第54話 30階層

「ご主人様、さきほど黒い爪のようなもので何をなさっていたのですか?」

「あれか? 自分を引っ掻いて毒状態にしていたんだ」


 横から様子を窺うように並んだリリスが「え?」と驚いた声をあげた。サナトが「実はな……」とアイテムボックスから黒い指先の長さほどの爪を取り出す。今にも毒液が染み出しそうな光沢を放っている。

 迷宮の1階層をうろうろしていた時に出会ったワンダースケルトンが落としたアイテムだ。一度は売ろうとして、結局は手元に置いたアイテム。

 サナトは当時を懐かしむように目を細め、目の前に持ち上げる。


「こいつで腕を傷つけたんだ」

「……どうしてそんなことを?」

「毒状態を治癒できるか確認するためだな。<回復魔法>を手に入れたから色々といじっているんだが、面白いことも分かってきた」

「面白いこと……ですか?」

「まあすぐにお披露目できると思う。楽しみにしててくれ」

「ご主人様のことですから、お考えがあると思うのですが……あまり自分を傷つけるのは……」

「悪い、心配させてしまったか。だが多少痛いだけで別に危険なことじゃないんだ。最悪魔法で治らなくても、ここには毒に効く薬も売っている」

「……ですが」

「さあ、この話はもう終わりだ。俺たちもそろそろ行こうじゃないか。30階層のボス部屋とやらに。あまり他を待たせると順番待ちの最後に回されてしまう」


 目の前には大きな門が見えている。冒険者にとってはバルベリト迷宮における大きな関門だ。くぐるのは簡単でも通過は難題の門。

 幾たびも挑戦者を跳ね返してきたのだろう。

 くすんだ銀色の扉がいかにこの迷宮が長い歴史を持つのかを伝えてくる。

 サナトは出入口付近だけを避けるように囲む高位の冒険者の集団を一瞥した。彼らはこの次に挑戦するつもりなのだ。

 武器の準備に余念がないパーティが多い。


「えっと、順番待ちのサナトさんのパーティですね。ここでお見掛けしたことはありませんけど初挑戦ですか?」

「ええ。何か問題が?」

「いえ……ただ、ギルドは完全な安全の保障ができないという点をご理解いただきたくて。なにせ私たち二人ですから。ところで、親しいパーティはありますか?」


 扉付近に簡素な木椅子を置いて腰かける一人の若い女性がそう問いかけた。隣には護衛らしき男性が一人いる。いずれもギルドの紋章を胸に付けた制服らしきものに身を包んでいる。

 派遣された職員だ。

 30階層には特にたくさんの冒険者が集まってくる。それも強く、プライドが高いものたちが多い。

 いくら暗黙のルールで順番待ちをしろと言っても腕っぷしに自信がある人間ばかりが集まると、時には争いになることもある。

 そこで、日中の人が多い時間帯だけはこうして順番をギルド職員が受け付けて取り仕切る形にしているのだ。

 もちろん、彼女に手を出した場合にはギルドからお尋ね者として手配されるという重い罪が待っている。


「……いえ、親しいと呼べるパーティはいませんね」

「そうですか……」


 気の弱そうなギルド職員の表情が少し曇る。

 一瞬、リリスに視線が向き、そしてルーティアに移動した。そこでため息をつく。


「二人がどうかしましたか?」

「あの……初挑戦ということなのであっちで説明をさせてもらっていいですか?」

「もちろん構いませんが、あまり他の方を待たせるのは……」

「すぐに終わりますので」


 ギルド職員は周囲の目を気にするように一人椅子を立った。サナトはほかのメンバーに待機を伝えて後に続く。

 後方から「ギルドのお姉ちゃん、説明したって駄目だぜ」、「分かっていてもここで引き返すやつはチキンだからな」という下卑た声が聞こえてくる。

 その声に、職員は「最低なやつら」と顔を合わせずに吐き捨てるようにつぶやいた。

 サナトは人が変わったような様子に首をひねる。


「……何かルールがあるのですか?」

「そうじゃないんですけど……この部屋で負けた時のことはご存知ですか?」

「負けた時? いえ、知りませんが」

「やっぱりそうですか……ボス部屋では、誰かが死ぬと全員が気絶して外に放り出されます」

「気絶して?」


 職員が大げさにため息をついた。やるせない表情にはあきらめの感情が浮かんでいる。気の毒そうにサナトの後方にいるメンバーを見た。

 サナトもつられて振り返ると、偶然リリスと目が合った。


「気絶時間が結構長いんです。それで……その……気絶中にいいようにされてしまうことがありまして……特に新人や、他のパーティに嫌われていたり、親しいパーティがいないと……俺が介抱してやるから、ってやつらがたまに出てくるんです。むしろそれを目的にしているような輩もいるくらいで……ギルドとしても何か手を打たないとと思っているんですけど……」

「ああ、なるほど……」


 サナトはようやく合点がいった。

 この職員は負けて気絶状態で放り出されたときに、リリスとルーティアが慰み者になるかもしれないと言っているのだ。

 自分ではそんな輩を止められないから、何か対策を打ってほしいと。

 何度もそんな場面を見るのはつらいに違いない。直接現場を見なくとも、連れていかれる場面を目の当たりにすれば、正義感の強い人間は怒りも湧くだろう。


「ご心配いただいたことには感謝します。ですが、問題ありません。僕のパーティメンバーはとても強いので」


 にっこりと職員に微笑んだ。作り笑いではなく、心の底から感謝を込めて。

 こんな環境で純粋に心配してくれるギルドの職員の心根が心地良かった。

 しかし――結論は変わらない。

 にべもない返事に、職員が慌てる。


「けど……その……特にサナトさんのパーティは目立つので……」

「でしょうね。二人とも美人ですから」

「……それでいいんですか? 皆さん一度目は自信満々で挑戦しますけど、私がここに座ってから突破したパーティはいませんよ? 誰だって負けることはあります」

「ほかのパーティよりは少しだけ自信がありますので」

「それでもリーダーとして、なにか手を――」

「チエラさん、大丈夫ですよ。サナトさんのパーティは私が守りますから」


 いらだちを見せる職員が、非難に近い声を上げた時だ。

 落ち着いた声がそれを遮った。

 近づいてくるのはサナトの顔見知りの人物。ミドルショートの茶髪に茶色の瞳。白いローブから突き出された細めの手には、透明に近い宝石をあしらった短杖を持っている。

 彼女は心配事を取り除くようにやさしく続ける。


「私が決して、ひどい目には合わせませんから」

「アズリーさんっ!」


 チエラの表情が明るく変化した。憧れの人物なのかもしれない。

 走り寄った彼女は、「ありがとうございます」と礼を述べてアズリーの手を取った。


「サナトさんも構いませんか? 他に懇意のパーティの方がいるなら……」

「いえ。残念ながら繋がりは少ないもので。ありがたい話です」


 サナトはそう言って頭を下げた。

 チエラが不思議そうな顔で二人の様子をうかがう。アズリーの手を握ったまま何度も行ったり来たりを繰り返す。

 しかし、それ以上のセリフは二人から出てこない。チエラはしびれを切らして尋ねた。


「サナトさんは新人って聞きましたけど、アズリーさんとお知り合いなんですか?」

「……知り合いと言っていいものかどうか怪しいですが」

「いえ、知り合いですよ」


 くすくすと笑うアズリーからサナトはばつが悪そうに視線を逸らす。どう答えようかと迷って、当たり障りのないぼやかした返事を見事に切り返された結果となった。

 だが、知り合った経緯について、ギルド職員の前で赤裸々に話すつもりはない。サナトは早々に話を切り上げる。


「とにかく……アズリーさんには感謝します。それでは、次の人が待っているので……チエラさん、ほかに何か話は?」

「いえ、大丈夫です。アズリーさんが守ってくださるなら何も。…………初挑戦頑張ってくださいね」

「もちろん。では僕はこれで。アズリーさんもまた」

「はい。またどこかでお会いできる日を楽しみにしています」


 サナトがローブを翻して仲間の元へと戻っていく。歩みに気負った様子は感じられない。ただ淡々と日常を歩むようだ。

 チエラが背中を眺めながら感嘆の声をあげた。


「なんだか、初挑戦って感じがしない人ですね」

「落ち着き払っていますけど、サナトさんも苦しんだ時期があるみたいですよ。ただ――」


 アズリーがチエラの横に並ぶ。頭一つ分小さなチエラは隣を見上げた。


「成長が早すぎるんですよね」

「早すぎる……ですか?」

「ええ」


 アズリーはサナトという人物について考える。

 1階層で出会ってから30階層まで来ている日付を逆算すると明らかな異常がある。もしも最初に出会った時点で実力を隠していなければ、人間がどうやっても成し遂げられないような成長を彼はしたことになるのだ。

 そうでなければここまでたどり着くことは不可能だ。

 パーティメンバーも同レベルだと考えればさらに難題となる。しかもどのメンバーの顔にも心当たりがないときている。


「アズリーさん、そういえばさっきサナトさんに『また会ったら』って言ってましたけど、もしかして突破できると思っているんですか?」

「たぶんですけど……」

「ほんとですかっ!? アズリーさんでも突破できていないのに?」

「……私なんてまだまだですよ? たぶん世の中にはたくさん上を行く人がいるはずですし。それに、サナトさんにはいざという時の切り札があるみたいですから」

「切り札ですか?」

「ええ」


 ――大魔法使いの禁忌の魔法、がね。


 アズリーは口の中でその言葉をつぶやき、もらった魔法銃を思い浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます