第83話 キノコ茶とクリスティーナ
クリスティーナの話を聞いていくと、外科医ハワドマンという男の恐ろしさが分かってくる。
「なるほど、行方不明になったギフテッドは、ヤツに精霊紋章を奪われて殺された――ということか」
「精霊紋章の移植手術は王国が禁忌として定め、情報統制してきたつもりだ。おそらく、ヤツは何らかの手段で手術方法を知って、それを試したんだろう」
体中に無数の精霊紋章を持つ化け物。
クリスティーナや盗賊共が彼を恐れている理由がようやく分かった。
にわかには信じがたいが、これまでの状況からして、その人物が実在する可能性はかなり高い。
これは一度、魔族領に帰還し、マクスウェルやアルティナに報告した方が良いだろう。ジュリウスやハワドマンの動きに魔族全体で警戒しなければなるまい。
「貴重な情報の提供、感謝するよ」
カジは出来上がったキノコ茶をクリスティーナに差し出した。香ばしい匂いが広がり、湯気がしっとりと彼女の頬を濡らす。
クリスティーナは今にも泣き出しそうな顔で、少しずつそれを飲み干していく。傷付いた身体と心に温かさが染み渡り、ホッとしてしまう。
逃亡中、気が休まる暇などなかった。各地に張り出された手配書には膨大な額の賞金が記され、多くの冒険者が彼女を追って人目につきにくい場所まで捜索してくる。冒険者やモンスターに追われながら孤独に過ごす時間は、想像を絶するほどの地獄だった。
何でもない普通のキノコ茶が、自分に生きる気力を与えてくれているような気がした。
これまでの緊張が解け、涙が目に溜まる。
カジはその様子を無言で眺め続けていた。おそらく、クリスティーナの心は壊れる寸前だったのだろう。気持ちを整理させる時間を与えてやらないと、まともに会話することすら難しくなる。
やがてキノコ茶の入っていた鍋は空になり、クリスティーナの表情も落ち着き始める。
「随分、長いこと逃げてきたみたいだな」
「ああ……」
「身体でも洗ってサッパリした方がいいんじゃないか?」
カジはクリスティーナから漂ってくる土の匂いや体臭が気になってきた。逃亡中、服や身体を洗っていないのだろう。
「シェナミィ。クリスティーナの体を洗ってやってくれ」
「はぁい」
「俺はその間に晩飯でも作っておく」
幸い、拠点には浴槽がある。魔導装置で熱した水を溜め、好きなときに身体を洗うことが可能だ。
シェナミィはクリスティーナの手を握り、浴室へエスコートする。拠点の隅にポツンと建てられた木造小屋。ランプで灯りを点けるとクリスティーナを中へ押し込んだ。
「ほらほら脱いでください、クリスティーナさん」
「あっ」
「これは洗濯しちゃいましょ」
シェナミィは意気揚々とクリスティーナの全身を洗い、風呂の中へ座らせる。大柄なクリスティーナの前に重なるようにして、小柄なシェナミィも入り込んだ。
小さな浴槽に二人も入ると、さすがに窮屈だ。体同士を密着させると、互いの形が肌の感触を通じて分かる。シェナミィの小さな背中に、クリスティーナの胸が柔らかく潰れた。
「あの……クリスティーナさんは、まだカジを警戒してます?」
「それは、まあ、ギルダほど残虐ではないが、彼も一応魔族だからな……」
「昔のカジはクリスティーナさんの悪口を言いまくってましたけど、あの夜以来、心のどこかであなたを心配しているような感じもしてるんです。多分、カジはクリスティーナさんを同じ戦士として認めているんだと思いますよ?」
かつてクリスティーナとカジがこの拠点で戦闘状態に入ったとき、彼女は勇傑騎士団の装備を落としていった。今でも捨てられることなく小屋の隅に置かれているのだが、カジがそれをぼんやりと眺めていたことが何度がある。
口には出さないし、本人も自覚していないのだろうが、きっとカジはクリスティーナのことを心配していることに、シェナミィは気付いていた。
「そ、それは買い被りすぎだ。お前たちが思うほど私は誉められたものではないし、こっちも調子が狂う」
シェナミィの背後で、クリスティーナの頬は赤く茹で上がっていた。
これまで凌辱や絶望ばかり味わってきた反動だろうか。社交辞令ではなく率直に誉められると、心が混乱を引き起こす。
「私はまだまだ未熟だ。そのせいで、辱しめも受けたし、かけがえのない大切な仲間も失ったんだ」
ギルダやハワドマンに敗北し、ウラリネを失ったのは、自分が未熟だったせいだ。
もし自分がもう少し強かったら、戦いの結末は変わっていただろうか。ギルダへの復讐を為し遂げ、ハワドマンを逮捕し、ウラリネと共に王国をより強固にする――そんな願いは最早叶わない。
「敵だったアイツに認められると、余計に恥ずかしい。これまで私は魔族を倒すために自分を鍛えてきたのに、その気が失せてしまうような気がするんだ……」
全ての魔族から憎まれる覚悟だったのに、こんな風に魔族に頼る日が来るなんて。
「だったら、失せてもいいんじゃないんですか?」
「えっ」
「私は、失せましたよ?」
シェナミィは振り向いて微笑みかける。クリスティーナは「そうかもな」と小さく呟いた。
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