第133話 あなたの命は

 白く清潔なベッドに横たわる銀髪の少女、プラリムはゆっくり目を覚ました。

 ここはどこだろうか。

 格安宿屋のベッドでは体験できないほど、ふかふかで良い寝心地。パタパタとなびくカーテンの音。顔に当たるそよ風が涼しくて気持ちいい。体のあちこちがまだ痛むが、久々に体を休められた気がする。


「ルファ……」


 なかなか消えない、脳裏に刻まれた光景。あの夜、ハワドマンに刺された妹が燃えて灰になる瞬間。

 思い出す度に度に、気力が失せる。ずっと一緒に生きてきて、これからも共に生きていくことを誓ったはずなのに、どうしてあんなことになってしまったのだろう。


 ずっと首にあった硬く冷たい感触が無い。奴隷用首輪は外されている。

 薄いカーテン越しの柔らかい日差しに、いつの間にか眠気はすっかり消えていた。心は疲れていても、肉体はこれ以上休息を必要としていないようだ。

 プラリムは上半身を起こし、窓に目をやった。外には見慣れない町並みが広がっている。人間族以外の様々な種族が道を通っていた。


「ここは、魔族領……?」


 一体誰が自分をここまで運び入れたのだろうか。ベッドの横を見ると、誰かがシーツに頭を伏して眠っている。


「シェナミィさん?」


 ずっと自分の傍で看病してくれていたのだろうか。

 シェナミィは薄く目を開け、顔を上げた。プラリムと目が合うと、にんまりと頬笑み、彼女の手を握った。


「おはよ」

「はい……おはよう、ございます」

「ねぇ、お腹空かない? 何か料理を持ってきてあげるよ?」


 その返答に、プラリムは少し迷った。確かに空腹は感じるが、食欲までは湧いてこない。妹の死を思い出すことで、食欲が減衰してしまったのだ。


 しかし、シェナミィの厚意を無下にすることも嫌だった。それほど親しいわけでもないのに、ここに運び込んでずっと看病してくれたことを思うと、彼女の期待に応えなければいけないような気がした。彼女の爛々とした瞳が、早く回復してほしいと訴えかけてくる。


「それじゃ、少しだけ……」

「うん、分かった。いきなり沢山食べるのも、健康に良くないって聞くからね」


 シェナミィは納得したように頷くと、部屋を出てパタパタと階段を駆け下りていった。


 それにしても、ここは誰の家なのだろうか。人間族のシェナミィが魔族領に家を持てるとは思えない。窓の下に見える広い庭園からして、かなり大きな家だろう。

 魔族領内でそれなりに地位があり、シェナミィとも関わりがある人物――思い当たるのは、一人しかいない。確か昔ロベルトがそのことで相当悩んでいたはずだ。


 そんなことを考えていると、料理を持ったシェナミィが入ってきた。


「お待たせお待たせ」


 器に入っていたのはスープだった。

 温かい料理は久しぶりな気がする。プラリムは皿を受け取ると、スプーンで口に入れた。


「美味しい……」


 食材の臭みがなく、出汁の香りが鼻に抜ける。作ったのは、料理慣れした人物だろう。


「この食事はシェナミィさんが作ったのですか?」

「えっと、私じゃこんな美味しく作れないっていうか、あはは……」

「まさか、カジですか?」

「えっと、まぁ、うん……そうだよ」


 前回、プラリムはカジを見たときに発狂して奇声を上げた。彼女の中でカジは敵対する魔族のままであり、対峙したときの恐怖を思い出したのだと考えられる。

 そのことを配慮すると、カジをプラリムに紹介するのはまだ早いような気がした。しばらく様子を見るべきか。

 シェナミィは静かにスープを口に運ぶプラリムをぼんやりと眺め続けていた。


「そう言えば、ずっと気になってたんだけど……ルファって誰?」

「えっ?」

「ずっと眠りながら唸ってて、その名前を繰り返していたから、何かその人に大変なことが遭ったんだろうなぁ……って。もし言いづらいことだったら、答えなくてもいいけど」


 プラリムは眠りながら何度も妹の名を口に出しており、それをシェナミィは聞いていた。一体、ルファとは何者なのだろうか、と。

 心の弱いところを突かれ、プラリムは胸が締め付けられるような感覚がした。


「……最近、私、妹を亡くしたんです」

「じゃあルファって、妹のことなんだね?」

「はい……私の目の前で……」


 本当は妹のことをあまり口には出したくなかったが、話すことで何かが変わる可能性に賭けた。悲しみを分かち合える相手や、あのハワドマンという殺人鬼に対抗できる仲間が欲しかったのかもしれない。


「大切な家族を、失ったんです……」

「そっか……」


 シェナミィはプラリムの肩を抱き、自分の胸に寄せた。


「じゃあ、私と同じだね」

「えっ、シェナミィさんも?」

「ついこの前、プラリムちゃんたちを助けようとして、反撃に遭って……お父さんが、ね」

「そうだったんですか……」

「奇妙な人生だったとは思うんだけどね」


 父の身に起きたことを、シェナミィは全てプラリムに話した。

 刀の姿になってしまっても、父は大切な家族だった。寂しさはあるものの、昔より彼の死を冷静に受け止められた気がする。父は今度こそ死者の国へ還り、あるべき自然の形へ戻れたのだ。


「ごめんなさい、シェナミィさんに辛かったことを思い出させてしまって」

「別にいいの。私のお父さんの最期、プラリムちゃんにも知ってほしかったからさ。だから、プラリムちゃんには、お父さんが守ろうとしたその命を大切にしてほしいな、って」

「はい……」


 プラリムは妹を失ってから、もう全てがどうでもよく思えていた。

 妹と同じように、早く自分も消えてしまいたい。

 こんな戦争と犯罪ばかりの世界、どうにでもなってしまえばいい。蹂躙されるだけの人生などうんざりだ。


 それでも、そんな自分を誰かが命を懸けて守ろうとしてくれる。残酷な世界を少しでも変えようとしている人たちがいる――そのことに、未来に少しだけ希望が見えた気がした。


「本当は、皆で平和に暮らしたいだけなのに、いつも問題が起きるんです。街が襲われて、仲間がいなくなって、妹も失って……だから、生きることが恐くて、諦めていたんです」

「うん……」

「でも、やっぱり、希望を持って生きていたいんです」


 もしもう一度アリサに会えたら、自分が生を諦めていたことを謝りたい。プラリムは彼女の無事を祈った。

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