山本キキラ《やまもとききら》の日記 総括

 事件を、頭の中で整理していた。

 山本キキラの日記によって判明したことが、いくつかある。




 21年前に殺された岡部愛子は、兄の岡部義太郎と、恋人同士。いわゆる近親相姦の関係にあったこと。

 そしてその義太郎は、当然、愛子殺害の犯人ではないかと疑われたが、いわゆる指風鈴の糸に付着した指紋が第三者のものであったことから、逮捕はされなかったこと。


 14年前に殺された北条凛については、情報が不足している。

 M高校の女教師だったということしか分かっていない。


 7年前に殺された三段坂夏美は、山本キキラとはイトコの関係であり、殺害された当時は、岡部義太郎と援助交際の関係にあったということ。


 そして2001年――

 岡部義太郎はM高校近辺に在住。

 御堂若菜は地下室で、長谷川幸平は雑木林でそれぞれ死体として発見され、指風鈴。

 山本キキラは9月に入って転落死。警察は自殺と認定。指風鈴にあらず。




 ……分かっている事実だけ見れば、こういうことになる。


 さらに。

 M高校の女教師、工藤桃花は長谷川幸平と男女の関係にあった疑いが濃厚。

 そして、天ヶ瀬佑樹と山本キキラは、なんと母親違いながら、兄妹の関係にあった! この事実には驚かされた!


「日記を丹念に読んでいくと、うなずけるものがあります」


 A氏は、言った。


「天ヶ瀬の日記や御堂の日記からも読み取れる通り、天ヶ瀬佑樹と山本キキラはずいぶんウマが合っていたようですし……。天ヶ瀬佑樹の7月10日の日記にも、天ヶ瀬と山本は、同じ一重まぶたでクセッ毛だと書かれてあります。外見もある程度、似ていたのです」


「なるほど、そう言われてみればそうですが……。まさか同じグループ内の男女が、兄妹だったとは。……そう、兄妹といえば最初の事件、岡部愛子の事件についても、兄妹が絡んでいますね」


「はい。岡部愛子とその兄、岡部義太郎は、兄妹の関係でありながら恋人同士でもあった。このあたりが、第一の事件の真相を解明する鍵になりそうですが」


「第一の事件は、どう見ても岡部義太郎が怪しい。しかし指風鈴の糸についた指紋はなんなのか……。さらに2001年の事件については、工藤桃花、この女教師がずいぶん怪しい。しかしこの工藤という教師は、逮捕されなかったのでしょう?」


「されませんでした。長谷川幸平が殺害されたその日に、山本キキラに目撃されていることから、当然、最有力の容疑者として警察に聴取され、ずいぶん絞られたようですが、けっきょく、こちらも決定的な証拠は出なかった。――男子生徒と、それも殺人事件の被害者である男子生徒と交際していた疑惑もあって、工藤教諭は一連の事件のあとに――2001年10月に、M高校を退職し、その後は行方知れずですがね」


「…………」


 私はコーヒーをすすりながら、じっとA氏の顔を見つめた。

 30歳をそこそこ過ぎたかと思われる、しかしサラサラとした癖のない前髪と、濁りのないその双眸は、見方によってはまだ20代前半といっても通りそうなほど、その容姿から醸し出される雰囲気は、若々しかった。


 このひとは、そもそも、誰なのだ……。

 ここに来て私は、その疑惑に取りつかれた。

 A氏は、この日記をどうして持っているのか?


 このひとは、福岡県在住のA氏。

 私はそれしか知らない。メールアドレスも『AAASSS20010717@~』というもので、捨てアドだと思っていた。


「先生」


 A氏は、瞳を光らせながら、そっと日記を差し出してきた。

 4冊の日記帳のうち、残された最後の1冊だ。


「これがいよいよラストです。この日記帳を読み終われば、事件について記された当事者たちの資料はもはやなくなります。――この日記は、天ヶ瀬グループの最後のひとり、袴田みなもの日記帳なのです」


「袴田みなもの……」


「そうです。袴田工務店の娘にして――2001年当時、クラスメイトの安愚楽士弦と共に、事件について調査していた少女。おそらく、真相にもっとも近づいていたと思われる彼女の日記です。彼女の日記により、事件の全容は、きっとおぼろげながら見えてくることでしょう。――あくまでもおぼろげにね」


「…………」


 袴田みなも。

 御堂若菜と共に図書館に行き、天ヶ瀬佑樹殺害の前日に、安愚楽士弦を通じて連絡を取った女。

 事件が起きてから、彼女の存在は、どの日記帳からも消えてしまう。天ヶ瀬佑樹も山本キキラも、何度か電話をかけたり、家に向かったりしているのだが、彼女と顔を合わせることはできていない。天ヶ瀬たちが恐怖や絶望におののいていたその間、みなもは一体、なにもしていたのか?


「いま先生がまったく知らないことは、大きく言えばふたつです。2001年当時の袴田みなもの行動と、1987年の北条凛殺害事件。このふたつがまだ、先生には見えていない」


 A氏は、穏やかに言った。

 その通りだ。私はうなずいた。


「――袴田みなもの日記を読んでください。北条凛、袴田みなも、さらに他の人物たちの見えなかった面が見えてくるでしょう。その上で――事件を……」


 A氏は、わずかにうわずっていた。

 彼は、その切れ長の目に涙をいっぱいに浮かべて、くちびるを震わせていた。


「事件を解決してください。事件の真相をどうか解いてください。読者の皆様に、事件を解くようにお願いしてください。彼らのために……。10代の若い身空で命を散華させてしまった、悲しき少年少女たちのために……」


「Aさん……あなたは……」


 私はここに来て、直感的にだが、A氏の正体がつかめ始めてきた。彼が流す涙。その意味も、また……。

 日記帳を手に取った。黄緑色の分厚いノート。日記帳、と綺麗な字で表紙に書かれたそのノートの片隅には、やはり、小さな血痕が付着していた。


 4冊の血塗られた日記帳。

 その最後を、読まねばならない。

『真相にもっとも近づいていた』少女、袴田みなもの日記帳を……。

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