエラと護衛の男性がぽかんと口を開けた。

 彼女が知る限り、この部屋を通過できた例は過去数えるほどだ。前任から引き継いだ紙の束――挑戦の順番待ちを記した紙――を見返しても、ほとんどがバツ印。つまり失敗している。

 そんな関門を、サナトのパーティは一度目で通過したのだ。


「アズリーさんの言ったとおりになりましたね。今でも信じられないですけど……」

「でも扉の外にも倒れていませんし、間違いないです。あの方たちはミノタウロスを全員倒したってことです」


 アズリーが我がことのように嬉しがる。目に少しかかった髪をかき上げ、両目でしっかりと扉を眺めた。

 どんな戦いをしたのだろうか。

 ミノタウロスのレベルは20を少し超えた程度と言われている。

 対する冒険者のレベルは低くても20後半。高くて30後半だ。まさにアズリーのパーティのリーダーであるヴィクターがそこに位置する。

 だが、その程度のレベル差では戦力差を覆すことは難しい。敵はミノタウロス。同レベルなら基礎ステータスがそもそも違うのだ。

 九匹の敵に対し、冒険者は最大でも六人で相手をしなければならない。作戦はもちろん、対等以上に戦えるメンバーが一人、二人必要だ。


(この短時間で一気にレベルは上がらないだろうし、サナトさんのパーティは作戦型かな。よっぽどいい作戦があったんだろうな。あっ、でも例の切り札を使ったっていう可能性もあるんだよね……)


「だいぶん長い時間戦っていたみたいですから、すごい戦闘だったんでしょうね」

「ええ……きっとそうです」


 考え込んでいたアズリーがチエラのセリフに顔を上げた。

 彼女の言う通り、かかった時間は長かった。

 力の差があれば、戦闘は短時間で終わる。いたぶるような特殊な戦い方を好む人間でなければ、あっさりと終わるのが普通だ。

 それ以外に危険な敵との戦いを長引かせる理由はない。


(あのメンバーにそんな特殊な人はいなさそうだったし……ちょっと目立つ人はいたけど)


 少女二人が何かと目立っていたのは気づいていた。

 チエラが心配するような魅力的な容姿は当然だが、あどけなさが残る年齢でありながら強者に見えるという相反する雰囲気と、青と白基調の装備が発する異常な気配。

 特に小柄な少女は大きなバルディッシュがあまりにも不釣り合いなのだ。

 そんなちぐはぐな気配を、アズリー同様、近くにいた者の何人かは感じただろう。

 だがそれよりも問題は、変わった身なりの赤髪の男だ。

 装備らしい装備は一切身に着けていないうえ、サナトのようなローブを纏ってもいなかった。ありえないが、ほぼ丸腰と言える。

 体術の達人か、無防備な魔法使いなのか。

 サナトの従者のようにも見えるが、そう割り切るには何かが引っかかる。


(まあ、サナトさんのパーティメンバーだろうし、悪い人ではないとは思うけど)


 アズリーはそう結論付けて正面を再び見つめた。

 扉は今も淡い青色の輝きを放ち続けていた。

 耳をそばだてれば、あちこちから様々なパーティの会話が聞こえてくる。

 「嘘だろ?」「どこのパーティだ?」――全員がサナトを知らない者たちだ。

 早速、情報を集めようと動き出したパーティもあるが、周囲に聞いても誰も答えられないだろう。

 アズリーは少しだけ胸の内で得意になる。

 彼と接触したのは私だけかもしれない、と。

 だが、そんなアズリーも戦い方についてはまったく知らない。


(あぁ……、どんな魔法が使えるかくらいは聞いとけば良かった。どうしてあの時、頭が回らなかったんだろ。いつもなら会話相手との情報交換は忘れないのに……あの時はなんだか会話をすることがとっても楽しかったんだよね……手だって握られたし……)


 思い出すと、徐々に顔が熱くなっていく。アズリーが振り払うようにぶんぶんと首を振って、小さくため息をついた。

 顔には何か複雑な感情が浮かんでいる。

 チエラが目ざとくそれに感づき、目を細めた。人の観察に慣れているギルド職員の特技の一つだ。


「……どうかしました?」

「え? べ、別に何でもないです。サナトさんが通過できて本当に良かったなぁってほっとしただけですよ? 私が守る必要も無くなって肩の荷が降りました」

「……そうですか」


 チエラはそれ以上尋ねなかった。

 別のことに気を取られたからだ。

 大きな盾を持った黒い髪の男が鎧を鳴り響かせながら、アズリーに向かって一直線に近づいてきた。

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