第155話 弟
クリスティーナの顔をしばらく見つめると、ジュリウスは差し出された手をパシリと払い除けた。
こういう反応は予想していた。彼女は手を拒否したことに怒ることもなく、立ち上がるジュリウスを眺めていた。
「姉上……」
「そろそろこの辺に現れるんじゃないかと思って、待ってたんだ」
「この魔族たちは、姉上が……?」
「ああ。少し手を貸してもらった」
姉弟が見つめ合う周りで、次々と冒険者たちが拘束されていた。カジやマクスウェル、それから魔王軍の特殊部隊が作戦に参加している。
同時に負傷者への手当ても進行していた。婚約者のラナには毛布がかけられ、銀髪の僧侶によって治癒魔術が施されているのが見える。ディルナーグもふらついた足取りでラナを介抱していた。
「ラナやディルナーグを助けてくれたことは感謝する。だが、なぜ私まで助けた? 私は姉上を処刑しようとした男だぞ?」
「だからこそ分かっただろう? 処刑される側の気持ちが」
「くっ……」
明日には生きていられないかもしれない。誰かがこちらを監視しているかもしれない。迂闊に宿屋も利用できず、食料を集めるのも一苦労。そんな生活に、ジュリウスは心身共に疲れきっていた。
「同じ境遇の家族だから助けた――と言っても信じてもらえないのだろうな」
「当たり前だ。私を保護することで、軍の動向でも知りたいのだろう?」
「確かに、そうだな……」
クリスティーナは頷く。
こうしてカジ率いる魔族の特殊部隊が動いたのは、ジュリウスを確保することで王国内の状況を聞き出すためだ。クリスティーナのためではなく、あくまで目的は魔族全体に利益をもたらすことにある。
「結局、姉上はいつもそうだ。いつも家庭のことは後回しにして、戦況ばかり考えている」
ジュリウスは苦虫を踏み潰したような顔を見せ、クリスティーナを睨みつける。
「父上が心臓を患っていたときも、姉上は師の復讐に身を投じて見舞いにすら来てくれなかった!」
「それは、ギルダを討つことが国民のためになると信じていたから――!」
「姉上が新たな戦場へ向かうときや負傷したときの報告を耳にする度に、父上の病は悪化していった! 私や母上があなたに戻ってくるよう手紙を出しても、姉上はそれを無視し続けて、結局父上が亡くなるまで帰って来なかったではないか!」
「父上のことは私も愛していた! だから、父上の支えになるために、魔族を倒そうと――」
クリスティーナもジュリウスも言葉に熱を帯びていく。激しい口論に「何を騒いでいるのか」と周りの手が止まる。多くの視線が向けられる中、ジュリウスはさらに怒鳴り声を上げる。
「しまいには『ギルダが生きていました』だと? ふざけるな! 姉上は父上の寿命を徒に縮ませ、エルケストの名に泥を塗ったんだ! あなたを家族として認めるものか!」
* * *
ようやく激しい口喧嘩が終わると、ジュリウスはラナと共に移送用ドラゴンに乗り込んだ。
一方、負傷者や捕らえた冒険者の移送を仲間が始めている傍で、クリスティーナは一人、倒木に座り込んで星空を眺めていた。深くため息を吐くと、白く光って夜空に消える。
「やぁ、お嬢ちゃん。さっきはすごい喧嘩だったな」
「マクスウェル殿……」
「マクスウェルでいい。呼び捨てで構わないさ」
魔族の老人マクスウェルが彼女の隣に座り、一緒に星空を見上げる。様々な色に輝きを放つ星々が彼らを仄かに照らした。
「私は、間違っていたのだろうか……多くの国民を守るために戦うことが良い結果を生むと信じて、戦場に赴いたはずなのに……」
「まあ、お嬢ちゃんの考え方も間違いではないが、あの坊ちゃんの言うことにも一理あるかもな。やっぱり親ってのは、子どものことが気になるもんさ。手の届かないところで戦っていると思うと、気が気じゃなかっただろうなぁ」
「マクスウェルもそうだったのか?」
「随分昔の話さ」
マクスウェルは頷き、冷たい空気を吸い込んだ。
「お嬢ちゃんを見ていると、昔の自分を思い出してな」
「昔の自分……?」
「お嬢ちゃんが王女になる前の話さ。儂には一人娘がいてね」
「あなたの娘ということは、アルティナの母親ということか」
「ああ。あの頃は戦争に勝つことに必死で、娘に目をかけてやれなかった。娘を戦地に出すわけにはいかない。そうやって娘を自分から遠ざけることが、戦争から娘を守ることだと信じていた」
数年前、魔族と王国の戦争が激化したとき、マクスウェルは当時の魔王を務めていた。魔族全体をまとめ上げ、王国の騎士を打ち砕く。仕事は多忙になり、家族との触れ合いは減少していった。
「それなのに、まさかあんなことになるなんてな……」
「あんなこと、って?」
「アイツは魔王の娘として、周囲からプレッシャーを感じていたんだよ。儂宛に『役に立ちたい』という手紙も来た。だが、それを無視することで、儂は娘を家に封じ込めてしまった」
「手紙を無視か……」
昔はクリスティーナにも家族からの手紙が何通も戦場に届いていたことを思い出す。「早く帰ってきて」とか「父が心配している」といった文章が綴られていた。しかし彼女は戦場に残り、ギルダと戦うことを決意する。結果的に手紙を無視したという点で、彼女もマクスウェルも負い目に感じていた。
「娘は『自分は父親に認められていない』と思ってしまったんだろうな」
「難しいものだな。家庭と仕事の両立は……」
「儂が言いたいのは、残った家族を大切にしてほしい、ってことだ。ちゃんと腹を割って話しておくんだ。じゃないと、取り返しのつかないことになるかもしれんからな」
「ふっ……もうすでに取り返しがつかないような気もするが」
「いいや。まだ取り返しがつく。お嬢ちゃんの弟はまだ生きているんだから。喧嘩できるだけ、まだマシさ」
「そうか――」
マクスウェルの一人娘はすでに――。
そう言いかけて、やめた。辛い過去を根掘り葉掘り聞くのは不謹慎というものだ。
彼は自分に相手が亡くなってから家族を想っても遅いことを伝えたかったのだろう。
「ところで、ユーリングと一悶着あったそうだな」
「まあな」
「じゃあ、儂と同じだな。ハハッ」
てっきり魔族に貢献してきた魔術師に手を出したことを咎められるのかと思っていたが、意外にもあっさり笑って流された。
「マクスウェルも、ヤツと何か?」
「さぁな。詳しいことは、歳を取るにつれて忘れちまったよ」
嘘だ、とクリスティーナは直感的に思った。
彼の瞳と口調には覇気がなく、今もそのことを気にしているから口に出したのではないだろうか。
しかし、クリスティーナも詳細を聞こうとは思わなかった。自分がユーリングに犯されていたことを話したくないように、マクスウェルにも秘密にしておきたいことくらいあるはずだ。
「それじゃ、儂は帰るよ」
「助言をありがとう、マクスウェル」
「血の繋がった家族とも、繋がってない家族とも、両方と良い関係を築けることを祈ってるよ」
マクスウェルはニカッと微笑むと、小型のドラゴンに乗って去っていった。
肉好きの明るいお爺さんという印象のマクスウェルだったが、彼にも色々と辛い過去があったのだな――とクリスティーナは感慨に浸っていた。
そんな彼と入れ替わるように、今度はカジがクリスティーナの横に立つ。彼は優しく微笑み、毛布を肩にかけてくれた。
「外は冷える。早く帰ろう、ティー」
「ああ」
カジの差し出した手を、クリスティーナは抱き寄せるように掴んだ。彼の手は温かく、自分の冷たくなっていた手が融けていくような感覚がして心地いい。
自分に初めてできた、血の繋がってない家族。一体、彼とはこれからどんな関係を築くだろうか。
今はジュリウスと和解するのは無理かもしれない。だから、せめてカジとは愛し合う家族のままでいたかった。彼とはジュリウスのような関係になりたくない。もっと彼のことを知りたい。もっと彼と触れ合いたい。
冷えていく外気とは対照的に、彼への想いは熱くなる。家に辿り着くまで、クリスティーナはカジの腕を離さなかった。
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