Greyhound
圭からの挨拶に、不機嫌極まりない声で返す在沢室長に内心ビビりながらも、手を繋いだままの圭の温もりに安堵しつつソファーに座ると、母親がコーヒーを持って来てくれた。
「アリガトウゴザイマス」
そう言ったものの、今にも射殺しそうな在沢室長の視線に気をとられ、情けなくも棒読みになってしまったのだが、「どういたしまして」と答えた母親はなぜか笑いをこらえていた。
意を決して「あの」と声をかけるが、「穂積さん、どういうことか説明してください」と、俺の言葉を遮るように低い声でそう言われた途端、手が震えてしまった。
「説明……ですか?」
「娘の圭は貴方の秘書として穂積に行ったはずが、どうして貴方の恋人として、今、ここにいるのかを」
「あー……」
何か言われるたびにびくりと手が震えてしまう。それを心配してなのか、圭の手がキュッと握られる。安心させるように握り返し、ふっと小さく息を吐くとこの二日間の出来事を、一部をはしょって正直に話したのだが。
「圭は鈍感だから、それくらいじゃないといつまでたっても恋人なんてできないしねぇ」
との母親の言葉に、一瞬気が抜けてしまった。けれど、次の母親の言葉に、もしかして……と眉間に皺を寄せる。
「小田桐にいた五年、『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』と謂わんばかりに、まず俺のところにくるんだよ……」
在沢に聞かされた内容と、圭のあまりにも鈍感……いや、初心過ぎる反応に、強引にして正解だったのかもと思いつつ
「「「鈍いにも程がある」」」
と三人同時に突っ込みを入れることができたのは偶然だった。
そのあとも話を続けようとしたのだが、妹が「お姉ちゃん、ケーキの作り方教えて」と言って来たので仕方なしに「行ってらっしゃい」と手を離し、圭を送り出す。
「さて、続きだが」
在沢室長の言葉にびくりと体が強ばる。
「減りはしたが、一人、まるでストーカーのようにしつこいのがいる」
その言葉に、眉間に皺を寄せてしまった。叱られるかと思ったら、俺が考えてもいなかった話をされて聞く姿勢をとる。
「ストーカー?」
「正確にはストーカーもどきだな。圭の何を気に入ったんだか……」
在沢室長はふっと息を吐き、コーヒーを啜ったので俺も「いただきます」とコーヒーを啜る。
「去年まではそんなでもなかったのに、今年の春ぐらいから職権乱用までし始めてな。『業務に支障をきたす』と他部署からクレームが入ったから注意したが、全く意に返さない」
黙って聞いていた母親の眉間に皺が寄る。
「仕方なしに上と相談し、俺が行くはずだった出張に圭を行かせたり、別の秘書を付けて即切り離しをしてみたりしたが、いつまで誤魔化せるかも心配だった。だが、それも誤魔化しきれなくなってきてる」
その話に少し動揺してしまう。ある意味、俺も職権乱用した口なので在沢室長の話は耳が痛い。
「だが、業務に支障をきたすのはまずい。だから秘書課の室長としては部下が減るのは大変だが、俺個人にとっちゃ圭の穂積行きは渡りに船だったんだよ。幸いなことに圭が気管支炎で寝込んだ週初めに、まるで謀ったように海外に出張に行かされたから、ヤツが圭の穂積行きを知るのは当分先になるが」
嫌悪感たっぷりに、「ざまあみろ」と謂わんばかりの在沢室長の言葉にゾッとする。
「……なぜ、それを私に教えてくれるんですか?」
「圭が貴方に心を開いているからだよ」
「は?」
その言葉に首を傾げる。意味がわからない。
「圭はいろいろあって、滅多に人に心を開かない。信用しないと言ってもいい。小田桐にいた頃でさえ仲良く話はしても、
「それは、私が強引に言ったからで……」
「たとえ強引に言ったとしても、余程のことがない限り圭は絶対に裸眼にはならない。だから……」
「ちょっ、は? ええっ?!」
在沢室長から小声で落とされた爆弾は確実に俺の身体を貫き、歓喜となって駆け巡る。だが、先程の在沢の顔が気になって、恐る恐る聞いてみる。
「えっと……怒ってるんじゃ……」
「怒ってはいないが」
「さっきの般若顔……」
「笑いを堪えてたんだっ!」
「あー……その、お嬢さんを……圭さんを私の嫁にくださいって言ったら……」
「「いい
絶対に反対されると思ったのに、こんなあっさりと言われて脱力感でいっぱいだった。今までビクビクしていたのが馬鹿馬鹿しくなってしまった。
ふと、好奇心でストーカー男の名前を聞いてみる。
「ストーカー男の名前を聞いても?」
「ああ」
「そいつ、盲目的にお姉ちゃんを狙ってて、連れ去ろうとしたのは一回や二回じゃないんだから」
在沢室長が名前を言おうとした途端、どこから聞いていたのか、突然降って沸いた彼女の妹の声にぎょっとし、在沢夫妻はその言葉にぎょっとする。
「そのたびに撃退してるのに、しつこいのなんのって! オカマとは言え、男でお姉ちゃんの恋人なんでしょ? そんな変態ストーカー男、もし見かけたら一発で撃退してね! ホントは買い物に一緒に行きたいけど、今日はカレシ優先! 今日の護衛はオカマに任せたからね!」
「アンタにそんなこと言われなくたってわかってるわよっ!」
妹の言葉にブチッと何かが切れ、玄関先同様いつもの調子でそう怒鳴った。気付いた時には既に遅く、思いっきり地が出たあとだった。
「あ、あの、これは……」
「……あの噂、本当だったんだな」
なぜか夫婦揃ってクスクス笑っている。笑いを堪えながらそう言った圭の父は、俺の事情を知ってるようだった。
「真琴にまた何か言われたの?」
そう言ってリビング入って来た圭の顔は心配そうだった。ホントのことだからいいのよと圭に言い、ケーキ作りは終わったのかと聞くと頷いたので、「今度アタシにも作ってね」と言うと頷いてくれた。
そして圭とその母親と三人で出かける。停めてある車のほうに行こうとして「そこの大型スーパーに行きましょう」と言われ、スーパーに向かう途中でさっきの話を思い出し、溜息をつく。
「あら、圭が心配?」
「それもあるんですが、本当にアタシに心を開いてるのかな、って」
「確かに鈍感だけどね……圭から何か聞いた?」
「事故の話と、在沢家の養女になった顛末を少しだけ」
ちらりと母親が圭を見ると、にんまりと笑う。
「あら、大丈夫よ。絶対に泪君に心を開いてる」
「でも……」
「微かにだけど、圭の眉間に皺。しかも悲しみと怒りが入り雑じった視線と目をしてる。確実に私に嫉妬してるわよ? 圭は」
「え……?」
母親の言葉に半信半疑で圭を振り返ると、今にも泣きそうな顔と嫉妬を丸出しの目をした圭が目に入り、ぽかんとしてしまった。
(め、滅茶苦茶わかりやすい……!)
そのことに唖然とする。
「ね? 言った通りでしょ? 自信を持ちなさないな、泪君」
楽しげな母親の言葉に「さすがは母親ねぇ」と返し、にっこりと笑いながら圭に「はい」と手を差し出す。一瞬きょとんとしたが、俺が言ったことを思い出したのか、慌てて手を乗せて来た。
それだけのことで、泣きそうだった顔が見る間に明るくなる。それがあまりにも可愛くて「よくできました」と指先をそっと掴んで持ち上げ、指先にキスを落とすと真っ赤になった。
「……なっ?!」
「これで機嫌直して? ね?」
可愛すぎて内心悶える。だが圭はよくわかっていないのか、きょとんとした顔をした。
「……ホントに鈍感ね、圭は……。ごめんなさいね、泪君」
「いいえ。むしろ嬉しいですよ」
苦笑した母親にそう答え、俺は嬉しさのあまりクスクス笑う。
早く圭自身の気持ちを自覚してほしい……切実に、そう思った。
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