第15話 ジョーカー

「ど、どなた様で?」


 ザイトランが予定外の人物の登場に浮足立った。

 だが、それも一瞬のことだ。この手のトラブルには慣れているのか、徐々に瞳が動揺を隠し、訝しむものへと変化していく。


「見たところ憲兵団の方で?」

「そうだ。私はルーフェルト。そこにいるベアンスと同じ憲兵団の一員だ。そうだな?」


 やや年齢を重ねた肌の浅黒い男が、ハルバートの柄を軽く床に当てて、がらがら声でベアンスを睨め付ける。

 そして威勢の良い返事と共に、弾かれるようにベアンスが敬礼を行う。


「……それはわかりましたが、なぜルーフェルト様がここにいらしたので?」

「そこにいるサナトから相談を受けたからだ」

「相談?」

「初めての奴隷売買で分からないことが多いから助けて欲しいとな。商品の中でも奴隷は特に問題が多いことは知っているな? 売主に騙された事例も少なくない。不安は当然だろう。ゆえにこのルーフェルトが公正証人として来たわけだ」


 ザイトランのぎりっという歯を噛みしめたような音が聞こえた。

 ルーフェルトからわずかに視線をそらし、サナトを睨む。

 だが、これも一瞬のことだ。


「おっしゃることはわかりましたが、もう公正証人はベアンス様にお願いしていますので」

「確かに公正証人は一人で十分だ。私もまさか同志がいるとは思わなかった。だが、別に二人いても構わないだろ? より公正な目で確認できるということだ」

「…………言う通りで」


 ザイトランが静かにため息を吐く。


「ベアンス様もそれで構いませんかい?」

「……もちろん。問題などあるはずがなかろう」


 ベアンスはザイトランと目を合わせずに答える。その表情には何の感情も浮かんでいない。

 舌打ちをした男が乱暴に椅子に腰かけた。

 不機嫌な態度を隠そうともせず、背後に控えるガーズに契約書を要求する。

 そして盛大な音とともにテーブルに一枚の紙叩きつけた。


「これが先日の契約書だ」

「待て。その契約書には二人のサインはあるか?」

「ルーフェルト様……それはベアンス様に確認してもらってますって」

「私は確認していない」

「……ここにちゃんとサインがあるでしょ?」

「うむ。確かに」


 ザイトランが付き合ってられないとばかりにうんざりとした表情を見せる。


「今回の支払い総額は170万ナール。リリス本人が140万。営業補償が30万。間違いないな? ではサナト、金をもらおうか」

「それは構わないが、先に確認しておきたい」

「お前……まだ何か企んでんのか?」

「人聞きの悪い。俺は念の為に聞きたいだけだ。これは二人の公正証人様に尋ねたいのだが、もしもこの契約書の内容に虚偽がある場合はどうなるのだ?」


 ザイトランが苛立たしげに指でテーブルを叩く音がする中、サナトがベアンス、ルーフェルトの順に視線を送る。

 先に口を開いたのはルーフェルトだ。ベアンスはルーフェルトに遠慮しているのか何も言いださない。

 

「もしも、不利な情報を隠して売ろうとしていた場合は重罪だ。奴隷の取り扱いに関する王宮令に従い、契約の一切が破棄される」

「奴隷はどうなる?」

「憲兵団で預かり、調査のうえで奴隷市場に返すことになる」

「なるほど……」


 腕組みをし、考え込むサナトに、唾を飛ばす勢いでザイトランが先を促す。


「おいおい。どうでもいいが、さっさと金を渡せ。それともやっぱり用意できなかったのか? 買う意思が無いってことでいいのか?」

「いや、金はここに用意してある」


 サナトはアイテムボックスから大きく膨らんだ革袋を取り出し、無造作にテーブルに置く。

 溢れんばかりの金貨と銀貨が暗めの室内でも存在を主張していた。

 ザイトランがごくりと唾を飲みこむ音がした。


「ほう……確かにすげえ量だが、170万にしちゃ少ないぞ」

「ああ。これは半分の85万ナール。お前の言う、買う意思とやらを示しただけだ」

「……残りの半分は?」

「一つだけ確認させてもらった後に出そう」


 サナトはそう言うと、落ち着き払った様子でボックスから一つのアイテムを取り出した。

 それは透き通ったガラス瓶だ。

 中は少女の髪の色と似た薄紫色の液体で満ちている。

 誰もがサナトの行動に疑問符を頭に浮かべた中、無表情だったリリスだけは、はっと驚いた表情を見せた。




 ***




 ガラス瓶をひと目見たザイトランはバカにするようにサナトを嘲る。


「何かと思えばMP回復薬かよ。これで何をしようっていうんだ?」

「これをそこにいるリリスに飲ませてほしい」

「ばかばかしい。何がしたいんだ?」


 サナトはテーブルの上の契約書を拾いあげて一か所を示した。


「この『人間と一切の変わりがない健康体』という一文に疑いがある」

「おいおい。魔人は人間とほとんど変わりないが、体の作りは多少違うって話だぜ」

「そこじゃない。俺が確認したいのは『健康体』の部分だ。彼女は病気の可能性があるのではないか、と疑っているのだ」

「言いがかりもひどいもんだ」


 ザイトランが肩をすくめてベアンスにアピールする。

 自分は潔白だ、と。

 だが、もう一人の憲兵が声をあげる。


「よく分からんが、それを飲ませればいいのだな? やらせてみよう」

「マジかよ……はいはい。もう好きにしてくれたらいいぜ。だが、そのMP回復薬に妙な仕掛けをされたらかなわない。俺が用意するMP回復薬を使わせてもらおう」

「いや、MP回復薬くらいなら誰でも持っている代物だ。ここは私と、ベアンスで一つずつ提供しよう。そこの奴隷には二本飲ませよう。サナトとやらはこれで良いのか?」


 ルーフェルトが、微動だにせず椅子に座る男に問いかける。


「それでお願いしたい。ただし、彼女のステータスカードをここに置いてほしい。MPの変動を確認しながら飲ませるからな」

「ほんとうにわけの分からないことをしたがるやつだ。おいっ、リリス、ステータスカードを出せ」


 一際小さい少女が屈強な男の間から一歩前に進み出ると、一枚のカードをテーブルに差し出す。

 確かに名前はリリスとなっていた。


「なぜMPが0なのだ?」


 覗き込んだルーフェルトが一つの疑問を呈した。

 ザイトランが何でもないことのように言う。


「奴隷のHPやMPのことなんていちいち知らねえよ。どっかで魔法でも撃ったか、疲れてるだけってことだろ。お前はそんなことを確認したいのか?」

「いいや。もっと重要なことだ」

「わけがわからねえな。で、MP回復薬を飲ませればいいんだな?」

「ああ」


 ザイトランの嘲笑を含む確認にサナトは生真面目に頷いた。

 ルーフェルトが頷くと自分のアイテムボックスから一つの瓶を取り出す。それはサナトが出したものと同じ薄い紫色の液体で満ちている。


「さっさと飲め」


 主人の一言に従い、少女の小さな手が瓶の蓋を開ける。

 一息に飲み干した。

 その場にいる全員が、リリスのステータスカードをじっくりと確認した。

 そして――


「ばかなっ!?」


 MPは一切回復しなかった。

 カードに表示された現在MPは0のままだ。最大MPが存在する以上、普通では考えられない現象だ。

 ザイトランはその事実に驚愕しテーブルを両手で叩いた。呆気にとられた表情が予想外の結果を物語っている。

 憲兵の二人も目を見開いていた。


「そんなはずがないっ! 何かの間違いだっ!」

「だが、確かに奴隷はMP回復薬を飲んだぞ。私は見た」

「ち、違う! 飲んだように見えただけだっ! リリスは飲んでなかったに違いない!」

「ならば、ベアンスの一本で再度確認しよう」


 ルーフェルトが冷静な表情で成り行きを見守るベアンスに行動を促すと、彼はアイテムボックスから同様の回復薬をリリスに渡す。

 少女がまたも同じ動作でそれを口にした。

 様々な思惑を孕む瞳が彼女の口元に向けられた。そして、視線はそのまま流れるようにテーブルの上のカードへと移動する。


「ペテンだっ!」


 怒り、興奮し、口角泡を飛ばす男はその言葉を何度も繰り返す。

 ザイトランは憲兵に訴え、不可解な事象を否定し、最後にサナトを睨みつけた。

 だが、MPが回復しないという事実は覆らない。


「これは危ない。だまされかけたな……」


 冷ややかに告げるサナトの一言に、ザイトランが言葉を失う。

 だが、諦めきれないのか己のアイテムボックスからMP回復薬を荒々しく取り出すと、押し付けるようにリリスに渡し、飲むことを強要した。

 三本目ということもあり、ペースは落ちたが少女は素直に飲み干した。

 しかし――


「結果は出たようだな。確かにこれは重大な契約違反だ。十分に破棄の要件となる」

「そんなバカなっ!?」

「事実は事実だ。貴様も自分の目でたった今確認したはずだ。明らかに隠していたとしか思えないぞ」

「違う! 俺は本当に知らなかったんだ!」

「言い訳は不要だ。仮に知らなかろうが契約解除は間違いないのだ……二人ともステータスカードを出せ。まずは身分を確認する」


 逆らうことを許さない憲兵に、ステータスカードを提出するサナト。

 ザイトランも「くそっ」と叫びながら叩きつける。


「レベル8だとっ!?」


 サナトのカードを覗き込んだザイトランが素っ頓狂な声を上げた。

 遅れてその場の誰もが大きく目を見開いた。


「こ、こんな雑魚にこの俺がっ」


 ザイトランは憤怒の表情でサナトをひたすら罵倒するが、レベル8の男は涼しい顔をしたまま憲兵にさっさと事務を進めるよう促す。

 そして、ルーフェルトが公正証人としての判断を下す。

 ベアンスを一瞬確認し、何も言わないことに頷くと、高らかに口上を述べる。


「今回の契約は、奴隷に病気またはその他の異常があることを秘匿したうえで行われたものであり、買い手に著しい不利益を押し付けようとしたものと判断する。よって、契約は当初に遡って存在しなかったものとする。また奴隷の身分についても憲兵団で預かるものとする」


 ルーフェルトがリリスのステータスカードをザイトランに渡し、有無を言わさずサインをさせる。

 抵抗すればハルバートがすぐにその首に振られるのだろう。

 憲兵にはその権限がある。

 未だに混乱している男の苦し紛れの呪詛がこれでもかと室内を満たす。


「これで手続きは終わりだ。まったく……奴隷売買とはこれだから……ザイトランには追って今回の件の罰が言い渡されるだろう」

「くそっ!」


 ルーフェルトが呆れた顔でザイトランを一瞥し、緊張を露わにしたリリスに近付くと、まばゆい光を放つ手錠をする。一種の魔法だろうか。

 少女が困惑した表情でサナトを見た。

 だが、その男はまだザイトランと対面したままだ。


「ついてこい。一人で歩けるな? ベアンスもさっさと仕事に戻るぞ」


 リリスが静かに頷き、憲兵の後に続く。ベアンスも無言で少女を挟む位置で部屋を出ていく。

 サナトもようやく腰を上げた。


「てめえ、なぜ、あんなことに気付いた? いつからだ?」


 テーブルに拳を何度も叩きつけ、ぶるぶると体を震わせるザイトランが必死に冷静な声を絞り出す。


「……お前に言う必要はない。ただ、契約は果たせなくて残念だ。是非欲しかった奴隷だったのだがな」

「ぬけぬけとよくも……」


 サナトが部屋を出て扉を閉めた。

 寸前に「このっ、雑魚がっ! 覚えてやがれっ!」と最後の怒声が耳に届いた。


「……契約に雑魚は関係ないだろ」


 吐き捨てるようにその場でつぶやいた男は憲兵の後を追う。

 なぜか多くの店員が熱い視線をサナトに送っていたことに本人は気付かなかった。

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