第177話 精霊紋章は進化する

 クリスティーナとリミルが甲板で戦いを繰り広げていた頃、カジもまた、闇外科医ハワドマンと対峙していた。

 ハワドマンはカジから間合いを取ると、周りをキョロキョロと見渡した。


「おやぁ? 今日、彼女はどうしましたぁ?」

「彼女?」

「あの珍しい精霊紋章を持つ少女ですよ。名前はシェナミィとか言いましたっけ?」


 そう言えば、こいつはシェナミィの精霊紋章に執着していたな――とカジは思い出した。自分の肉体に無数の精霊紋章を移植してコレクションにしている悪趣味を極めた変態野郎である。


「悪いが、今は家で留守番をしてもらっててね」

「それは残念ですねぇ。そろそろあの紋章をコレクションに加えたいと思っていたのに……」


 実のところ、シェナミィにはアルティナと一緒に地下室の中へ隠れてもらっている。周囲の脅威を排除し、安全を確保しなければ、救出目的だったアルティナを傷付けてしまう恐れがあるからだ。


「なぜお前はシェナミィにこだわる?」

「おや? あなたには彼女の価値が分からない? 宝の持ち腐れもここまで来ると、憤怒を感じますねぇ」


 ハワドマンの声がやや低くなる。仕込み杖から剣を抜き、カジに見せつけるように刃を水平に掲げた。


「元来、精霊紋章は古くからある原始的な魔術や武具の強化しかできないものばかりだった。それはなぜか。精霊紋章は人間の生活に数万年もの間根付き、それに合わせた進化をしてきたからだ!」


 人間族の携帯する武器は性能の変化こそあるものの、その種類や形にはあまり変化がないと言われている。

 新しい形式の武器が開発されても、精霊紋章による強化がなければ絶大な効果を発揮できず、結果的に従来から存在する武器の方が重宝されてきたからだ。


「にも関わらず、彼女は狙撃銃という近代武器の強化紋章を手に入れた! ブハアッ! これがどれだけ素晴らしいことなのか、無知な猿の貴様には分からんようだなァッ!」


 ハワドマンは片手で胸襟を広げ、胸板を露にする。そこには彼が「コレクション」と呼ぶ無数の精霊紋章が浮かび、魔力の輝きを放っていた。


「彼女の精霊紋章は、人間族の進化の証なのだよ! レア中のレア! 彼女は人間族の中で、最も進化した個体だァッ!」


 普段はねっとりと喋るハワドマンがここまで力強く饒舌になるなんて、本当に精霊紋章に執着している変態なのだな――とカジは引いた。


「我々は彼女の仕組みを解明しなければならないイイイッ! 彼女を隅々まで解剖し、精霊紋章形成の段階を辿る! そうすればぁ! 人間族は新たな進化の道へ踏み出せるのだアアッ!」

「くだらん。やっぱりお前は狂ってるな……」

「何だと! 私の肉体に刻まれているのは、人間族進化の歴史! それが分からぬ貴様にィッ、あの少女は宝の持ち腐れだ!」


 瞬時、ハワドマンが跳んで視界から消え、上から刃が振り下ろされる。それを背後へステップで回避すると、今度は杖の先端から大量の火球が飛んできた。


「ふざけた魔力量をしやがって!」


 カジの纏うコートには対魔術防御の効果があり、火球の威力を軽減する。以前に彼と戦ったときよりも防御力を改善し、より長く耐えられるよう設計されていた。


 カジは身を翻しながら火球を受け流すと、彼に拳を叩き込むべく接近する。


 このとき、ハワドマンには昨日のユーリングとの戦いで一度魔力を使い果たした疲労がまだ残っていた。

 それでも目の前にいる魔族を一人捻り潰すには十分すぎるほど魔力が溢れている。


 カジの渾身の力を込めた拳は、ハワドマンの放つ結界によって受け止められた。ひびすら入らない強固な守り。

 結界が解けた瞬間、ハワドマンの繰り出した風魔術がカジを瓦礫の山へと吹き飛ばした。


「クソ野郎が……!」


 カジの全身には、瓦礫に叩き付けられた痛みが襲っている。

 ふと手元にあった瓦礫を掴み、投げ付けてみたが、結界の前に大きく弾かれた。


「おや? やけくそですか?」

「チッ、そんなところだ」


 あの結界がある限り、ハワドマンには近づけない。先程の威力の拳では結界を崩すこともできないし、彼の注意がこちらに向いている以上すり抜けることも不可能だ。


 ハワドマンは杖を振り上げ、今度は雷魔術を頭上に落としてくる。カジは激しい閃光に包まれ、肌が焼けるような痛みに襲われた。魔術防御を施していても、ハワドマンの魔力はさらにそれを上回る。


「ぐっ、あがっ……!」

「もっと痛め付けたら、彼女の居場所を吐いてくれますか?」

「お前みたいな変態に、アイツを渡したくないんだがな……」


 口の中が血の味がする。声がかすれ、手足も自由に動かない。カジに打てる手はほとんどなく、ハワドマンからの魔術を受ける一方だった。


 そのとき――。


「私はここよ!」


 廃村に大声が響き渡る。

 ハワドマンが振り向くと、そこには狙撃銃を構えたシェナミィが立っていた。


「あなたの狙いは私なんでしょ!」


 待ち望んでいた彼女の登場に、ハワドマンは攻撃を止めてニタリと微笑んだ。


「ええ。そうです。そうですとも。ワタクシはあなたの紋章が欲しくて堪らないのです」

「あのバカ、どうして出てきた……!」


 シェナミィが一発、結晶弾を放つ。

 タァーン! という銃声が廃村の静寂を切り裂いた。

 しかしその弾丸もハワドマンの結界に阻まれ、虚しく目の前で砕ける。もう一発、もう一発と続けて放つも、同じ結末を辿った。


「無駄ですよ、お嬢さん」

「どうして……」


 シェナミィの魔力は消耗され、その場に膝をつく。

 すでにハワドマンは彼女の目と鼻の先におり、逃れることはできない。彼はシェナミィの胸倉を掴み、その場に立ち上がらせる。


「あぁ、その紋章をよく見せてください」


 ハワドマンは彼女の眼帯を取り上げ、目の中に浮かぶ精霊紋章に感嘆の声を漏らした。


「本当に素晴らしい。こんな紋章、二度と現れることはないでしょう」

「どうして、あなたはこんな酷いことを……」

「酷いこと? 残念ですね。あなたにもこのコレクションの魅力を分かってもらえないないなんて。これほど高貴で興奮する趣味は他にありません」

「そっか、あなたとは分かり合えないのね……」


 このとき、シェナミィは悟った。

 未来永劫、この男と分かり合える日は来ない。


 きっと相手にも家族や愛する者がいて、相手を殺したら彼らを悲しませ、復讐を生んでしまう――幼少期に父親を失ったシェナミィは、自分の経験から相手を殺すことを拒んできた。

 しかし目の前にいる男は、完全に別の世界で生きていることを知った。彼の行う虐殺を止めるには、彼を殺すしかない――と。


 この至近距離では結界を張ることはできまい。

 シェナミィもカジとの戦闘を見ながら、結界を破る方法を考えていた。そして考え出した方法がこれだった。


「ふんっ!」


 シェナミィの頭突きが、ハワドマンの鼻を砕いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る