第30話 次は無い

 恐ろしい速度で放たれた土魔法の中でサナトが生き延びていた時には、リリスは大きく安堵した。

 どうやって防いだのだろう。

 悪魔の使う桁違いの魔法を凌ぐなんて、ご主人様はやはりすごい。

 この方ならもしかして悪魔も倒してしまうのでは――――そんな淡い期待が心の中に浮かんでいた。


 だから、リリスは自分の瞳に映る光景が信じられなかった。いや、信じたくなかった。

 自分がご主人様と慕う男は、確かに悪魔の背後からの一撃で胸の中央を貫かれた。

 目を背けたくとも、魔法のせいなのか不可能だった。

 その結果、貫かれてゆっくりと倒れていく瞬間まで、すべてをはっきりと目にすることになった。

 逃げて、と何度も叫んだ声は届いていないようだった。

 それとも、サナトはあえて無視したのかもしれない。もしそうなら、その理由はおそらく自分にある。

 何もできないまま無様に捕えられて叫ぶことしかできない奴隷。

 リリスはサナトが自分を大切にしてくれていることを知っている。だが、リリスの中での優先順位は、絶対にサナトが上なのだ。

 こんな結果が訪れるくらいなら、自分が死んだ方がましだった。逃げてくれた方が良かった。

 たとえ復活が約束されていても、自分のせいでサナトを死なせたくなかった。

 

 悪魔は最初からサナトを少しも警戒していなかった。

 せいぜい興味を引かれた程度。常に余裕ある振る舞いで、あがくサナトを観察しているかの態度。

 リリスはそれがとても悔しかった。

 とっても強いご主人様を甘く見るな、と大声で言ってやりたかった。


「魔法は防げても直接攻撃にはこの程度ですか。脆いですね」


 無表情でサナトの体から腕を引き抜いた悪魔は、空間から着替えを取り出して、新しい服に袖を通し、リリスの方に向かって歩いてくる。

 リリスはその様子を涙で歪む視界の中でずっと見ていた。

 もしもサナトが蘇生アイテム――復活の輝石――を購入したことを知らなければ、発狂していたかもしれないほどに、胸をかきむしられるような感覚だった。

 リリスは動かない体を何度も無理矢理動かそうと試みる。もしサナトが復活しても、自分が動けなければ、また同じ結果になってしまう恐れがあった。

 それはつまり、今度こそサナトの本当の死に繋がる。


「無駄ですよ。あなたではどうしようもない」

「――っ」


 見透かしたような悪魔の冷ややかな声が空間に響く。

 だが、リリスはそんな悪魔の言葉はもはや耳に入っていなかった。

 泣き笑いのような表情で涙をぼろぼろと流す。

 その視線は、ゆっくりと立ち上がった主人に釘付けとなっていた。




 ***




 サナトはひんやりとした地面の感覚を頬に感じながら、ゆっくりと目を開けた。

 自分の衣服が何かで濡れている理由を、大量の血液のせいだと遅れて理解する。


(傷は……無いな。流した血も大丈夫っぽい。さすがに蘇生アイテムを自分の身で試したことはないが、こんな感覚なのか)


 どこか夢の中にいるような浮遊感が残っているが、行動には問題なさそうだ。

 寝転んだまま、拳を何度か閉じたり開いたりを繰り返し、体の感触を確かめる。


 と同時に、サナトに命が戻ったことで天の声が脳内に響く。



 ――《解析》が完了しました。《複写》を行いますか? YES or NO?



「YES」

『マスターぁぁぁ、やっと戻ってきたぁぁっ』


 ルーティアの珍しく感動したような声が大音量で響き、思わず苦笑してしまう。

 ゆっくりと死後の世界の話でも聞かせたかったが、今は先に為すべきことがある。

 サナトはウィンドウに表示されたスキルの一覧から目的のものを選択する。


『ユニークスキルの《時空魔法》を《複写》するの?』

「急いで《解析》してくれ。まずはMPをすべて1に変えて、呪文を消してくれ」


(死ぬ間際になんとか二度目の接触に成功して良かった。あの男もこれが正解だと言っていた。だとすれば……)



 ――新たなスキルを得たことにより、《神格眼》の権能が拡大されます。《時空把握》が可能になりました。



 うつ伏せになったまま、拳をぐっと握りしめる。

 《時空魔法》のみではなく、《神格眼》で何かが視えるようになったのだ。


『マスター、《時空魔法》を早速使うの?』

「いや、使える魔法を順に教えてくれ。作戦会議だ」




 ***




 サナトが満を持してゆっくりと立ち上がった。

 体についた砂埃を軽くはたく。


「おや、死んだと思いましたが……」


 物音を察知した悪魔がゆっくりと振り返った。

 不思議そうな瞳が胸に向けられる。そこには貫かれた跡がはっきりと残っていた。


「生憎、往生際が悪いからな」

「……なるほど。高価な蘇生アイテムでもお持ちだったのですね。だが、そのまま寝ていた方が良かったのでは?」

「それだとお前をぶちのめせないだろ」

「おやおや、何と凶暴な」


 悪魔がにやりと笑うと同時に、世界が一瞬で黒く変化した。

 薄緑色の光コケも黒く、地面も黒い。

 それは時間が停止したことを示していた。

 その中に、ぼんやりと白く光るリリスとサナト、そして悪魔本人。何もかもが一瞬にして動きを止めた。

 だが、悪魔だけは酷薄な笑みを貼りつけたまま、すぐに動き出す。

 《時空魔法》の《時間停止》を使用した張本人だけはこの限定された空間の中を泳ぐように移動可能なのだ。


「人間とは無駄なことが好きな種族ですね。何度やっても結果は変わらないというのに、わざわざ蘇ってくるとは」


 悪魔は誰にも聞かれるはずのない独り言を闇の中でつぶやく。

 未だに魔法を防いだ原理は分からないが、直接攻撃は有効だと知れている。再び前でも、後ろでも、近付いて腕で貫けば話は終わりだ。首を飛ばしても良い。

 蘇生アイテムをそこまで用意しているとは思えない。

 用意していたとしても、使用までには一定のインターバルが必要だ。


「簡単な話しです」


 そう考えていた悪魔は、次の瞬間に驚愕に目を見開いた。


「ばかなっ」


 止まっていた時間が瞬時に動き出した。リリスの涙が流れ落ち、サナトの腕がゆっくりと持ちあがる。

 作り出した黒い空間が、あっさりと溶けて消えてしまったのだ。

 悪魔は元の位置からまだ数歩しか動いていないというのに。


「この私が、魔法を失敗した……」


 混乱する悪魔は何か失敗する要因が無かったか、考えをめぐらす。しかし、《時空魔法》は悪魔の専売特許のような魔法だ。

 最も使い慣れた魔法でもある。高位の悪魔である自分が失敗するはずがないという結論に至る。

 となると――


「信じられませんが、まさか、あなたが?」


 ようやくその考えに至った時には、もう遅い。悪魔の両手と両足には光り輝く手錠がかけられた後だ。

 それは《封縛》。

 強度を最大にまで上げた、サナトの切り札の一つである拘束魔法。

 素の速さでは到底歯が立たない悪魔に対し、確実に動きを止められるこの瞬間を待っていたのだ。


「この程度の拘束でどうにかなる私だと思っているのですか?」

「長く持たないことは織り込み済みだ」


 動揺を即座に押し殺し、まだ余裕を崩さない悪魔はにやりと口角を上げたが、対峙しているサナトもまた同様に笑みを深めた。

 そして、間髪入れずに悪魔に巨大な火魔法が襲いかかる。

 無詠唱で放たれた、ただの《ファイヤーボール》だ。

 だが威力が違う。

 熱量も、質量も、攻撃力も今まで使った《ファイヤーボール》とは似て非なるもの。

 悪魔は動かない手足に力を込めて《封縛》の破壊を試みるが、簡単には壊れそうもない。

 少しばかり時間が必要だと判断し、やむを得ず受け止めるために両手を前に突き出す。

 そして――


「ぐうぅぅぅっ!! そんなバカなっ!?」


 予想もしていなかった魔法の威力に、初めて顔を醜く歪めた。

 両腕がみるみるうちに真っ黒に焼け焦げ、さらにすべてを喰らわんと炎の塊が悪魔の体の中心を目指す。

 衣服をはちきらんがばかりに、悪魔の腕の筋肉が膨れ上がる。


「なぜだっ!!」


 事情が分からずに必死に抵抗する悪魔の顔から余裕が消えていた。

 だが、一方でサナトのこめかみにも冷や汗が流れている。

 炎がどんどん弱まってきているのだ。燃やし尽くすことはできそうにない。


(これでもまだ倒し切れないじゃないか。あの嘘つきの男め)


 したり顔で話していた壮年の男に心中で愚痴をこぼす。

 サナトの《神格眼》で視える敵の残りHPは、まだ819もある。2000程度は削れたが、殺すには至らない。

 《ファイヤーボール》の対象を複数指定に変え、ルーティアの補助で10発分を同時に照準、発動し、すべてを目の前の悪魔にぶつけてなお、一度ではダメらしい。

 単純に計算するなら、攻撃力5000の魔法。

 それでも、滅するには力不足だというのだ。

 いかにこの悪魔が規格外の存在であるのかを痛感する。


「こんなものでぇぇっ!!」


 とうとう《ファイヤーボール》の炎の勢いが弱まり鎮火する。改めて《封縛》の破壊を試みる悪魔。

 削ったHPも《HP大回復》があれば瞬く間に回復してしまうだろう。


「ルーティア、もう一発だ!」

『了解っ!』


 サナトが伸ばした左手から、再び巨大な《ファイヤーボール》が発射された。

 すでにこの魔法は十分に脅威だと知れてしまった。次を外せば後が無い。

 悪魔がぎりっと歯を食いしばってその炎の塊を睨みつける。

 と、同時に、またも世界が黒く塗りつぶされる。

 《時間停止》を悪魔が使用したのだ。

 しかし――


「させるかっ!」


 サナトの《時間停止解除》によって魔法はレジストされる。みるみるうちに空間が元の景色に戻っていく。

 悪魔が目を見開いて睨みつけた。


「やはり、あなたかっ!」

「いい加減にくたばれ!」


 悪魔が慌てたように、今度は一瞬で背後に直径2メートルほどの黒い渦を生み出す。

 どこに繋がっているのか分からない不気味な空間。

 最初にこの場所に現れた時に使用した、おそらく移動系の魔法だろう。

 HPの回復を待てず、《封縛》も破壊できないと理解した悪魔は、目の前に迫る巨大な《ファイヤーボール》を目に、とうとう逃げの一手を選択したのだ。

 事実、時間をかければいくらでもサナトを殺す手段がある。

 体勢を立て直すのは間違っていない。


「すぐに戻ってきます。この縛めを破壊してね」


 囁くように言い残した悪魔は、ほとんど動かない体を後ろに倒れ込ませるように黒い渦の中に消え去る。

 それを追尾するように追いかけていた《ファイヤーボール》が突然標的を見失い、地面に激突した。

 経験したことのない荒れ狂う熱風と熱波が室内に波紋のように広がり、大地の一か所が真っ黒に変色する。

 だが、サナトは地面を見ていない。

 睨みつけるように視線を送っている先は、悪魔が消えた黒い渦があった場所の真上だ。


(このパターンはあるかもしれないと思っていたが……まだか? タイムラグがあるのか? もし失敗していたら……)


『心配しなくても大丈夫だって。私が座標合わせたんだから』

「だが、初めて使う魔法だぞ」

『でも案外簡単な魔法だったよ。《ファイヤーボール》なんかで複数に狙いを付けるよりよっぽど楽……あっ、来たよ。タイミングだけ教えてね』


 ルーティアの声に促され、サナトは虚空を見つめる。

 望んでいたものは程なくして現れた。

 何も無かった場所に黒い塊が生じ、一気に水平に広がって円形を成す。

 直径2メートルほどの、悪魔が使用していたものと同じ、黒い渦だ。

 その渦の中から、重力に逆らうことなく何かが落ちてきた。


「ルーティア、放てっ!」

『発射ぁぁぁっ!』


 それは手足に《封縛》をかけられた状態の悪魔本人だった。

 背中から盛大に落下し小さく安堵の息を吐いたと同時に、自分が同じ場所に飛んだことに気付いて混乱する悪魔は、体の上から降ってくる炎の塊に目を見開いた。


「――なぜっ!?」


 その疑問にサナトが答えることはない。

 止めを刺せる千載一遇の機会を逃す訳にはいかないのだ。

 複数指定を併用した渾身の《ファイヤーボール》は、悪魔にそれ以上考える時間も遺言の時間も一切与えない。

 

 そして――

 愕然とした表情の悪魔の上に、巨大な炎の塊が轟音を響かせて落下した。

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