第37話 悪魔の恐ろしさ

 紫色の複雑怪奇な文字で描かれた召喚陣が、あっさりと消えた。


「異常すぎるだろ……いくら普通の召喚とは違うとはいえ……これはないぞ」


 サナトは目の前の悪魔に嘆息した。

 確かに召喚を解除しようとしたのだ。

 繋がりを切るつもりで「悪魔召喚解除」と口にした。

 しかし、黒いスーツの悪魔は、一瞬体に力を込めただけでそれに抗っている。


「私ほどになると、召喚の解除すら困難なのです」

「…………すごいのは認めるが、はっきり言って迷惑だぞ……本気で帰らない……のか?」

「はい。私もしばらくはサナト様と旅をご一緒しようと決めました」


(召喚された者が、送還を自力で拒否するだと? どんな悪魔だ……なんて厄介なスキルだ。呼び出さない方が良かったかもしれない。それに俺とのレベル差がありすぎる。召喚魔法の常識はどこにいったのだ?)


「お前は高レベル過ぎて、俺に四六時中引っ付いていても何ら楽しくないと思うが……」

「そんなことはございません。私はこう見えても面白い物を見るのが大好きなのです。珍しい強さを持つサナト様に召喚されるというまたとない機会を得たのですから、すべてをご一緒しようかと」

「……帰れ、と言ったら?」

「お断りいたします」

「またどこかで呼ぶから帰ったらどうだ?」

「お断りいたします」


 にこりと微笑む悪魔の瞳に邪気は無い。

 だが、聞きいれるつもりは一切無い顔だ。

 サナトは苦笑いしながら冗談交じりに言う。


「……美人なら苦じゃないが、悪魔に付きまとわれるのはな……」


 そう言ってから「しまった」と後悔する。

 まるで美人なら何でも良いかの発言を、自分の仲間が肯定的に受け止めてくれるとは考えにくい。

 失言である。

 一言嫌味を言ってやろうとしたのが裏目に出た。

 ぎくしゃくした動きでリリスとルーティアを伺う。


「マスターって女性に弱いタイプ?」

「…………」


 呆れたようにつぶやくルーティアと、無言でじっと見ているリリス。

 どちらが怖いかは言うまでもない。

 何とか弁解をしようと口を開こうとしたサナトだが――


「あら? サナト様はこちらの姿の方がお好みですか?」

「へっ!?」


 視線を戻すと、目の前にはサナトよりわずかに身長の低い女がしなを作って立っている。


(変身したっ!?)


 フリルをふんだんに備えたドレスを着た夜会巻きの女がサナトに近付き、そのはちきれんばかりの胸を軽く揺らしながら、手を伸ばして頬に触れる。


「そうならそうとおっしゃってくださればよろしいのに」


 美しい顔を近づけ、聞くだけでとろけそうになる声で、「出会いの記念に、今夜どうですか?」などとつぶやく。

 そして、わざとらしくその大きな胸をサナトの胸に強く押し当てていく。

 完全に痴女である。


「ま、ま、待て待てっ、バール! そういう冗談はやめろっ!」


 完全にどもりながら後ずさったサナトの前に、ずざっという滑り込む音と共に一人の少女が割って入った。

 鬼の形相だ。

 高レベル冒険者を遥かに越えたリリスの速度は凄まじい。

 銀色のバルディッシュの先をその細首に当てて威嚇する。もはや相手が誰なのかは忘れてしまったらしい。

 目が怖いほどに据わっている。


「ご主人様から離れなさいっ!」

「ふーん……」


 美女が流れる動きで武器の先を指先で掴む。

 こちらは余裕の表情である。


「こんな細いのじゃ、ダメね。私とやりたいなら、もっと刺激的なことをしてくれなくちゃ」


 くすくすと笑いながら、穂先をぐっと握りしめる。

 それだけでリリスのバルディッシュは動きを止めた。

 対する悪魔もまた規格外の強さなのだ。


「……だが、以前よりは遥かに。さすがに魔人。私を殺したことで大幅にレベルアップしたようですね」


 少しばかり驚いた顔のバールが、口調を戻し、一瞬で元の姿に戻る。

 そこにいるのはオールバックのくすんだ赤髪の男だ。

 サナトがため息をついて、ようやく声を上げた。


「何でもありだな……バール、危害を加えるなよ」

「もちろんです。この人形にも、そちらの変てこな女にも一切手は出しません」

「リリスも、武器を下ろせ」

「……はい」

「まったく……悪ふざけにも程があるぞ。それと、名前はリリスとルーティアだ。以後、きちんと名前で呼べ」


 バールが、承知しましたとばかりに頭を下げる。


「リリス、守ってもらって悪かったな」

「い、いえっ……当然のことをしただけです」


 嬉しそうに笑顔を見せたリリスだが、横から余計なひと言が飛んでくる。


「マスターがあんな女にでれでれしたのが原因じゃん」

「はっ?」

「ご主人様が……でれでれ……でれっ!?」


 奇妙な声を発して凍りついたリリスを横目に捕えたサナトが、慌てて大きな声で反論する。


「違う! 俺は別にでれでれなんてしてないぞ! ちょっとバールの変身に驚いただけだ…………見事な変身だった」

「お褒めに預かり光栄です」


 腰を折る悪魔を尻目に、ルーティアがじとっとした目をサナトに向けた。


「そうかなぁー、少しは鼻の下伸びてたと思うけどなー」

「……ご主人様の鼻が……伸びる……」

「リリス、それは違うって。伸びるのは鼻の下だよ?」

「そ、それくらい知ってます」

「いやいや、ちょっと二人とも落ち着けっ! なぜ俺が鼻の下を伸ばした前提になっているっ!? ほんとに伸ばしてなんかいないぞ! 何とも思っていない」

「まあまあ、サナト様もそのくらいに。どうでも良いことではありませんか」

「原因を作ったお前が、無関係なふりをするなっ! バールのせいだろうが!」

「おや? 私が? 少し変身能力をお見せしただけですよ?」


 目をぱちくりさせた悪魔は心底不思議そうに首を傾げている。

 サナトが無理矢理大きく息を吐いた。


「バール……からかうのは禁止だ」

「からかうつもりなど毛頭ないのですが……」

「……俺は悪意を感じたぞ。それと、リリスとルーティア……何度も言うが、俺はあの程度のことで動揺することはない。俺には……その……お前たちがいる」

「は、はいっ!」「まあいいけど……」


 サナトの必死の挽回の言葉を聞いて、素直に喜ぶリリスと腰に手を当てて目を細めたルーティア。

 二人の美少女は、鼻の下を伸ばしたという事実を、動揺という言葉にすり替えられたことに気付いていない。

 悪魔がやれやれと一人肩をすくめた。

 

「何も感じなかったと……まるで私の変身した姿が不完全だったと言われているようで気に入りませんね。もしやサナト様はこちらの方が良かったですか?」

「…………はっ?」


 またも変身だ。

 だが、今度は身長が小さく縮んでいる。

 見かけは10歳前後。ノースリーブの白いシャツを身に付け、ツインテールの茶色の髪をぴょこぴょこと揺らしながら、柔らかい素材のピンクのスカートの裾を握って様子をうかがっているのだ。

 あどけない表情に頬を染めるというミスマッチな態度があざとらしい。

 俯き加減の上目使いで「見てもいいよ」と聞こえるか聞こえないかのか細い声をあげ、そのままスカートを自分で捲り上げていき――


「……最低です」「下品」


 極寒のごとき二人の声が悪魔に向けて放たれる。

 その威力は弩級のものだ。

 サナトは背筋につららを当てられたような怖気に全身を震わせた。

 そして、慌てて口を開く。

 このまま黙っていることは危険だ、と脳内で警報が鳴っている。


「バール……そ、それはなんだ? 何がしたい?」


 サナトは何とか言葉を吐きだした。

 少女悪魔が再び元に戻り、しれっと答える。


「もちろん調査でございます」

「調査?」

「はい。サナト様に気に入られようと思いまして。好みは美女なのか、幼女なのか……それとも醜女や男なのか。趣味、趣向、思想、性癖などについて調べ上げたいのです」

「やめろっ!」

「なぜですか? お仕えする以上はサナト様の好む姿に変身いたしますが……悪魔に性別などありませんので、もし抱きたいならばお好みの――」

「と、とにかく禁止だっ! どれにも俺は興味はない! 時間の無駄だ!」


 顔を引きつらせるサナトはまくしたてるように悪魔に命じる。


(そんなことをこいつに知られた日には……身の破滅だ)


 サナトのいらだちとも取れる様子。

 そこには決して浮ついた気持ちは見えない。

 二人の少女が首を大きく縦に振る。ルーティアは顔に罪悪感を浮かべている。


「マスター、でれでれしてたなんて疑ってごめん。ほんとに興味なかったんだね」

「あんな変身にご主人様が動揺することなど有りえません。悪魔はご主人様を守るだけで十分です…………余計なことをする必要はありません」

「そ、そうだ。バールは俺を守護してくれればそれでいい」


 悪魔がはっきりと肩を落とす。


「見た目を変えることは、てっとり早く信頼を得られる方法なのですが、仕方ありませんね……力をお見せして、有益だとご理解いただくことにしましょう」


 規格外の悪魔はさらりと恐ろしい方向転換を告げた。

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