第31話 お礼がしたい

 焦げ臭い匂いが周囲に漂っていた。

 炎弾が落ちた場所には黒い跡以外は何も残っていない。

 サナトは胸の中に溜まっていた熱い空気を、大きく吐きだし、代わりに、湿った迷宮特有の空気を胸いっぱいに吸う。

 何度か繰り返して、ようやく心拍数が少し落ち着いた。


(倒したか……何もかもが崖っぷちの戦いだった……)


 サナトは再び大きなため息をついた。

 《神格眼》で残り800程度のHPバーが振り切ったところまでは確認した。死体は無いが、光の粒子と変わったのだろう。

 途方もない強者である悪魔を倒したのだ。

 ゆっくりと体の力が抜けていく。

 

 もし、《複写》が出来ていなければ。

 もし、死後の世界で《ファイヤーボール》の攻撃のヒントを貰えていなければ。

 もし、逃げようとした悪魔に対し、機転を利かせられなければ。


 そのすべての対応をどれか一つでも間違っていた場合は、即座に自分の死につながっていただろう。

 今さらながら、膝が震えそうになる。

 思い出すだけで呼吸が早くなる。


「だが、あいつは死んだ」


 サナトは事実を言い聞かせるようにつぶやく。

 敵はもういない。

 奪われたくなかったものは守り抜いた。

 束縛が解け、全力で駆けてくるリリスに微笑む。束縛が解けたのも倒した証拠だ。


「ご主人様っ」


 泣きはらして目を真っ赤にした少女が、サナトの腕の中に飛び込んだ。

 勢いが良すぎて二人ともよろいめいた。

 穴の空いたローブに顔をうずめ、無事で良かったです、と何度も何度も言うリリスの髪をサナトはそっと撫でた。

 柔らかい髪だ。

 目の前から消えた時にはどれほど焦ったことか。

 自分の腕の中にいることを、心の底から嬉しく思う。


「大丈夫だったか?」


 少女がばっと顔を上げた。すぐに口を開こうとした。

 だが、言葉は出ない。戦い抜いた主人に何を言うべきなのか迷ったのだ。

 

 すぐに逃げなかったこと。

 一度死んでしまったこと。

 悪魔を倒してしまったこと。

 

 責めたいことも含めて、言いたいことはいくらでもあった。

 だが正解は分からない。

 だから、とりあえず――


「……ありがとうございます」


 なぜその言葉を選んだのか分からなかったが、リリスは自然と口にした。

 サナトは微笑みながら、再びリリスの頭を自分の胸に抱き寄せた。




 ***




「あの、言うのが遅れましたけど、私……ずっとレベルアップしています」

「だろうな」


 サナトは事もなげに返事をした。倒したのはレベル89の悪魔。

 倒した人間はレベル8とレベル16。レベルが上がらないわけがない。

 パーティを組んでいる以上、当然戦わなかったリリスにも分配される。


(言ってみれば経験値モンスターを倒したのと同様だからな。どこまで上がるのやら)


「あっ、終わりました」


 リリスに聞こえていた天の声がようやく終了したらしい。

 サナトは頷くと、《神格眼》でステータスを確認する。



 リリス 14歳

 レベル46 魔人

 ジョブ:奴隷

 <ステータス>

 HP:1464 MP:780

 力:750 防御:626 素早さ:804 魔攻:550 魔防:347

 <スキル>

 斧術:上級

 火魔法:上級

 <ユニークスキル>

 魔力飽和

 悪魔の閃き

 悪魔の狂気



 サナトはわかっていた。こうなることを。

 だが、思わず天を仰いでしまう。

 もう自分のステータスと比較するのもバカらしい値だった。


「すごい成長だな。自分のステータスカードを一度確認した方がいいぞ」

「え?」


 リリスが恐る恐る自分のカードを取り出し、その途方もないステータスに目を見開く。

 そのまま数秒が経過する。


「ご、ご主人様……」

「俺も変な成長はしたようだが……やはり素直にレベルが上がるというのはいいな」


 未だかつて、レベル46の冒険者には出会ったことはない。

 小さく苦笑いしてしまったサナトに、リリスが敏感に反応する。

 真っ直ぐ主人を見つめた。


「私のこれは全部ご主人様のおかげです。それに、MPが回復するようになったことだって……」

「MPの件は、元々俺が考えていたことをした結果だ。悪魔の方もそれに引っ張られたようなものだ」

「違います! ご主人様が悪魔を倒したからです! 一度死んだのに、あきらめずに戦ったからです! あんなに必死に――」

「わ、分かった。分かったから、ちょっと待て、顔が近い……」


 胸ぐらを掴んで訴えてくるリリスから、サナトはふいっと視線を逸らす。

 背筋がぴんと伸びていた。


「あっ、す、すみません……」


 リリスが慌てたように手を離し、ちょこんと一歩後ろに下がって距離を取った。

 視線はサナトの足下に向けられている。

 その耳は先まで真っ赤である。

 白い首元もほんのりと染まっている。


「あの……全部ご主人様のおかげだと私は思っているので。その……ありがとうございます。悪魔との戦いでは足を引っ張っただけでしたけど……これから、挽回できるようにがんばります」

「お、おう。まあ、ほどほどにな……」


 しどろもどろになるサナトが頭をがりがりと掻いた。調子狂うな、とぼそりと呟く。

 ゆっくりとリリスが顔を上げた。

 はにかんだような表情だ。ぽつりぽつりと口を開いた。


「買っていただいてから、私は泣き顔と情けないところばかりご主人様に見せてしまっている気がします」

「……そうか? 俺はリリスを情けないと思ったことは一度もないが……ダンジョンシザーの群れを見ても戦う気だったのには驚いたしな」

「あれは……後ろにご主人様がいたからです。一人だったら諦めていたと思います。それに、他にもいつも助けられています」

「こっちの台詞だ。俺は……何かとリリスに助けられているぞ」


 サナトは心の中で「特に精神的にな」と付け加える。

 死後の世界で壮年の男が言っていたことは間違っていない。リリスといるとどこか自分の欠けた部分が埋まるような感覚があるのだ。

 リリスが続ける。


「いえ、絶対に私の方が助けられています。ご主人様の助けにならないといけない奴隷なのに、申し訳ないと思っています。だからせめて……ご主人様に何かお礼をさせていただけないでしょうか?」

「…………お礼?」

「はい。お金は無いのでプレゼントは難しいですけど……」


 リリスが一歩近付いて、上目づかいでサナトを見上げる。

 薄紫色のポニーテールが小さく揺れた。


「私にできることがあれば、おっしゃってください。ご主人様へのお礼になるなら……何でもします」

「な、何でも……だと?」

「はい。あっ、もしかしてすぐにできることがありますか?」

「い、いや……そうだな……何でもか……」


 サナトは、意識してリリスから視線を外して腕組みをした。

 そうしなければ、己の視線が反射的にどこに向くか分からなかったからだ。誤解を招くような場所に向いてしまった場合は大惨事になる。

 せっかくの良い雰囲気を台無しにはしたくない。

 だが、脳内は大混乱だ。

 凶悪な悪魔と会話するより大変かもしれない。

 男にとっての「何でも」という言葉は、得てして少女のいう「何でも」とはイコールにならない。

 しかし、リリスが元いた店は大人の世界。そっちの知識も持っているかもしれない。

 口さがない女性達から、様々な経験談や噂話を聞かされたこともあっただろう。

 ゆえに、直接口には出すことは恥ずかしいが、遠回しに「いいよ」と教えてくれている可能性もある。


(……いや、何となくだが考え過ぎな気がしてきた。酒に酔った状態なら笑い話で済ませられるが、真面目な場面で失敗すると取り返しがつかない。俺のメンツもずたずただ。しかし、もしリリスが勇気を振り絞っているなら……それに応えるのが主人の務め……)


 サナトはじっと見つめるリリスを横目で伺う。

 少女の視線から、何を考えてそんなことを言い出したのかを汲み取ろうとしているのだ。

 だが、視線だけで相手の感情が読み取れれば苦労はしない。


「今は思いつかないな……考えておくことにする」


 だからサナトは安全策を取る。

 先延ばし、という手を。

 リリスがほっとしたようにも残念そうにも見える様子で「そうですか」とつぶやく。


「もし、思いついたら早めにおっしゃってください。そうしないと……助けられてばかりで返せなくなりそうですから……」

「まったくそんなことは気にする必要はないが……何かあれば頼むことにする」

「……はいっ!」


 少女の声がだだっ広い室内に反響した。

 と同時に、少しふてくされたような声が二人の真横から聞こえた。


「いいなぁ、仲良しって。私も混ぜて」

「――はっ!?」「へっ!?」


 見たこともない銀髪の美しい少女がしゃがんでいた。

 肩から胸の上部までが露出した白いボールガウンドレス――舞踏会用の腰から下が膨らんだドレス――に身を包み、自分の膝に肘を置き、両手で頬杖を付いて頬を膨らませている。

 長い髪はさらりと流れ、地面に届きそうだ。

 ドレスの裾は地面に擦っている。

 年齢はリリスより少し上だろうか。いつからそこにいたのか、二人の様子を見守っていたらしい。

 雰囲気をぶち壊した闖入者に、サナトとリリスが驚いて素っ頓狂な声を上げた。


「悪魔っ!?」


 姿形で正体は分からない。リリスは強張った表情でそう叫んだ。

 間違ってはいない。

 サナトですら「また悪魔かっ」と焦り、《光輝の盾》を張りかけたのだから。

 だが、すぐに声の主に思い当たって魔法を止めた。

 とても信じがたいことだったが、忘れることのない声だった。


「お前……まさか……ルーティアか?」

「あっ、さっすがマスター! 分かる? ルーティアでーす!」


 しゃがんだ状態からぴょんと飛び上がるようにして立ち上がった少女。

 リリスより身長が高く、胸も大きい。

 流れるような銀髪がふわりと跳ねた。

 鼻筋はすっと通り、綺麗な二重に長いまつ毛、暗い金色の瞳。前髪は真っ直ぐに揃っている。

 見た目は完全にどこかの国のお姫様だ。

 だが、行動はお転婆な村娘に近い。服装と雰囲気が行動とまったく合っていない。

 サナトは口を金魚のごとくぱくぱくと開ける。

 そんなバカな。

 その言葉を何度も心の中で吐きだした。

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