ある日の泥棒を追っかける警部

圭→卓視点です。

『ある日の穂積家 2~元警察官の思い出~』に出てきた、アイツの視点です。




*******



「お圭ちゃん、充さんが会いたいって言ってるんだけど……」

「え? 充さん? なんで?」

「さあ……アタシにも良くわかんないんだけど……」


 朝ご飯を食べている時、泪が突然そんなことを言い出した。二週間くらい前に家族と出かけて泪と喧嘩をし、ちょっと前に仲直りしたばかりだった。


「いつ、って言ってた?」

「今日、会いたいって」

「今日?! ずいぶん急だね」

「急ってわけでもないのよね……」


 そう言った泪に「え?」と箸を止めて彼の顔を見ると眉をハの字にしていた。


「ずいぶん前からお圭ちゃんに会いたい、と言われてたんだけど、アタシがずっと止めてたの」

「そうなの?!」

「だってお圭ちゃん妊娠してたし。それに、何があるかわからないし、またあんな言い掛かりを言われるんじゃないかと思うと、アタシだって気が気じゃないわよ」


 泪はふん、と鼻を鳴らした。


「どっちにしろ、アタシは会議があるから一緒には行けないし……別の日にしてもらう?」

「うーん……昨日言ったと思うけど、今日、卓お兄ちゃんに会うんだよ。圭輔義兄さんが連れて来てくれるの」

「そうだったわね。義兄さんとはどこで待ち合わせてるの?」

「瑠瀬義姉さんのホテルだよ。あそこなら空港からも近いし」

「麗も連れて行くのよね?」

「うん」

「だったら、そのまま一緒にいてもらったら? 元警察官と現職国際警察官がいるならアタシも安心だし。アタシから義兄さんに連絡しておくから。ね?」

「そうだね。そうする」


 じゃあ、充さんと義兄さんにそう言っておくわと言った泪は、スマホを持って電話をかけに行った。


 待ち合わせ時間が近くなったため、スリーピングフードがついていて尚且つ眠ってしまった子供の首カックンも防げて、対面抱きやおんぶに腰抱っこまでできるベビースリングに麗を入れて対面抱きにすると、荷物を持って下に下りた。電車で行こうと思っていたのだが下に飯田がいて


「瑠瀬さんのホテルまで行くんだって? これから出張で空港まで行くし、通り道だから送ってってやる」


 と言ってくれたので、その言葉に甘えることにして、荷物を預けて車に乗り込んだ。



 ***



「んーっ! 良く寝た!」


 日本に帰って来たのは、十年ぶりだった。いや、それ以上か、と一人ごちる。


「前嶋さん……いや、今は穂積さんか……。穂積さんに会えるのも、圭に会えるのも久しぶりだな」


 穂積はともかく、小さかった圭がどんな女になっているか、楽しみで仕方がない。


(まだ独身だったら、俺が嫁にもらってやるか)


 鼻歌混じりで着替えながらそんなことを考え、穂積との待ち合わせ場所であるホテルのロビーに行くと彼は既に来ていた。警察官を辞めてかなり立つというのに、そうは思えないほど、彼は当時と同じような体型と異彩を放っていた。


「穂積さん!」

「お、やっと来たな」


 ニヤリと笑った顔は、以前と変わらなかったので安心する。


「圭とはどこで待ち合わせを?」

「義妹のホテルだ。ここから近い」


 彼の車まで移動しながらそんな話をし、車に乗ってからはお互いの近況報告をしているうちに着いた。


「へえ……静かでいいところですね」

「だろ? 圭は……っと、いた。圭!」


 フロントの近くにいた二人の女性のうちの一人が振り向いた。その顔は、記憶にあるよりも綺麗になった圭だった。全身をそっと眺めると、当時よりも大きくなった身長と、胸が目に入る。育ったのはいい。いいが……


(育ち過ぎだろ! 特に胸が!)


 と内心突っ込む。圭が寄ってきて「卓お兄ちゃん!」と抱き付いて来た。腹に当たる柔らかい感触に、一瞬固まる。


「久しぶり!」

「久しぶりだな! それにしても、よく育ったなぁ……」


 そう言って胸を撫でると圭にはセクハラと怒られ、穂積には殴られた。


「ってえ……」

「自業自得だ!」

「あ、瑠瀬義姉さんありがとう」

「いいえ。やっぱり可愛いわね」


 圭の後ろをくっついて来ていた瑠瀬と呼ばれた女性が、クスクス笑いながら抱き抱えていた赤子を圭に渡していた。


「け、い……? それ……」

「あれ? 圭輔義兄さんに聞いてない? 私、結婚して子供が生まれたんだよ! 娘の麗だよ」

「義兄さん、って……マジか……。穂積さん……黙ってたなんてひでえ」

「ん? まあ、俺の意趣返し、かな」


 ニヤニヤ笑う穂積と、きょとんとしている圭にガックリと肩を落とすと


「あーあ。儚い夢だったなあ……」


 と、ボソリと呟いた。



 ***



「へえ、そうなんだ! じゃあ、もうずっと日本にいるの?」

「ああ。和哉とかには会ってるか?」

「かずくんなら同じ会社で働いているから、しょっちゅう顔を合わせるよ! 今度かずくんにも言っておくね」


 近況報告がてら圭とそんな話をしている時だった。


「卓……?」


 そう声をかけられ、その声のほうへ振り向くと、驚いた顔をした、縁を切った父親と弟の充がいた。


「なんで……」

「あ……」

「在沢さん……いや、今は穂積さんか。会ってくれてありがとう」

「いえ。それで、会いたいとのことでしたが、どのようなことでしょうか?」

「圭?」

「しっ!」


 圭に話を聞こうとして、穂積に止められた。抗議しようとして穂積を見たのだが、彼はある程度の事情を知っているのか、ただ黙って首を横に振るだけだったので、しぶしぶ頷いて二人して席を立って父と充に席を譲り、穂積と俺は様子を見るために圭の後ろに立つことにした。

 圭の隣には椅子ふたつ分を分取った揺りかごに麗が寝かされている。その揺りかごは「ずっと抱いているのは大変そうだから」と言って瑠瀬が持ってきたものだった。


「彼は私の父だよ。君に会いたかったのは、あの喫茶店での時のことを謝罪したかったからだ。それに、学のことも」

「学くん……?」

「学は、私の末の息子なんだ。学やその母親の話から、ずっと君が嘘をついているんだと思っていた。でも、嘘をついていたのは学のほうだった。それに、お見舞いにも行かず……。今更謝っても遅いとは思うが……」

「ホント、おせえよ」


 小さい声でボソリと呟いた俺の言葉に、穂積に卓、と窘められ、父はその言葉が聞こえたのか、一瞬表情を硬くしたもののすぐに申し訳ない、と頭を下げた父と充に、圭は困った顔をしながらも「頭を上げてください」と言った。


「もう終わったことです」

「それではこちらの気が済まない。本当なら学や母親を連れて謝罪するつもりだったが、離婚したあと、二人がどこに行ったのかわからないんだ。多分母親の実家に帰ったんだとは思うんだが……」


 父の離婚という言葉に驚いた。そんなことをするような人には見えなかったから。


「これだけで申し訳ないが、もらってくれないか」


 そう言って差し出された封筒に、圭は表情を硬くしつつも、それを突き返した。


「いただけません。先ほども言いましたがもう終わったことですし、たった今謝罪もしていただきましたから」

「だが、……」

「うー……ひっく」

「あ……。ごめんね、麗。大丈夫だから」


 父の言葉を遮るようにぐずり始めた麗を揺りかごから抱き抱えて背中をポンポンと叩いた圭に、父と充は驚いた顔をした。


「子供がいるのか」

「はい。二ヶ月ほど前に生まれたばかりですが」


 そう言った圭に、父と充は顔を見合わせて頷くと


「なら、せめて、お祝いとして、その子の服を買わせてくれないか?」

「いりません」

「穂積さん!」

「……圭」


 低く呟いた穂積に何かを感じたのか、圭はびくりと肩を震わせる。


「終わったことなんだろう? だったら、彼らの気持ちも汲んでやったらどうだ?」

「……」

「それに、病室で卓に言ってたじゃないか。『学くんに、私みたいな傷ができなくてよかったね』って。あれは嘘か?」


 穂積の言葉に、父と充は息を呑んだあと、父は顔を歪ませて「あ……」と呟いた。


「嘘じゃない!」

「だったらいいじゃないか。謝罪も受け入れたんだろう? 自分の命を張って彼の命を救ったんだ。恩着せがましい言い方だが、『彼の命を救ったんだから、娘のために洋服をたくさん買ってください』って言っても罰は当たらんと思うぞ? 全額買ってもらう必要はないさ。麗のための洋服を二、三着。それで終わり。それでいいじゃないか」


 穂積は圭の頭を優しく撫でながら、圭にそう言った。


「穂積さん、お願いします! せめて、お祝いをさせてください!」

「圭?」


 父と穂積にそう言われた圭はしばらく黙ったあとで「はーーっ」と溜息をつく。


「また、泪さんに『お圭ちゃんてばお人好しなんだから』って言われちゃうかな」

「まあ、泪ならそう言うだろうが、俺はそうは思わない。その時は俺が庇ってやるから」


 そう言って圭の頭をポンポン、と軽く叩いた。


「……うん。……充さん、おじさん、麗の……娘のために、洋服を買っていただけますか?」

「あ……、ああ、もちろん!」

「このホテルにあるブティックに、前からいいなと思っていた服があるんです」

「じゃあ、すぐに行こう」

「……すごく高いんですけど……」

「軍資金はたくさんあるから」


 席を立った三人にくっついて行こうとして父に腕を捕まれ、「話がある」と言われた。戸惑っている俺に、穂積は


「俺と充さんだけでいい。お前にはやることがあるだろう?」


 最初で最後のチャンスかも知れんぞ、と言って俺と父を残し


「頑張れよ、泥棒を追っかける警部」


 と圭と麗、充を伴ってホテルの奥のほうへ行ってしまった。


(……気まずい)


 十数年ぶりに会う父。話すきっかけが掴めないまま、しばらく沈黙する。通りかかった人にコーヒーをふたつ頼み、それを待つ間、十数年前のことを思い出す。

 事故現場から見えた、学の姿。自宅方面に向かう細い路地から顔を出して様子を窺っていたが、すぐに顔を引っ込めて消えてしまったこと。

 目の前にいる父に学の嘘を教えたが、信じてもらえなかったこと。

 当時のことを考えていたら「泥棒を追っかける警部とはなんだ?」と父に話かけられた。


「……俺に興味を持つなんて珍しいじゃないか」

「興味がなかったわけじゃない。ただ……何を話していいかわからなかっただけだ」

「ふうん? まあいいや。今更だし」

「そう、だな……。それで、泥棒を追っかける警部とは?」

「ああ……圭が入院している時に話をしてて。その時の話から出た、たとえ話さ」

「たとえ話?」

「ああ。俺、今はICPOインターポールにいるから」

「インターポール?」

「国際刑事警察機構。そのオッサン警部が『インターポールの銭形です』って、そう名乗ってるだろ?」


 そう言うと、父は「警察官?」と言って目を見開いたので、溜息をついて当時のことを話す。


「あの時、俺は既に新米刑事でさ。前嶋さん……さっき一緒にいた人だけど、あの人と組んでて。あの人と一緒に圭の事故の担当をしたんだ。そのあと本部での募集があったからすぐにフランスに飛んで、採用されたからそのままずっとフランスにいたんだ」

「え……」

「なぜ事故現場に行ったのかは詳しくは言わないけど、あの時、その場所から学の姿を見た。それに、事故に遭った人からも詳しい状況を聞いてた。だから学の嘘を知ってたんだよ」

「だから、卓は……」

「……」

「警察官で事故の詳細を知ってたから、『調べもせずに、嘘つきな学の話を信じるのか?』と……『俺はあの現場を見てたから知ってるよ』と言ったんだな……」


 眉間に皺を寄せて目を瞑り、父は黙りこんだ。ちょうどコーヒーが来たので、それを一口すする。


「……結局、卓の言った通りになったよ」

「何が?」

「卓が出ていったあと、学の嘘を嘘だと思わなかったばかりに住民たちから白い目で見られ、あの町を逃げるように出ていく羽目になった」

「……」

「しかも、最近まで学が嘘をついていたなんて知らなかった。ずっとあの子が……穂積さんが嘘をついているんだと、信じて疑わなかった。……嘘をついていたのは学だけでなく、アイツもだったがな。それを知った時、私はアイツに離婚を言い渡し、家を出た。今は充と一緒に住んでる」


 そう言って父はコーヒーを啜ると


「卓、すまなかった」


 と言って頭を下げた。


(ったく、今更遅えよ)


 と思いつつも溜息をついた。


「別にいいさ。圭の言い分じゃないが、もう終わったことだし」

「卓……」

「気付くのは確かに遅かったけど、気付いて圭に謝罪したんならそれでいいさ」

「卓……本当にすまん」


 再び頭を下げた父に「もういいから」と言って頭を上げさせる。ポツリ、ポツリと、お互いの近況報告をしていると「ただいま」と言って圭が戻って来た。穂積の両手には、紙袋が三つぶら下がっている。


「……えらい荷物だな、圭」

「二着でいいって言ったのに、充さんが「あれも可愛い、これも似合う」って言って……」

「可愛いし、似合うと思ったから買っただけだ」

「それにしたって七着は多すぎます! どうやって持って帰ればいいんですか?!」


 ちょっと麗を預かってくださいと言われた父は一瞬焦った顔をしたが、圭はそれに構うことなく麗を預け、充に食って掛かっている。

 困った顔をしつつも麗をあやす父は、端から見れば孫をあやす祖父みたいに見えた。



 ――あと三年早ければ。



 ふと、そんな言葉がよぎる。三年前から日本への移動願いを出していた。当然、長期の休暇願いも。だが、なんだかんだと却下され続け、やっと今年、日本への移動願いが受理されたばかりだった。

 あと三年早ければ、圭は俺の妻になってくれていただろうか。


(老けた親父に絆されたかな……)


 それはないな、と小さく頭を振って苦笑する。圭のことは妹分としか見ていない。もし、本当に妻にするつもりなら、本部の採用試験など受けずに日本の支部の採用試験を受け、圭を見守っていたはずだ。


日本こっちに帰って来たことだし……)


 充と喧嘩する圭を見ながら、こっちで恋人でも探すかな……と一人ごちた。


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