第38話 悪魔の高貴なる趣味

 ようやく一息つき、サナトが今日はここに野宿する、と告げた時だ。

 かしこまりました、と答えた悪魔が思い出したように言った。


「では私は入浴の時間ですね」

「入浴っ!? バールが風呂に入るのか?」

「えっ……お風呂ってあの高貴な方がお湯につかるっていうあのお風呂ですか?」

「どんな悪魔なのよ……」


 驚きに目を見開いたサナトとリリスと共に、ルーティアがぽかんと口を開けた。

 だが、言いだした本人はどこ吹く風だ。


「私は魔界では綺麗好きな悪魔として名が通っております。一日に一回は入浴が欠かせないのです。サナト様の攻撃でまだ焦げ臭さが鼻に残っておりますし」

「悪魔のお前が……綺麗好き?」

「サナト様、それは偏見です。おそらくは死臭を漂わせた世界で血の匂いを好むように思われているのでしょうが、私をそんな輩と同列には考えないでいただきたい」

「とは言ってもな……」


 サナトは呆れて物も言えない。

 バールが言ったほどではないが、住んでいる場所はそうした混沌の世界に近いと思い込んでいた。

 それが綺麗好きとまで言うのだ。

 イメージと大きくかけ離れている。


「私はちょくちょく人間の世界に干渉していましたからね。そこでまず気になったのが……匂い」

「に、匂い?」


 バールがさも当然のように自論を展開する。

 その目は虚空に向けられている。


「見た目が美しい部類の者、醜い部類の者、弱い者、強い者、人間に共通して言えるのが匂いに鈍感すぎると言うことです。悪魔は鼻が利きますのでそれが許せないのです」

「…………それってお前のこだわりってだけじゃないのか?」

「そんなことはございません。ではサナト様は臭い人間がお好きなのですか? リリス殿が、仮に臭かったとして近付きたいと思いますか?」


 サナトがぐっと言葉に詰まった。

 突然話を振られたリリスが一瞬硬直し、瞬時に顔を真っ赤にして大声で反論する。


「私は臭くなんてありませんっ!」

 

 しかし、バールは羞恥に頬を染め上げた少女を完全に無視して、得意げに笑う。


「人間に変身して世界を見ている時に気付きました。身分が高い者の方が、その点は気を使っていると。そしてさらに高貴を自称する者は入浴と言う習慣があるのだと」

「それであんたがその入浴にはまったってこと?」

「ルーティア殿、その通りです。試してみましたが、入浴は素晴らしい。疲れと汚れが一度に取れるという点も素晴らしい。人間にしかない習慣……全員が生活に取り入れるべきものです」


 悪魔はにこりと微笑む。

 リリスがここぞとばかりに主張する。

 ほぼ涙目である。


「わ、私は臭くないですけど……全員があんなにお湯を使えるわけがありません」

「違います。私はそうなるよう努力すべきだと言っているのです。水の消費というデメリット以外はメリットしか無いのに、なぜ民衆が導入しようと国にでも言い出さないのか不思議だと言いたいのです」

「でも……そんなのすごくお金がかかるし……火も使うし」


 さらに反論したリリスをバールが鼻で笑う。


「なんなら水風呂でも構わないのですよ? それとお金をかけるかかけないかはリリス殿の自由です。しかし、努力すらしない臭い者をあなたのご主人様が認めるでしょうか?」


 リリスの瞳が一度大きく揺れる。

 バールがその動揺を抉るように続ける。それが事実だと言わんばかりの態度だ。


「必死になって戦いを終え、ご主人様に駆け寄った時に、鼻を押さえて顔をしかめられたりなどしたら――」

「そ、そんなことないっ! ご主人様はそんなこと……」

「バール、いい加減にしろ。それ以上は精神的な攻撃とみなすぞ」


 バールが「失礼しました」とサナトとリリスに頭を下げた。

 サナトがため息をついた。

 そして、リリスにあっさりと近づいて頭を撫でながら言う。

 乗せられた手を少女が体を小さく震わせて受け入れた。


「リリスをそんな風に思ったことは一度も無い」

「……ご主人様……ありがとうございます」


 嬉しそうに頬を染めたリリスが、か細い声で鳴くように言う。

 サナトが微笑んだ。


「で、バールのご高説は分かったが、結局風呂に入るということでいいのだな?」

「はい。もちろんサナト様の手をわずらわせることは一切ありませんのご安心を」


 サナトが首を捻る。

 どう見ても目の前の悪魔は《水魔法》を持っていない。

 漠然とした不安が湧きあがった。


「ところで……その点で言えばサナト様は非常に匂いが薄いのです。もしや入浴の習慣があるのでしょうか?」

「いや……無いぞ」


 元の世界ではあったがな、と心の中でつぶやき、続ける。


「俺には《清浄の霧》という魔法があるからな。風呂など入らなくてもこれで清めれば終わりだ。今ならMPの心配もない」


 サナトが迷宮に一人で潜った時にはそこまで気にしていなかった。

 なにせ同行者は一人もいないうえに、ルーティアはスキルの状態で外に出ていなかった。

 自分が寝る前に少し気持ち悪いと感じた時だけ魔法を使用していたのだ。

 だがこの魔法はMPの消費が著しい。命がけになるため、使うのは安全が確保された場所か、すぐにMP回復薬を飲める場合のみ。


「《清浄の霧》という魔法があるのですか……それが入浴と同じ効果だと」

「体を温めることは無理だが、汚れを落とすという点では同じだ」

「素晴らしい……さすがは私を倒した方です」


 なぜか感無量の悪魔の視線を、サナトは気まずい気持ちで受け止める。


(身を清めたという理由で悪魔に尊敬される経験をしたのは俺くらいだろうな……)


 ルーティアが横から口を出す。


「マスター、バールのことはどうでもいいけど、私もお風呂って入ってみたい」

「ルーティア……また思いつきでそんなことを」

「だって、汚れも疲れも落ちるんでしょ? 試してみたいじゃん。私も経験ないし」


 準備が大変なんだぞ、とわざと苦渋の表情を作って見せたサナトだが、脳内は素早く計算を始めている。

 俺なら風呂を作れるか、と。

 《水魔法》と《光輝の盾》。

 もちろん普通の使い方ではないが、これらをうまく使えば可能だという結論はすぐに出た。

 目的達成のためには力を振るうことは厭わない。それが仲間の提案ならば是非もない――そう言い訳をして。


(決して、俺が望んだ展開ではないからな)


 サナトが自然にリリスに問いかける。

 ここを押さえておかなければ思いついた計画は水の泡となってしまう。


「バールとルーティアはこう言っているが、リリスはどうだ? 風呂に興味はあるか?」

「……はいっ! 私も……ご主人様が良ければ試してみたいです」

「分かった。何事も経験だしな。一度試してみることにするか」


 やった、と歓声をあげたルーティア。

 思いつめたような表情で小さく拳を握りしめたリリス。

 二人の美少女にサナトはあえて言っていないことがある――《清浄の霧》を使えば風呂なんて必要ない。それに風呂に入る以上は裸だぞ、と。

 やれやれと苦笑いした男の口から、その言葉が発せられることは無かった。

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