Breakfast at Tiffany's

『ただいま! じいちゃん、ばあちゃんは?』

『なんだ、帰って来た早々に。ばあさんは今お茶を入れてるぞ。どうした?』

『ばあちゃんが来てから話すよ』


 食卓にある僕のぶんのご飯を食べながら、どうやって圭の結婚のことを話そうかと考える。食べ終わると食器を洗って伏せておき、三人がいる居間に行くと祖母は僕にもお茶を出してくれた。


『で? 葎、どうしたんだ?』

『圭が結婚したんだって!』

『え?』

『は?』

『何ぃ?!』


 祖母、祖父、曾祖母の顔が驚きに変わり、三人揃って『えええっ?!』と叫んだ。だよね、普通驚くよね。僕も驚いたくらいだし。


『いつの間に?!』

『それはわかんないよ。僕だって聞いてないし。ただ、相手は、親会社の専務だって聞いてるよ?』

『葎の親会社って?』

『穂積エンタープライズだよ』

『そりゃまた……』


 親会社の名前を知っているらしい祖父が絶句した。


『でね、できれば、両親には黙ってたほうがいいと思うんだけど……』

『圭に会いたがっている母親にも、か?』

『うん』


 母は純粋に圭に会いたいと思ってるんだろうと思う。でも。


『母さんはともかく、今までの母さんの話の感じから、父さんには話さないほうがいい気がするから』

『なんでだ?』

『なんかさ……圭に会いたいと言っておきながら圭じゃなくて、旦那さんにばかり話して、最後はお金を貸してと言いそうなんだよね』

『あり得るな。一度、わしんとこにも来て金を無心していったからな。きっぱり断ったが』


 そう言った曾祖母に、やっぱりと思った。尤も、穂積専務あの人ならきっぱり断ったうえで、再起不能にまで追い込みそうだけど。


『母さんには、時期を見て僕から話すよ。だから、とりあえず二人には黙ってて?』


 お願いしますと言うと、三人は黙って頷いてくれた。



 ――まさか、本当にそんな目的で父が圭に会いたいと言うなんて、僕も曾祖母たちも、この時は思いもしなかった。



 ***



 在沢室長が、珍しく『用事がある』と言って有給休暇を取った。取ったはずなんだけど、終業間際になぜか在沢室長が一人の男性を伴って現れたのが目の端に映った。二人とも顔が強ばっていた。

 僕は他の部長の随行秘書として帰って来たばかりで、この時の僕は気のせいだと思っていた。


 翌日、会社に行くとなんとなく会社全体がざわついていた。理由を聞くと、政行が逮捕されたらしい、と聞いた。


 何で政行が? 何をしたの?


 そう聞きたいけど、聞けるような状態でも状況でもなかった。


「羽多野、今日は俺の仕事を手伝ってくれ。他の皆はいつもの通りに。但し、全体的に浮わついてるからお前らがしっかり諫めろよ? 俺たちは秘書だ。『どんな時でも冷静に』。それを忘れるな。忘れて一緒になって浮わついていたら……わかってるな?」


 室長の言葉に、先輩達の顔つきが変わる。室長が怖いからなのか、室長の言葉を聞いて落ち着いたからなのかは僕にはわからない。……半々、のような気がする。


 その後、先輩たちは自分の仕事をするべく全員秘書課から出ると、室長は僕に隣に座るように言った。僕が室長の隣に座ると


「仕事をする前に、お前に話がある。『どんな時でも冷静に』。これを忘れるなよ?」

「はい」


 僕が返事をすると、室長は一旦息を吐いてから話し始めた。


「先ず質問なんだが、小田桐部長はなぜ圭に拘る?」


 何で政行? と戸惑いつつも、僕と圭と政行は中学の時の同級生だったこと、政行が圭に恋心を抱いていたこと、政行が圭を口説こうとしていたけど、なんとなく邪魔したほうがいい気がしてそれをさんざん邪魔したこと、当時も同じように圭と僕を逆に呼んでいたことを正直に告げる。


「なるほど……だから小田桐部長は圭に執着していたし、お前と圭を逆に呼んでたのか……」

「室長……?」

「実は、小田桐部長が圭を拉致監禁し、レイプしようとしたそうだ。それを昨日、穂積社長と一緒に行って社長に報告してきた」

「えっ?! 政行が……小田桐部長が逮捕されたって……!」

「羽多野、もう少し声を抑えろ」

「っ、申し訳ありません」


 どういうこと?! そう続けようとして室長に怒られた。


「あ、だから昨日、休みだったはずの室長が会社に来てたんですね」

「目敏いな」

「たまたま見かけて……。それで圭は……在沢さんは……あ、今は穂積さんか。穂積さんは無事だったんですか?」

「ああ。専務と圭を護衛していた人、あとは警察に寸前で助けられてな。現行犯逮捕だそうだ」

「そう、ですか……」


 もう政行の手には入らないのに。人妻なのに。それすらもわからなくなるほど、圭に焦がれていたの?


「僕が邪魔しなければ……」

「俺は邪魔して正解だと思うぞ?」

「ですが……」

「多分、お前は小田桐部長の狂気を読み取ったんだと思う。あれは正に『狂気』だよ。小田桐部長の行動は盲執ともとれそうなほどだったし、俺や同性、同期と話すだけで、嫉妬心丸出しで怒りを表していた。お前や俺たちが邪魔しなければ、小田桐部長の盲執と嫉妬心で、鈍感とはいえ多分圭のほうが壊れていた。小田桐部長には悪いとは思うがな」


 確かに政行の行動はどこかおかしかった。だけど……。


「室長……。ですが、僕……」

「気にするな、と言ってもお前は気にするんだろうがな。ただ、原因はお前が全てというわけじゃない。確かに発端はお前だったかも知れないが、周りや俺、親である社長にも原因がある。それだけは覚えておけよ?」

「……はい」


 室長がポンポンと慰めるように僕の頭を叩く。周りや室長まで邪魔していたなんて知らなかった。多分、それだけ政行の行動がおかしくなっていたんだろう。

 その後、長期出張の途中で帰って来た政行は社長や役職者達に怒られ、その穴埋めで別の役職者が行ったと聞かされた。


(あの時、政行を見たと思ったのは間違いじゃなかったんだ)


 それほどまでに、圭に会いたかったのだろうと思う。思うけど、それでは圭は尊敬どころか、仕事ですら振り向きもしない。圭は公私をきちんと分けられる人だから。

 結局政行は禄に仕事もせずに圭に会いに行ったり、何度社長や室長が『彼女は結婚したから諦めろ』と言っても、話を全く聞かなかったのだと言う。


「さて、仕事だ。さっき俺が言ったこと、覚えているな?」

「はい」

「おいおい、そんな情けない顔をするな。圭だってよくオロオロしてたが、仕事中は冷静だったぞ? 尤も、冷静を装っているだけだったかも知れんが。オロオロするなとは言わないが、できるだけ表に出さない努力をしろ。できるな?」

「はい」

「よし。じゃあ、この翻訳を頼む。とりあえずツールを使ってやってみろ。どうしてもわからなければ聞いてくれ」

「わかりました」


 渡されたのは、未だに勉強中のスペイン語とドイツ語、あと英語に翻訳と書かれた書類が多数。でも、室長の手元にあるのはそれ以上だった。

 やっぱり室長はすごいと思う。室長も動揺しているはずなのに、キーボードを素早く打つ手はそれを微塵も感じさせない。圭や先輩たちが『鬼の在沢』と言いつつも、室長を尊敬しているのがよくわかった。



 ――後日、政行が医療刑務所に送られたと聞いて面会に行った。けど、政行はもう、その瞳に何も写すことなく、罪を償うこともなく、ただ、夢の住人であり続けた。


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