第146話 ティー
夜、カジは寝室に入ると、窓を開けて夜景をぼんやりと眺めていた。
いつもの穏やかな夜。爽やかな夜風が頬に当たって気持ちいい。
しかし、ユーリングは今も大きな戦争の準備を始めている。一体、次に彼はどこを狙うだろうか。そんなことを考えていた。
ふと、背後でクリスティーナの気配がして振り向いた。薄いネグリジェ越しに見える肌には、うっすらと傷跡が見えるものの、艶やかな白い肌は健康的で、完治したと言って良いだろう。
「よぅ、起きたのか」
「心臓がバクバクしてな。大人しく寝てなどいられなかった」
「隣に来るか?」
「ああ、失礼するよ」
「そういえば、愛用していた長剣を回収しておいたよ」
カジは部屋の隅からクリスティーナの長剣を取り出した。
魔力を流すと青い光を放つ、凄まじい切れ味を持つ代物。ユーリングの工房を探したところ、倉庫に入れられていたのを発見した。稀少な素材を使用し、彼女の能力に合わせて作られた特注品。そう簡単に別の剣には代えられない。
「あぁ、良かった……この剣は親友が危険を冒してまで届けてくれた形見なんだ」
王城の独房に監禁されていたとき、脱走する際に部下だったウラリネが届けてくれた。
クリスティーナはそれを握ると、刀身を確認する。
「ユーリングに操られていた頃は、この剣や親友のことも忘れていた。もし記憶が戻らなかったら、きっと私は惨めな最期を遂げていたのだろうな。私を生かしてくれたカジにも、親友にも申し訳ない。考えるだけでも恐ろしいよ……」
「ああ。シェナミィも言っていたよ。『思い出は宝物だ』って」
「そうだな……」
クリスティーナはカジの横に並び、一緒に夜景を眺め始めた。
「それで……クリスティーナ、例の種子は何個作ったんだ?」
「それが、私もよく覚えてなくて……10個以上は作ったような気はするのだが……」
「10……」
それだけ彼女が犯されていたことも悔しかったが、今は種の使用状況を気にすべきだろう。
村一つを森林に変えられる兵器がそれだけあれば、王国に十分なダメージを与えられる。もし大都市の中心でそんなものが使われたら、一体どれだけの被害が出るだろうか。
現在、ユーリングの行方は掴めていない。あの工房以外にも、どこかに隠れ家を用意しているのだろうか。こうしている間にも彼は王国に戦争を挑む準備を進めており、戦火が上がる日は近いかもしれない。
あのとき、カジたちはユーリングの本性を見た。彼は自分の種族が受けた屈辱を、他の種族にも押し付けようとしている。もし王国に彼らの故郷が侵略されず、外界を知らなければ、こんなことにはならなかっただろうに。
ユーリングは一つの種族が世界の覇権を握れることを覚えてしまったのだ。きっと、彼はそれが森人の未来にに平穏をもたらす方法だと考えているのだろう。
「すまないカジ……私は、彼の誘惑に負けてしまった。それだけじゃなく、そんな危険な物まで作ってしまって……」
「これからどうするかは、一緒に考えよう。一緒に……」
同族の平穏を手に入れるためには、他の種族を征服するしかないのだろうか。
いや、そんなことはないはずだ。
現に、自分とクリスティーナは種族の違いを越えて愛し合い、平和に暮らすことを求めている。
目を伏せる彼女を、カジはふわりと抱き寄せる。夜風になびく金髪が絹のように綺麗で、カジはそっと彼女の後頭部を撫でた。
「それよりもクリスティーナ、お前の返事をまだ聞いてなかったな」
「返事って……?」
「プロポーズの返事をまだちゃんと聞いてないから、今ここで聞かせて欲しい」
クリスティーナはあのとき、突然のプロポーズに驚いて、うまく返事を言えなかったことを思い出した。
「こんな不器用な私で良ければ、よろしく頼む、カジ……」
クリスティーナが、自分の妻。
ここまで関係を進めるのに、色々なことがあった。あれだけのことが起きたのに、彼女と心から通じ合えたことが不思議なくらいだ。
「ねえ、カジ」
「どうした?」
「これからは私のこと、ティーって呼んで」
「ティー?」
「昔、養成所にいた頃、皆にそう呼ばれてた。軍や政治の世界に入ってからは、あだ名で呼ばれることはなくなってしまったがな」
「ティー……か。可愛い名前だな」
「でもやっぱり、カジに呼ばれると恥ずかしい……」
「一生、ずっとその名前で呼ぶからな」
カジはいきなり抱き締める力を強くする。彼女の頭に頬を擦り付け、口を耳元に近づける。
「愛してるよ、ティー」
「んぅ……」
カジがクリスティーナの耳元で囁くと、彼女の精霊紋章が一気に活性化したのが分かった。
本当に「ティー」と呼ばれるのが好きなんだなと、カジは彼女と舌同士を絡ませる。彼女は唾液を飲み込むと、カジに魔力を送ってくれる。それだけで互いの体は沸騰しそうなほどに火照り、息が荒くなっていた。
カジは彼女の胸元に手を滑り込ませ、そこに光る精霊紋章に指を這わせる。すると、まるで栓が抜けたのように魔力を大量放出し、歓喜と共に性欲が高まっていることを体で教えてくれた。彼女はキスを続けながら、自分から下着を下ろしていく。ようやく口を離すと、唾液が気泡を付けた糸を引いていた。
「やっぱり、魔力量が高い人間ほど性欲も高いんだな……」
「もっと、欲しいって……!」
クリスティーナは真っ先に裸になると、カジの服も脱がし始めた。まるで誕生日プレゼントの包装紙を開ける子供のように目を輝かせながら。
ユーリングと生活していた影響か、クリスティーナは性的な行為に対して躊躇が無くなった気がする。それとも婚約したことで、王族という立場上押さえなければならなかった性欲が解放されてしまったのか。
もし彼女が王女として君臨し続けていたら、彼女と婚約した人間族は大変だっただろう。
「これまで、私は無理矢理やられてきたから、本当に好きな相手とできるのが楽しみなんだ」
このキスが無ければ生きていけないかのように、彼女は只管唾液を啜った。
匂いも、魔力も、全身を使ってカジを求める。官能的な刺激に、カジの体も子孫を残そうと本能的に中で活動を始めた。
「おおっ……これが、カジの……」
クリスティーナはカジの衣服を全て剥がし、ようやく現れたものに息を呑んだ。
魔族のオスは童貞の期間が長いと、性欲に飢えたメスを惹き付けようとして、性器が大きくなり、求愛フェロモンも増える――カジはそんな文献をどこかで読んだ気がする。いや、それともシェナミィから聞いたのだろうか。今となってはどうでもいい情報だが。
「引いたか?」
「いや、上等だ」
今のクリスティーナに躊躇や恐怖はない。
彼女はその場でカジを中に取り込もうと、自分から股を開く。
そのとき――。
「先輩! 大変です! 来てください!」
玄関のドアノッカーがガンガン鳴り響き、ラフィルの叫び声が聞こえた。
彼がこれだけ騒ぐということは、何か重大な事件が起きたのだろう。もしかするとユーリング絡みの案件かもしれない。
カジは行為を即座に中断し、クリスティーナが散らかした服を拾いながら纏っていく。
「何でこんなときに……!」
「仕方ないだろ。ティーも出迎える準備をしておいた方がいい」
「むぅ……恨むぞラフィル……頭が火照っているし、股も疼くし、おかしくなりそうだ」
服を整え、やや荒い呼吸のまま、彼らは玄関へ向かった。ドアを開くと、ラフィルはかなり焦った表情をしていた。
「先輩! 聞いてください!」
「何をそんなに慌てているんだ」
「今日、王国でクーデターが起きました! 多くの貴族が粛清されて、王都は勇傑騎士団によって制圧された――と」
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