第3章 オーガ殲滅

第8節 ウラリネ

第70話 生贄になった男

 それから、カジは一人、とある洞窟を訪れた。以前にも訪れた、ギルダが隠れ家として使っている場所だ。


「よぉ、生きてたんだなカジ」

「お前は……まあ、生きているのは当然か」

「今までどこで油売ってやがった?」

「森の中だ。あの王女から隠れてたんだよ」


 ギルダは洞窟の奥で椅子にどっかり座り込み、木製ジョッキで大量の酒を飲み漁っていた。すでに酒臭い空気が洞窟内に充満し、カジは顔をしかめる。

 かつてここを訪れたときには、ギルダの部下が多くいたはずだが、今は一人も見受けられない。隊長のギルダが戦死したと勘違いし、散り散りに逃げていったのだろう。その辺に置いてあった金貨や宝石など金目の物が消えており、部下たちが勝手に持ち去ったと考えられる。


「傷を負ったから撤退した。文句あるか?」

「いいや。王女の体力を削ってくれて万々歳だ。おかげで面白いもんが見れたよ」

「アルティナの命令は達成できたのか?」

「いいや。命令通り抹殺はできなかったが、あの馬鹿娘なら適当に功績を用意しておけば許してくれるさ。クヒヒッ」


 ギルダはジョッキに度の強い酒をたっぷりと注ぎ入れると、それを再びグビグビと音を立てて喉へ流す。酒を飲むときの彼は本当に機嫌が良さそうだ。酒が体に入るとどんな気分になるのか、下戸のカジには分からなかったが。


「ギルダ、お前、俺にクリスティーナの能力について隠していたな」

「さぁ、何の話だ?」

「本当は前の戦いで、クリスティーナが鎖抑金で全身を固めていることを知ってたんじゃないのか?」

「知らんなぁ」


 ギルダは酒の入ったジョッキをぐらぐらと揺らしながら答える。やけに強気な態度で、自分とは目を合わようともしない。こちらの事情など眼中にはないのだろうか。


「そっちこそ、俺様に色々隠し事があるみたいだがな」

「何だと?」

「この前、お前の秘密基地を訪ねたら、変な小娘がうろついてたぞ? アイツは何だ?」


 おそらく、シェナミィがギルダに襲撃されたときのことを指しているのだろう。

 ギルダは自分とシェナミィの関係性について気づいている。しかし、ここで彼に動揺した素振りを見せてはならない。少しでも弱みを露にすれば、ギルダはさらにつけ込んで来るだろう。

 カジは平静を装い、ポケットに手を突っ込んだ。


「お前こそ何のことを話してるのか分からんな。たまたまどっかの冒険者が迷い込んだんだろ」

「しらばっくれる気か? まあいいさ。話は終わりだ。次の作戦にもお前を呼ぶかもしれねぇから、いつもみたいに体を鍛えながら待ってな。クヒヒ」


 こうして、カジは酒を飲み続けるギルダを横目に、彼の隠れ家を後にした。





     * * *


「お帰りなさい」

「ああ……」


 カジが自分のキャンプに戻ると、すでに日が落ちていた。

 夕食も取らずに小屋へ篭り、どさりとハンモックに横たわる。色々なことが起こりすぎて、心身ともに疲労が溜まっていた。目を閉じると、すぐに眠気が襲ってくる。


 そのとき――。


「寒い……」


 外で焚き火をしていたシェナミィが小屋の中へのそのそと入ってくる。

 シェナミィはカジの横に寝転ぶと、彼の体に自分を寄せてきた。冷え切った彼女の体は震えている。温かい場所を探し当てた猫のように、体を丸めてそこを陣取った。ハンモックの上は窮屈になり、二人は体を密着させる。


「カジ……腕の傷は大丈夫?」

「ああ。しばらくは動かせないが、そのうち治る」

「そっか……」


 カジの腕はクリスティーナとの戦闘で深い傷を負い、今は包帯が巻かれている。

 自分が適切にシェナミィをギルダから遠ざけていれば、クリスティーナとも戦わず、こんな傷も負うことはなかっただろうに。ちょっとした不手際がこんな形で自分に返ってくるなんて、未来とは本当に分からないものだ。


「ねえ、カジ?」

「今度は何だ?」

「カジは、私のお父さんについて知ってるって本当?」


 その瞬間、カジの心臓はドキリと跳ねた。

 ずっと黙ってきたシェナミィの父親に関する秘密を、なぜ彼女が知っているのか。思い当たる理由は、おそらくだろう。


「ギルダから聞いたのか?」

「うん……前の戦争で捕虜になった王国兵を生贄にして、ギルダの魔剣を作った――って」

「ああ、そうだ」

「本当なの? カジがそのための捕虜を用意した、って話は」


 シェナミィはカジに背を向けており、彼が彼女の表情を窺い知ることはできない。


「話していいのか? お前にとって、辛い話かもしれんぞ」

「私は、お父さんに何があったのか知っておきたいの」

「そうか……」


 カジはシェナミィを毛布で背後から包み込み、優しく彼女を腕で捕まえる。華奢な柔らかい体は、力を込めすぎると折れてしまいそうだ。


「俺は……投降して来た王国兵の部隊を、作戦本部に送った。魔剣製造のことは何も知らされてなかったよ。あの頃は、前線で戦う一般兵に過ぎなかった。送った捕虜が魔剣製造の生贄に使われた、と知らされたのはその儀式が開始されてから随分経ったときのことだ」

「そうなんだ……」

「俺たち魔族は王国軍を蹴散らすためにもっと強力な兵器を求めていた。そのために、禁忌の魔術に手を出したんだ。防衛作戦を終えて本部に戻ったとき、蠱毒の儀式は終盤に差し掛かっていて、檻の中で最後まで残っていたのがパンタシアという男だったのさ」


 カジは当時の様子を鮮明に覚えていた。檻の中で揺れ動く生気のない男を。彼の首にかかっていたのは、「パンタシア」と彫られたドッグタグ。

 シェナミィが彼の娘であることに気づいたのは、つい最近の話だ。どこかで聞いたことのある姓に、彼女の過去を照らし合わせると、パズルのピースのようにピタリと当て嵌まった。


「間もなくその男は特殊技官によって心臓を炉に溶かされ、あの魔剣『藍燕』が完成した。ヤツらの話じゃ、まだ男の魂は剣の中に残っているらしい」


 このとき、シェナミィはギルダも同じようなことを言っていたのを思い出した。今も彼の剣には父親の魂が宿っており、「目の前の敵を倒せ」と命令してくるらしい。


「ねえ、カジ?」

「どうした?」

「私のお父さんを、あの魔剣から救う方法はある?」

「あの剣を壊せば、あるいは……」

「そうなんだ……」


 言葉で表すのは簡単だが、ギルダの持っている魔剣『藍燕』を壊すのは容易ではない。クリスティーナが長剣を全力で振ってぶつかっても壊れなかった。加えて、ギルダも相当な剣術の使い手である。彼から魔剣を取り上げて破壊するなんて不可能に近い。


「結局、捕虜になったところで凄惨な死が待ち受けているのさ。そんなことになるくらいなら、その場で殺してやった方が――」

「私はそんなこと、認めないからね」


 その夜、それ以降シェナミィと会話することはなかった。狭い小屋の中で、彼女の寝息だけが聞こえる。


「お前は、父親みたいにはなるなよ」


 カジはそれだけ呟くと、眠りに落ちていった。

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