第99話 クリスティーナの焦燥
その頃、クリスティーナは街の中枢区画まで連れて来られていた。屈強そうな兵士に両脇を抱えられ、鎖抑金をさらに巻かれているため、かなり息苦しい。
「着いた。ここで待て」
「ここ? 何もないじゃないか」
護衛たちが足を止めたのは、大通りの真ん中。周辺住民は避難しているのか人通りはほとんどなく、数人の兵士が巡回しているだけだった。
やがて大通りの向こうから轟々と機械音が聞こえ、巨大な物体がこちらに近づいてくる。一言でそれを表すならば「道を走る船」だった。空に次々と信号弾を射出し、兵士に指令を送っている。
それはクリスティーナたちの前で停まると、入り口らしきハッチが開かれる。
「この中でアルティナ様がお待ちです」
「なるほど、移動式の作戦指令本部か……魔族の技術力も侮れんな」
自国の最先端技術を敵国から隠すために、誰の目にも触れやすい商業施設や民家は一昔前の技術で建築することはクリスティーナの祖国でも行われていた。
魔族が表に広がる街以上の魔法技術を持っていることは予想していたが、こんなものまで開発していたのは想定外だ。
そして、クリスティーナは廊下の隅にあった小さな部屋へ乱暴に押し込まれた。扉以外何もない殺風景。彼女はその部屋は独房のような場所だと察していた。
やがて船橋らしき部屋の方角からコツコツと足音が聞こえ、クリスティーナの前にアルティナが現れた。
「よく来たな、ドブオッパイ」
「お前から呼び出したくせに随分な態度だな」
「敵国のかつての王を歓迎などするわけがなかろう。おまけに胸から悪臭も出しおって」
アルティナは大きな瞳で、クリスティーナを睨み付ける。クリスティーナも相手に負けじと鋭い視線を送った。
どうもこの女は好きになれない。他者に敬意を払わず、権力を振りかざして周囲を怯えさせる――そんな態度が、弟のジュリウスを思い起こさせる。
「単刀直入に言わせてもらう。儂は貴様がこの騒動の首謀者だと思ってる」
アルティナはクリスティーナの顎をくいっと指で上げさせた。
「これを仕組んだのは、断じて私ではない!」
「まあ、口ではどんなことも言えるわい。それを証明することはできるのかえ?」
「今すぐ証明なんてできないことは、貴様も分かっているだろ?」
「そう。分からないから、こうして貴様を連れてきた。本当に味方か分からん人物を野放しにして、我らの戦況を悪化させては困る」
そのとき、アルティナの背後にある鉄扉が開かれ、一人の魔族兵が入ってくる。その額には大量の汗をかいていて、息も荒い。
「報告! 第26区画より新手が現れました!」
「またオーガか?」
「いえ、未知の亜人種です! 全身が灰色で、オーガ以上の背丈があります!」
その魔族兵からの報告に、クリスティーナは動揺した。
まさか、自分が出産した亜人種ではないだろうか。伝達係が述べた特徴は、ダイロンのものとよく一致する。
亜人種の成長は早い。栄養状態さえ良好なら、わずか数週間で成人になる。
胸騒ぎを覚えながら、クリスティーナはアルティナの会話に耳を傾けた。
「それで、ヤツにはどう対応している?」
「現在、カジが交戦中です! しかし、敵の異常な再生能力に苦戦を強いられていて――」
「カジが……苦戦?」
クリスティーナはさらに焦燥感に駆られ、その場から飛び出したくなった。しかし、拘束具と監視が彼女をがっちりと押さえ付けている。
「どうした、クリスティーナよ。魔力が異様に漏れているぞ?」
「うるさい……!」
「まさか貴様、その亜人種とやらに何か心当たりがあるのかえ?」
クリスティーナは深く目を閉じ、打ち明けるべきか悩んだ。
「やはり、儂に何か隠しているな。今すぐここに拷問官を呼んで吐き出させてもよいのだぞ?」
「分かった……全部話す」
ダイロンの子どもなど出産しなければ、こんな事態にはならなかったのだろうか。
クリスティーナは過去の自分を責め、この状況をなかったものにしたかった。
カジには無事でいてほしい。
過去には色々あったが、ここ数日で彼とは分かり合えてきたつもりだ。
「その亜人種を産んだのは、私かもしれないんだ……」
「貴様、亜人種に孕まされた経験があるのかえ?」
「王都で監禁中、亜人種の研究として出産させられたんだ」
「ほう、それは驚きじゃわい」
アルティナにはこの事実をあまり喋りたくはなかった。彼女に知られたら、どんな汚い言葉を返されるか分からない。しかし、信頼を得るため正直に話すしかなかった。
クリスティーナの目は伏せられ、その顔は床を向く。
今、自分はどんな表情をしているのだろう。
嫌いな相手に知らたくない過去を打ち明けるのは、こんなにも暴れたい衝動に駆られるものなのか、と。
「子宮まで汚らわしい女だったとは、元王国最強の女騎士が聞いて呆れるのぅ」
「今更純潔を求めようとは思わん。私は、今すべきことを成し遂げたいだけだ」
「自分の産んだ息子が愛おしいから守りたいのか? 自分の腹から産まれたものには情が芽生えると言うからのぅ」
「違うッ! 私はカジを助けたいんだ!」
「ほぅ。人間族が魔族を、のぅ……」
アルティナは興味がなさそうに、喋るトーンを落とした。まるで、面白くない漫談を聞いているかのように。彼女には自分が戯れ言を喋っているようにしか聞こえないのだろう。
「まあよい。貴様には騒動が終息するまで、この部屋に――」
「アルティナ、お前はカジの料理を食べたことがあるか?」
「いいや。あんな野性児の作る料理など、常人に食えたものではなかろう?」
「そんなことはない……!」
踵を返して独房から立ち去ろうとするアルティナを、クリスティーナは追おうとする。しかし、衛兵に押さえられ、近づくことはできなかったが。
「王国から逃げて逃げて希望を持てなくなっていた私に、料理を振る舞ってくれて、生きる勇気を与えてくれたんだよ。かつて私は剣を向けたというのに、おかしなヤツだよな」
「貴様、何が言いたい?」
「食べ物の恨みは深いが、食べ物の恩はもっと深いんだよ……いつか、アイツにも勇気とか希望とかを与えてやりたい。それは、きっと今なんだ」
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