第42話 吐き出したもの

「私は別に言いたいことなんてありません」

「そう? ずっと睨まれてるから何か怒ってるのかなぁって思ったけど」


 ぶっきらぼうな声を発したリリスが視線を斜め下にずらし、ルーティアがそれを見て小さく表情を緩める。


「私ってさ……マスターのスキルなんだけど、それ以上でもそれ以下でもないの」


 お湯に浸かったまま、悪魔が作り上げた壁を眺めながらルーティアは言う。


「マスターの役に立つことが私の役目だし、役に立たないとダメなの。だからマスターの中にいる時からずっとそれだけはがんばってきた。たまにイタズラはするけどね。でも、私にできることはそれだけ…………あのままどれだけ時間をかけても、たぶんマスターは私をそれ以上には見てくれない」


 ルーティアの表情が儚げに曇る。

 いつの間にか、視線は地面に向いていた。


「私もまさか外に出られるようになるなんて思ってなかった。だから人間の姿で出られると分かった時は飛び上がりたいくらいに嬉しかった。でも、これでも実は最初にどんな姿にするかは迷ったんだよ? 一度決めちゃうと変更が効かないみたいなんだよね……マスターが好きそうな女の子ってどんなタイプか知らないし。性格はどうしようもないけど、せめて印象は良くしたいなって……結局19歳ってことにしたけど」


 銀髪の少女が苦笑する。

 預けていた上半身を後ろに倒し、後ろに両手をつく。押さえつけていた豊かな胸が露わになった。


「でも外れたかな? マスターって全然私のこと誉めてくれないし。あのドレスだってすっごく考えたのに。リリスの時は『こんな美少女がいるって自慢したい』とか言ってたのになぁ」

「……どうしてそんな話を?」


 リリスが口を開いた。

 ルーティアが不思議そうに首を傾げる。


「リリスが考えてることも似たようなことでしょ? 違う?」

「ち、違います。私は別にご主人様の印象を良くしたいとは思ってません。私は……ご主人様のお役に立ちたいだけです」

「それ一緒だって。役に立ちたいって思うのは嫌われたくないからでしょ?」

「…………私は色々なことから助けてもらったお礼をしたいだけです」

「リリスも素直じゃないなぁ……そういうところはマスターと一緒だね」


 苦笑するルーティアに、リリスがむっとした表情を見せる。

 あからさまなその顔は珍しい。

 だが――


「リリスは……好きなの?」

「――っ、ち、違いますっ!」


 突然投げられた直球の一言に、リリスは頬を赤く染めて一気に立ち上がった。

 持ちあがったお湯が、ばしゃりと零れ落ちた。


「私は奴隷ですっ! ご主人様のことを好きになることなんてありません! それはあっちゃダメなことです!」


 早口でまくしたてるリリスの前で、ルーティアもゆっくりと立ち上がり視線を合わせる。

 そして、それは違うとばかりに首を振った。


「奴隷は好きになっちゃダメ?」

「ダメです……ご主人様と奴隷は身分が違います。それに私は魔人ですから、絶対に許されません」

「誰が決めたの? 魔人だからとか、奴隷だからとか」

「それは……」

「リリスが思い込んでるだけでしょ? そんなの気にしなくていいじゃん。好きならそう言えばいいのに。マスターはきっと喜ぶよ?」

「……そんなはずありません。ご主人様は私によくしてくれますけど……それは奴隷だからであって、そういう感情じゃないはずです。それに……お役に立ててない私がそういうことを考えるのは許されないと思います」


 自信無さげに俯いたリリスは波立つお湯に視線を落とした。

 ルーティアがやれやれと聞こえない声を発し、続けて言う。


「それって変な意地だと思うけどなぁ。一度マスターに好きですって言ってみたら?」

「そ、そんなこと絶対にできません。奴隷がご主人様を好きになるなんて気持ち悪いに決まってます。それに……」

「それに?」

「もしそれで嫌われたら、絶対に後悔します。だから……今のままで十分です」

「リリスは嫌われると思ってるから怖いんだね……なら、私が代わりに伝えてあげようか?」

「やめてっ!」


 甲高い声で俊敏に反応したリリス。

 ルーティアの両腕を慌てて押さえる。とても悲痛な顔だ。

 掴まれた少女が驚いた表情でその手を見つめる。

 リリスの力の入った指が、握りつぶさんばかりに腕を掴んでいた。


「……ごめん。今のは悪い冗談だった。謝るよ。でも……リリスはそんなにマスターのこと想ってるんだね」

「もう……やめてください。私は……奴隷としてご主人様のお側にいられれば十分なんです。ご主人様と深い関係のあるルーティアさんに私の気持ちが分かるはずがありません」

「ううん。分かるよ」

「いい加減なこと言わないでっ! いつも頼りにされるあなたがっ、役に立てずに、いつ捨てられるか分からない私の気持ちなんて絶対に分かりっこないっ!」


 リリスは見せたこともない憤慨した表情で、ルーティアを睨みつけた。

 拳にぎゅっと力が入り、体を振るわせている。

 しかし、ルーティアはそれを見て微笑む。


「それが睨んでた理由だよね?」

「……そうよ。笑いたかったら笑って。自分でも嫌になるくらいだから。いつご主人様に呆れられて捨てられるのかって不安なの……だからいっぱいがんばろうって思って……っ……でも、そしたらルーティアが出てきて……私じゃ全然かなわない……」


 リリスは徐々に嗚咽が混じる声を発し、薄らと涙を瞳に溜める。

 そして一滴の水滴が落ちた。


「ご主人様とずっと一緒にいられるスキルなんてひどいよ……人間になるなんてずるい……」


 立ち尽くすリリスにルーティアがゆっくりと近づいた。

 小さく震える少女の背中に両手が回される。

 お湯で暖まった体が、ほんのりとしたぬくもりをリリスに与えた。


「ごめんなさい。私はリリスの不安なんて今まで考えたこと無かった……こんなに綺麗で可愛らしくて、強いリリスが悩むなんて思いもしなかった。でも、私の話をマスターから聞いて、ずっと抑えてきたんだね。役に立てないと捨てられるかもって……私も、今なら分かるよ」

「…………どうして分かるって言えるの?」

「私がリリスと同じ立場になったから」


 ルーティアの回した手に力が入る。

 普段の飄々とした表情からはまったく想像できないルーティアがそこにいる。

 リリスは、触れた体が小さくなったように感じた。

 そして、耳元で押し殺した声が囁かれる。


「悪魔が出てきたでしょ? マスターを一度殺しておいて、あっさり私たちの中に溶け込んできたバール」

「……うん」

「マスターが嫌じゃないなら……それは別にいい。まだ許せる。《悪魔召喚》がマスターの大きな力になるのも分かる。使おうって言ったのは私たち。でも……だからって隣に立つのはダメ」

「それは……私も分かるかも」

「役に立つ代わりに、マスターが死んだら魂を持っていくとか……ありえない」

「うん……」

「一途に考えてる私たちをのけ者にして、バールが一番頼りになるって思われるのだけは嫌」

「私も嫌」


 ルーティアが力を込めた手を解き、体を離す。

 そこには確固たる想いがある。

 

 ――本当にサナトのためを思っているのは自分達だ、と。


「リリス、今までごめん。同じ立場にならないと、悩みって分からなくって……まさか悪魔が出てきて不安になるなんて思いもしなかった」

「ううん。私も……どうしようもないことに怒ってごめん。言われてみれば、ルーティアよりバールさんの方がずっと危険だよね」


 フランクな口調に変わった少女が顔をほころばせる。

 同じことに悩みを抱える二人が、顔を合わせて笑った。


「何かあったら協力してくれない?」

「喜んで。バールさんは手ごわそうですから、是非協力したいかも」

「早速、大きなお風呂を引っ張りだしてきたくらいだしね。あんまりマスターの反応は良くなさそうだけど……」

「でも、岩を作った魔法はすごかったよ」

「確かにね。これからどんな手を使ってマスターを籠絡してくるのかわかんないから注意しないと、だね」

「はい……それと、あの変身は特に注意しないと」

「あぁ、あれね。何なの? あの異様に大きい胸の女とか、下着を見せつける子供みたいな女の子とか……男の人ってあんなのがいいのかな?」

「さぁ……それは分からないですけど……でもご主人様はまったく興味なさそうな感じだったよ?」

「それなんだけど……もしかして私たちがいたからって可能性もなくない?」

「そう? 私はどっちかというとルーティアを見ていた時の方が危ないって思ったけど」

「えっ? ほんとに?」

「うん……なんか、ちょっと嫌な感じの顔だったかも」

「そ、そうなんだ……ふーん……あっ、でもそれを言うなら、リリスを見る時のマスターはずっと優しい顔をしてるよ」

「それは……たぶん奴隷の私を大事な持ち物だと考えてくださってるからだと思う」


 リリスの表情が少し曇った。

 ルーティアが即座に肩にぽんと手を置く。


「大丈夫だって。それだけは絶対に違う。マスターはリリスを好きだと思うよ。私も応援するから安心して」

「だから、私はご主人様のお役に立てればそれでいいんです。それに、ルーティアは……それでいいの? その……好きじゃないの?」


 目を丸くしたルーティアが、少し悩んで言う。

 視線はどこか遠くを眺めているようだ。


「どうかなぁ……私は自分がスキルだからとかは気にしないけど、今は、好き、って気持ちにはなってない。マスターの力になりたいだけ」

「そうなんだ……」

「うん。でも……これから優しくされたら……どうなるかはわかんない」

「……じゃあご主人様には優しくしないように言わないとダメだね」

「えぇっ!? リリス、それはひどいよ!」


 珍しいリリスの毒舌にルーティアが大げさに顔をしかめる。

 そして、二人はそろって笑い声を上げた。

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