2001年8月1日(水)

 幸い、熱はぶり返さなかった。

 雨も、今日は上がっていた。太陽がぎらぎら。

 とても暑い。日焼け止めを何度も塗った。


 さて。――

 今日あったことを日記に記そう。

 私は今日、学校におもむき、工藤桃花教諭と会ってきた。

 工藤教諭は、職員室にいた。私の顔を見るなり「事件のこと、大変ね」なんてありふれたことを口にしたけれど。――私はそこで、ずばり尋ねた。


「昨日、長谷川幸平くんと会っていましたね?」


 工藤教諭の顔色が、さっと変わった。


「……見ていたの?」


「偶然ですが」


「……そう。……そうなんだ」


 教諭は、どう客観的に見ても狼狽していた。

 それから、職員室の中の人目を確認すると、外に出たい、と言い出す。

 外に出る意味がない。私が彼女のペースに合わせる意味はなにもない。私は拒否し、さらに問い詰めた。


「長谷川くんと、なにをしていたんです?」


「…………」


「私の友人、若菜がああいうことになって、いま学校は大変なときなのに、あなたたちはなにをしていたんですか?」


「それは……」


「だんまり、ですか。……先生」


 私は、顔を蒼白にさせている工藤先生をじっと見据えてから――

 前々から疑問に思っていたことを、ついに告げた。


「先生。あの日、図書館で若菜といっしょに先生にお会いしたときのことを、覚えていらっしゃいます?」


「……ええ、覚えているわ……」


「それならば、尋ねましょう。なぜあのとき、第2、第3の事件について語らなかったのですか?」


「…………」


「21年前に岡部愛子が殺されたことを、ロマンチックな話だと語った先生。だけど14年前の事件と7年前の事件については、ひとことも語らなかった先生。あのときは、なにを考えているのか分からなかったけれど……こうして若菜の事件が起きてしまえば、あのときの態度さえ不審なものに思えてきます。夏休み以前まで、さほど接点もなかったはずの長谷川くんと逢瀬を重ねていることも――」


「は、袴田さん。声が大き――」


「大きくていっこうに構いません!」


 私は、わざと声を荒らげた。

 職員室の中にいた先生たちが、こちらを注目してくる。工藤教諭は、もう泣きそうな顔をしていた。

 そんな彼女の顔を見て、私はふいに、あることを思い出した。


「先生。……先生はM高校の出身だとおっしゃっていましたよね。そして――先生の年齢は確か、ことしで30歳でしたね。ということは」


 私は、告げた。


「14年前。北条凛という女性教師が殺されたとき、先生は高校に在学していたことになりますよね?」


「…………!」


「当然、事件のことは知っていましたよね。それなのに、図書館で私と若菜と会ったとき、先生はそのことをひとつも口にしなかった。第1の事件、岡部愛子のことはあんなに雄弁に語っていたのに。それはなぜですか」


「…………」


「先生。……率直に申し上げて――」


 私は、ついに言った。

 勇み足かもしれないが、言わずにはいられなかった。


「あなたは、事件のなにかを知っているのではないですか?」


 そうとしか思えなかった。


 21年前、第1の事件が起きた話を、ロマンチックに語っていた先生。

 14年前、第2の事件が起きたときにM高校に在学していた先生。

 だけど、その第2の事件のことについては、これまでまるで語らなかった先生。

 そして現在、殺人被害者である若菜の友人、長谷川幸平くんと急激に接近した先生。


 証拠はない。

 なにも証拠はない。

 ただ――なにもかもが、実にうさんくさかった。


 私はそこで、少し手綱をゆるめた。

 これ以上責めても、工藤教諭はなにもしゃべらないだろうと思ったから。


「先生。私はなにも、先生が犯人だと言っているわけじゃありません。ただ、知っていることはしゃべったほうがいい。また生徒である長谷川くんとの交際は、教師としていかがなものか。そう言いたいのです」


「そ、それは……その……」


「ところで先生」


 冷や汗を垂らしている先生に、私は意地悪く、しかし勇気をもって尋ねてみた。










「若菜が殺されたと思われるあの日の夕方。――先生は、どこでなにをしていましたか?」










「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」









 異様に長い沈黙のあと。

 工藤教諭は、ふいに落ち着いた笑みを浮かべ。


「そこにいらっしゃる松下先生と、理事長室で次の全校集会について打ち合わせをしていたわ」


 今度は、私が片眉を上げる番だった。

 バレー部顧問の松下先生は、確かに職員室にいた。


 そして事件の日のことについて尋ねると、若菜が殺された日、彼女が殺されたと思われる時刻――午後4時半から午後5時にかけて――確かに工藤教諭は自分と打ち合わせをしていた、と証言した。しかも打ち合わせ場所は理事長室だ。学園の理事長も、その場にいたとのことである。


「まあ、途中でお手洗いには出かけたけれどね。でも、何十分も留守にはしていないわ。せいぜい十分くらいかしら」


「ああ、それは確かだ。工藤先生は、ほとんどずっと、オレと理事長と一緒にいたぞ」


 松下先生はうなずいた。

 工藤教諭のアリバイは、少なくとも若菜殺しについては成立した。

 だって、トイレに出かけた10分だけで、若菜を殺すのは不可能だもの。


 いえ、仮に殺すだけなら大急ぎでやれるかもしれないけれど……。

 そう、あの指風鈴。……若菜の指を切断して、上から吊るすまでやるとなると、さらにあと5分。15分はかかると思う。


 それに、鍵。……あの地下室への扉は理事長室にあったとニュースでやっていたけれど、その鍵を取り出すのも難しいだろう。

 理事長と松下教諭、ふたりもひとがいる部屋の中で、鍵をうまく盗み出すなんてことは無理だ。


「……袴田さん。探偵ごっこもけっこうだけど、ほどほどにね? それと長谷川くんとのことは」


 工藤教諭は、妖艶な笑みを浮かべてから、


「たまたま外で一緒にいただけよ……。ふしだらなことはなにもしていないわ。それとも」


 おぞましい声音で、脅すようにくちびるを動かした。


「なにか証拠でもあるのかなあ……?」


 ――この女。

 一連の反応と言動のすべてが、とにかく怪しかった。


 それから私は学校を出て、帰宅したけれど。――調べなければならない。工藤教諭のことを。

 すなわち、14年前に起きた北条凛殺人事件のことを。これについて、あの女はきっと関わっているに違いないのだ。


 しかし……

 若菜を殺したのは、少なくとも工藤教諭ではない。それだけは確かだ。


 だとすると……?

 犯人は……本当に誰なの……?

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