第50話 快進撃

 20階層はボスモンスターの部屋が一つだけ存在していた。

 部屋の奥の扉が厳めしい音を立てて開くと、その先には地下に降りる階段が現れた。

 階段に足をかけようとしたサナトは、後ろ髪を引かれる思いで振り返る。


「……もう一度戦うことはできないのか?」

「ボスモンスターは倒されると復活に一日はかかると聞いたことがあります」

「となると……さっき門の前で待っていた冒険者はずっと待ちぼうけになるぞ」

「さすがに部屋の前に現れないので気づくでしょう。全滅すれば先ほどの人間達のようになるのですから」

「それもそうか……」


 薄暗い階段を降りた。

 いつもの階段よりも細く長い。降りた先に小さな岩の扉があった。リリスが軽々と片手で開く。

 そして、悪魔以外の三人が驚愕に目を見開いた。


「これはっ……」

「すごーーいっ! きれーい!」

「迷宮にこんな場所があるんですね……」


 目の前には緑豊かな草原が広がっていた。吹き流れる柔らかい風、深緑の匂い。薄緑色の光ではなく、太陽光に似た温かい日差しが燦燦と降り注いでいる。

 足を踏み出せば背丈の低い雑草がくしゃりと音を立てた。


「幻覚魔法みたいなものかとも思ったが、本物っぽいな。ここだけ別世界のようだ」

「さっきまでと全然違うじゃん。もうここに住めそうなくらい良い場所! 池まである!」

「迷宮って薄暗い場所ばかりだと思ってました」


 リリスがしゃがんで地面に手を当てた。慈しむようにそばに咲いた白い花の花弁をつついている。

 そして、ほうっとため息をついた。


「いい匂いがします」

「確かに……風景も雰囲気もがらりと代わったな」

「でも迷宮の中には間違いないんだよねー」

「マッピングでは確かにさっきの部屋の真下か?」

「うん。迷宮の21階層は間違いないみたい」

「不思議現象だな。ところで、バール、敵の気配はどうだ? ん? どうした?」


 話を振られた悪魔が苦々しげな表情を見せている。その視線の先では小鳥が軽やかに鳴き声を上げている。


「鳥が嫌いなのか?」

「生き物はどうでもいいのですが、この争いの気配を微塵も感じない空気が好きになれないだけです」

「……さすが悪魔だな」

「お褒めに預かり光栄です」

「誉めていないが……で、敵の気配は?」

「皆無です」

「ならさっさと先に進むか。なぜかこのエリアもマップは狭いようだしな」


 一行は一匹のモンスターとも遭遇せずに、さらに階段を降りた。




 ***




「敵のレベルが急に上がったようだが……まあ、それほど変わらないか」


 嘆息するサナトの前に一匹の巨大なカエルが、どしんどしんと音を立てて近付いてきた。緑あふれる大地に両生類特有の足跡がしっかりと刻まれていく。

 目に痛い黄色の体に黒い縞模様。

 自然界で言えばスズメバチの腹部のようだ。

 視点のあわない濁った灰色の瞳が四人を捕捉してぎょろりと動く。ルーティアが一歩後ずさった。


「やっと出てきたけど……うわぁ……また近付きたくない感じ。なんで口の端からベロが垂れ下がってるわけ? あんな長いの食べる時に邪魔になるでしょ」

「たぶんカエルさんだと思いますけど……ちょっと大きすぎて気持ち悪いです。ぬめぬめ光ってますし……」

「あの大きな口に丸呑みされたら最悪かも。……ん? リリス、あそこ見て! なんか頭に本みたいなの載ってる!」

「あっ、ほんとですね……カエルさんがどうして本を? 分厚い本がよく頭から落ちませんね……」

「魔界では読書蛙とも呼ばれるエンシェントトードです。あの本には今まで目にしてきた魔法が自動的に記録されているとかいないとか。まあ意味不明な言語で書かれて読めないそうですが、奪い取られると所構わず溶解液を噴射するらしいですよ」

「え“? 溶解液とかますます近付きたくない……でも文字を使うなんて意外と賢いカエルなんだ……すごい」

「ルーティア殿よりはずっと賢いでしょうね。語彙力豊富な蛙ですから」

「あんた、いっつも一言多いよね!」

「ルーティアさん、突っかかっちゃダメですって! 思うつぼです。26階層の担当はルーティアさんなんですから、バールさんよりカエルさんに集中してください」

「そうです。さっさと私の担当の階層に進みたいのですから、余計なことに気を取られないでいただきたい」

「あんたねーっ!」


 今にも悪魔に飛び掛からんとするルーティアをリリスが必死に前に回って止める。

 体は一回り小さいが、力は遥かに上なのだろう。

 腰に回した細腕ががっちりと動きを止めた。

 

 そして――

 三人の頭上を炎の塊が唸りを上げて通り抜けた。

 誰かが「あっ」と口にした瞬間に、その塊は巨大な蛙の腹部にぶち当たる。そこは体で唯一白い皮膚。

 表面のぬめりは消火の役には立たないようだ。

 腹に穴を空けられたカエルはもだえ苦しみながらも一気に燃え上り、塵と消えた。


「レベル19と言ってもこの程度か。魔防46で防げるとは思わなかったが……」

「マ、マスター?」


 リリスに抱きしめられる形のルーティアがぽかんと口を開けてサナトを見つめる。


「どうした?」

「《ファイヤーボール》使った……よね?」

「使ったぞ。《水魔法》と《毒攻撃》以外に大したスキルも無かったしな。お前たちがもめている間に何かあっては遅い。ここは迷宮だ。さっさと殺すに限る」

「……で、でもこの階層は私の担当で――」

「最優先は『安全』だ」

「――っ。分かった……でも、残りは任せて。もうバールとケンカしないから」

「それは構わないが、少し気付くのが遅かった」

「……?」

「そこの角を右に曲がれば27階層への階段だ。残念だったな」

「えぇーーーっ! もう着いたのっ!?」

「時間の浪費とはまさにこのことですね」


 ショックを受けたルーティアを、バールが楽しげに見つめていた。




 ***




「またこのパターンか。そう言えば30階層も近付いているしな」

「……29階層なのに一匹も出てこないですもんね。28階層はあんなにいたのに。……思い出すだけでちょっと気持ち悪いです」

「さきほどは鬼火でしたが、次は本当の強敵でしょう。運の良いことに30階層は私の担当ですから、腕が鳴りますね」

「……足の爪でも切っとけば? 私が代わるけど? さっき全然戦えてないし」

「まさか。私は譲りませんよ。せっかくの楽しみを邪魔されては叶わない」

「お前ら、譲り合いはどうでもいいが、もう30階層への階段だ。って、人が多いな……」

「本当ですね。以前のボスモンスターの部屋の前よりずっと多いです」


 リリスが「わぁっ」と小さな声を上げた。

 それもそのはず。空間は丸く広がり、広大だ。冒険者も多い。

 出店のようなものがあり、商売の活気もある。迷宮内だというのにどこか異質な空気だ。焼いた肉の匂いさえ漂っている。


「ギルドの地図が30階層までしかない理由がこれか」

「……どういうこと?」

「おそらくこの階層のボスをほとんどが倒せないのだろう。ここから先に進める冒険者は圧倒的に減るのだと思う。だから地図が無い。レベルで言えばボスはせいぜい20中盤のはずだが、数が多いのか、冒険者が不利になる何かがあるのか」

「ご主人様、なぜそれがこの人の数に繋がるのですか?」

「倒せないということは行き止まりになるということだ。必然的にそこは迷宮に挑む人間の集まる場所になる。誰もが突破を真剣に考えるわけでもないから、余計にたまり場になるのだろう」

「なるほど……」

「人間の多くはレベル30を越えれば強者と呼ばれるそうですからね。……では、私たちは悠々と進ませていただくことにしましょう」

「待て、バール。一応、情報を集めてくる……」


 私も行きます、と即座に反応したリリスをサナトは制して歩き出す。

 三人に伝えたのは嘘ではない。情報を集めるのも目的の一つだ。

 だが、本当の目的は別にある。

 サナトが自分のアイテムボックスの中身を確認する。そして、とある予備武器と、道中に拾ったビー玉サイズの魔石を手前に置き直す。茶色く、岩陰に埋まっていれば誰の目にもつかない色の魔石。このサイズでも価値は大きい。

 《神格眼》を有するからこそ見つけられる代物。


(まさかこんなところで出会うとは思ってもいなかった……これで二回目だな、アズリー。借りは返すぞ)


 サナトは静かに微笑んだ。

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