ある日の病院内

圭パパ視点です。




*******



「は? 入院?! なんだってまた……」


 そもそも、それは真琴――娘が入院したという、妻からの電話が始まりだった。妻曰く


『階段のところでお友達とふざけてて、階段から落ちて足の上に乗っかられてポキッ、と行ったらしいわ』


 とのことだった。帰宅途中の運転中に電話がかかって来たため、ハンズフリーにして運転しながら帰って来たのだ。

 娘の着替えを持ち、たまたま東京見物をしに泊まりに来ていた俺の両親が息子の翼を預かってくれると言うので両親に息子を任せ、妻を伴って病院に行くとなぜか人がごった返していた。

 病院にいた人の話の端々から、大きな事故があり、かなりの人数の怪我人が出たということがわかった。

 妻に案内されながら人々の合間を縫って娘の病室に向かう途中、看護師たちが


「ほんの少しでも構いませんので、献血にご協力をお願いします!」


 と献血を募っていた。病院で献血を募るなんて珍しいな……と思い、声を張り上げていた看護師の一人を見ると、ガタイのいい二人の男がその看護師に近付いて話をしていた。漏れ聞こえる話から、手術中の子供がいて手術中に輸血が足りなくなり、追加を頼んでいるものの届くまでにもう少し時間がかかるため、急遽献血を募ったようだった。

 二人の男はそのまま看護師に付いていったので、多分献血をするんだろうと何となく思った。


「保さん、こっちよ」


 妻の言葉に促されるまま、娘がいる病室に向かった。


「あ、パパ、ママ……」

「馬鹿。なにやってんだ?」

「ごめんなさい」


 顔や手には擦り傷ができ、ギブスで固められた足を吊られている娘は、痛そうな顔をしながらも謝った。


「まあ、俺もガキのころは似たようなことをやったからな。今度は気を付けろよ?」

「うん」

「ん、ならいい。それと、真由、ちょっと……」

「なに?」


 妻を病室の外に呼び出し、「献血して来ていいか?」と聞いた。


「献血? どうしたの、急に」

「実は、さっき下で……」


 そう言って話したのは、俺が下で見聞きしたことだった。


「本当はギリギリまで採ってもらいたいが、帰りのことを考えると、それもできないし」

「そうね……。なら、交代で採ってもらう?」

「え?」

「だって足りないんでしょ? あたしも献血して来る。保さんが先に行って? 面会時間ギリギリまでいれば、充分休めるでしょ? お義母さんたちもいるから翼のほうは大丈夫だし、辛かったら休み休み帰ればいいし」


 そう言ってくれた妻に「すまん。ありがとう」と言ってその足で下に行き、看護師を捕まえて献血をしたいと言うと、すぐに採血をする部屋に連れて行かれた。採血が終わるとその部屋でしばらく休んでから病室に行き、入れ替わりで妻が献血に行った。



 ――この時はまさかこれが縁で圭を養女に迎えることになるとは思いもしなかった。



 翌朝、事故のことが新聞に載っていた。【男の子を庇った女の子、重体】という見出しを見て、助かればいいな、と思った。



 ***



 ある日、娘のお見舞いに行くと娘は車椅子に乗っていた。その側には同様に車椅子に乗った女の子がいて、娘に本を読んでいた。

 着ている服から覗く包帯から、彼女が新聞に載っていた女の子だと察しがついたが、俺を見てなぜか怯えた目をした彼女は近くにいた看護師を呼ぶと、娘に「またね」と言って手を上げて、看護師と一緒に病室のほうへ行ってしまった。


「あ、パパ」

「よう。足はどうだ?」

「まだ痛いよ」

「だよな……。で、真琴、さっき一緒にいた子は?」

「圭お姉ちゃんのこと?」

「圭お姉ちゃん?」


 お姉ちゃんという言葉に驚いた。どうみても娘と同じくらいの身長しかかなかったために、同年代だと思ったからだ。その時は元々身長の小さい子なんだろうとしか思わなかったが、別の日にまた娘のお見舞いに行くと


「親が全然来ないからおかしいと思ったら、どうやらあの子、親に虐待されてたみたいよ?」


 という話が聞こえ、さらに驚いた。しかも、ご飯をあまり食べないことから、ご飯も禄に食べさせてもらえなかったんじゃないのかとか、お見舞いに来るのは知り合いらしき男性二人と、同級生とその親のみという話も聞こえた。


(俺を見て怯えたのは、父親に殴られていたから、なのか……?)


 それに、あの小ささ。それなら、俺を見て怯えたのも、発育が悪いのも納得できる……できてしまった。


 その話を聞いてから、娘の側に彼女がいる時は、できるだけ笑顔を浮かべて話しかけるようにした。全然笑わないことも気になったが、娘が「圭お姉ちゃん、いろいろあって笑えなくなっちゃったんだって」と言ったことから、無表情になるほど辛かったのか、と胸が痛んだ。

 娘のぶんと一緒に、ジュースやお菓子を持って行ったりもした。最初は怯えて戸惑っていたものの、徐々に慣れて少しずつ怯えた目をしなくなった、そんなある日。

 いつものように妻と一緒に娘のお見舞いに行くと、娘と一緒に彼女が本を読んでいた。周りには数人の大人も本を読んでいた。


「いつも娘と遊んでくれてありがとう。娘は迷惑をかけていないかい?」


 そう声をかけると、目に優しさを称えて「そんなことないです」と言った。途中で紙袋を下げた男性が目に入り、ガタイのよさからあれ? と思った時だった。


「圭……お前というやつは……! 何で高林のとこのガキを庇ったんだ! お前にかける金は一銭もないんだぞ!」


 そんな怒鳴り声が聞こえ、その声がした途端に彼女はギュッと目を瞑って頭を竦めた。


「おい! それが自分の子供に対する言葉か?! 人助けの何が悪い!」


 紙袋を下げた男が怒気を含んだ声で怒鳴る。


(自分の子供、だと?)


 その男の言葉に、なぜ知っているのかと驚く。


「あんたたちが圭ちゃんの両親?! 今ごろお見舞いなの?!」

「しかも、『お前にかける金はない』、だと?! 人命を救った子に対して、何てひどいことを言うんだ! 誉めるのが本当だろう!」


 本を読んでいた大人たちが逆に口々に怒りだした。


「自分の子供に何を言おうが、俺たちの勝手だろう?」

「何だと?! 自分たちの勝手?! ふざけるな!」

「虐待している癖に! ご飯も禄に食べさせもしなかったくせに!」

「煩い! いらない子供に、ご飯など必要ないだろう!」


(いらない子供、だと……?!)


 その言葉に、ふざけるな、と思った。子供はかけがえのないものなのに。両親の顔を見ると、どうみても俺たち夫婦よりも若く見える。


(餓鬼が粋がって子供なんか作ってんじゃねえよ!)


 ふつふつと怒りが込み上げる。我慢の限界だった。


「真由」

「いいわよ」


 妻に話しかけると、即答された。俺は何も言わなかったが、言いたいことはわかってくれたようだった。


「いらないんなら、俺たちが養女にもらう」


 静かに、そして怒りを込めてそう言い放つと、微かに母親がびくりと震えた。周りは一斉に俺を見る。


「なんであんたに!」

「いらないんだろ? だからうちの子にする……そう言ってるんだ」

「ふざけるのも……」

「ふざける? ふざけてんのはあんたたちだろうが! それとも何か? 自分たちのストレス解消のための人間がいなくなると困る……そういうことか?!」

「な……」

「この、鬼畜!」


 そう叫んだ女性の言葉に、二人は怯む。が、父親のほうはだんだんと腹が立って来たのか、怒りで顔を真っ赤にした挙げ句、俺たちや周りの人間には口では敵わないと思ったのか、今度は自分の娘である彼女に近寄って、あろうことか殴ろうとして手を振り上げた。


「この、最低野郎が!」


 父親の近くにいた男性の一人が父親の腹を殴ると、数人がかりで彼女から遠ざける。


「離せ!」

「俺たちに言葉で敵わないからと言って、非力な子供を黙って殴るようなヤツを離すわけないだろうが! これ以上暴れるなら、警察につき出すぞ?!」


 そう言われた父親は、青ざめながらもおとなしくなったので、餓鬼がと内心で呟き、その隙に彼女に問いかける。


「圭ちゃん、と言ったよね? おじさんたちの子供になるかい?」

「でも……」

「大丈夫。おじさんたちは困らない。それに、君の身体には、おじさんやおじさんの奥さんの血も入ってる」

「あたしが生んだわけじゃないけれど、同じ血が入ってるんだもの、あたしたちの子供と同じよ?」

「圭お姉ちゃんがあたしのお姉ちゃんになってくれたら、あたしも嬉しい!」

「ほら、真琴もこう言ってる。何も心配はいらない。だから、おじさんたちの子供になるかい?」


 そう聞くと、彼女はしばらく考えたあとで頷いたので、持っていた鞄から手帳を出して、彼女に


「おじさんが言った通りに書いて」


 と言って、俺が言った言葉をそのまま書かせた。その後「真琴、またあとで来るな」とその場を立ち去る。


「今から手続きに行く。顔をかせ」


 胸糞悪い彼女の両親の側に行ってドスの聞いた声を出して彼女の両親を連れ出す。チラリと彼女のほうを見ると、紙袋を持ったガタイのいい男が彼女に話しかけていたので、その男に彼女を任せて病院をあとにし、役所に行って手続きを済ませる。


「二度とその面を見せるな! この虐待野郎が!」


 わざと役所の職員の前で怒鳴ると、彼らは周りにいた役所の職員や書類の手続きに来ていた人々に白い目で見られ、そそくさと帰って行った。

 職員の前で言ったのはちょっとした意趣返しだったのだが、あの二人には効果抜群だったようだった。

 病院に戻り、一旦娘の病室に顔を出してから彼女の病室に向かうと、ガタイのいい男が彼女と話していた。俺たちが顔を出すと「ほら、ちゃんと顔を出しただろ?」と言って笑っていたので、彼女の知り合いなのかとホッとしたので、そのまま


「今日から君は俺たちの娘だ。今から警察や保険会社に電話して、俺たちが親だからと言うから、安心して」


 と言うと、彼女は「え……?」と驚いた声をだした。そして側にいた男が「警察ならここに」と言ったので訝しげな顔をすると、男は懐から手帳のようなものを出して開き、身分証明を出して


「前嶋と言います。彼女の事故の担当者です」


 と言ったので驚いた。


(道理で……。だから彼女の両親を知っていたし、ガタイもいいはずだよな)


 と妙に納得していると、彼は「ここじゃなんですから」と言って、病室の外に誘われるがまま彼のあとに付いて行った。



 ***



「私、あの時冗談だと思ってたんだよね、その場しのぎの」

「あ? お前、然り気無くひどいこと言ってないか?」

「そう?」


 娘になってから十数年。小さかった身長が多少伸びたものの、結局は栄養不足が祟ったのか、あまり伸びはしなかった。今や小学生の末息子のほうが大きいくらいだ。

 少し大きくなった腹を抱え、義息子むすこになった親会社の専務である穂積 泪共々遊びに来た週末。真琴は高校時代からの友人たちと泊まり掛けで遊びに行っていて家にはおらず、妻の真由も翻訳でトラブルがあったとかで出かけ、息子二人は泪に纏わりついて勉強を教えてもらっていた。

 今は圭と二人で、圭に淹れてもらったコーヒーを飲みながら当時のことを話していた。当然圭は、ハーブティーを飲んでいる。


「でも、本当は嬉しかったんだ」

「ん?」

「『おじさんたちの子供になるか?』って言ってくれたこと。冗談でも嬉しかった」

「そうか」


 そう呟いて、幸せそうに微笑みを浮かべる娘を眺めながら、コーヒーを啜った。


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