第7節 ダイロン

第60話 故郷を奪った亜人種

 街に仕掛けていた炎魔法陣が発動する頃、ギルダと巨大な亜人種ダイロンは鬱蒼とした森の陰から姿を現した。


「さぁ、派手にやってくれや、ダイロン!」

「任せとけぇ、ギルダぁ」


 それを街の櫓から視認した警備騎士が、慌ただしく動き始める。街全体に響き渡る鐘を鳴らし、住民へ危険を知らせた。


「は、早く結界を作動させろ!」

「駄目です! 何者かに破壊されています!」


 モンスターの襲撃に備え、非常時に発動されるはずだった防衛結界。

 しかし一足先に忍び込んだギルダの部下が、街に点在する結界発生装置の幾つかを破壊していた。そのため街を囲う結界のあちこちに敵の侵入を許す隙間が生じている。


 かつて山賊や海賊だった者を中心に構成されているギルダの部隊には、盗人だった経験を活かした潜入が得意な者が多い。

 結界発生装置を警備していた騎士を暗殺し、炎魔法陣を仕掛けるなど造作もないことだった。


「な、何だ、あの化け物は……!」


 結界の隙間から入り込んだダイロンの異様な姿に、そこにいた冒険者たちは絶句した。


 ダイロンの纏う分厚い鎧には、彼の孕ませた女性が縄で何人も括り付けられている。モゴモゴと蠢く膨れた腹が不気味だった。女性たちは苦しそうに呻き声を上げ、冒険者たちにダイロンへ攻撃を仕掛けることを躊躇させた。


「女、見いつけたぁ!」


 冒険者の群れに紛れる若い女を見つけると、ダイロンをそれを追って街の大通りを駆け抜ける。足元の逃げていた冒険者を踏みつけても、勢い余って建物に突っ込んでも、ダイロンの性欲は止まらない。一つ動きをする度に街は破壊されていく。


「げひひっ! 女をうっかり踏み潰しちゃっただぁ」


 建造物を粉砕しながら移動する巨大な亜人種を一際強く睨む者がいた。

 赤く眩い宝石が嵌め込まれた杖を持つ、背の高い黒髪の女性――アリサだった。


「アイツは……あの亜人種は……!」


 アリサの脳裏に蘇る、破壊された故郷の記憶。自分の家を瓦礫の山に変え、自分の両親を虫けらのように踏み潰した謎の亜人種。

 忘れられるはすがない。あの日、幼い自分から全てを奪った存在を。


 その亜人種が、目の前にいる。

 湧き上がる殺意は、もう自分では抑えられなかった。


「見つけたぞおおおおッ!」


 男のような低い声で叫んだアリサは、ダイロンに向かって杖を掲げた。


「ここで、終わらせるッ!」


 彼女の杖には強大な魔力が集まり、膨れ上がった火球が今にも放たれようとしている。

 ようやくダイロンもそれに気づき、犯すのに丁度良さそうな若々しいアリサの女体に涎を滴らせた。


「死ねエエエエッ!」

「ま、待ってください、アリサさん! 囚われている女性たちが――」

「うるさいッ!」


 アリサは止めようとするプラリムを突き飛ばし、そのまま火球を放つ。辺り一面を太陽の如く照らし、四方八方へ熱気が暴れた。


 しかし、ダイロンを守るように、火球の前へ巨大な影が立ちはだかる。


「な、防衛用ゴーレムが!」


 それは、魔族に占拠された砦に配備されていた防衛用ゴーレムだった。

 ギルダの手によって鹵獲・不正改造を施され、人々を蹂躙する殺戮兵器と化している。そのゴーレムが持つハンマーには、すでに住民の肉片がベットリと付着していた。


「あんたも、敵ってわけね!」


 アリサは続けて炎魔術を放つが、ゴーレムには微塵も傷がつかない。

 防衛用ゴーレムの装甲は魔術によるダメージを受け流す特殊合金が使用されている。

 アリサの攻撃は装甲の前に次々と掻き消され、ゴーレムは巨大な槌を振り下ろした。


「アタシの復讐を邪魔して……!」


 アリサは転げるように槌の一撃を避けると、建物の陰に身を隠す。プラリムも慌てて彼女を追いかけて飛び込んだ。

 咆哮のような機械音を鳴らしながら、ゴーレムは肩のワンドポッド――杖が収納された筒のような魔術兵器――から光線を発射する。閃光に当てられた木造の家屋は一瞬にして炭化し、巻き添えを食らわぬようアリサたちはさらに裏路地を全力疾走した。


「おいおい、オデの女を焼き殺すなよぉ」


 ダイロンは怪力で屋根を押し潰し、柱を折り曲げ、壁を突き破る。逃げ遅れた男性住民を掴み上げると片手で柔らかい果物のように握り潰した。

 若い女以外はどうでもいい。


「お、おい! お前らモンスターを狩る冒険者だろ! 早くアイツらを何とかしろッ!」

「あんな化け物、どうやって倒せばいいんだよ! ゴーレムだって軍事用の代物だぞ! 敵うわけねぇ!」


 他の冒険者たちもダイロンやゴーレムとは逆方向へ散ろうとする。

 彼らがいつも相手にするモンスターとは、強さの格が違い過ぎるのだ。


 それでも何人かの上級冒険者や騎士はその場に留まり、各々の得物を敵に向けた。

 先頭に立つのは、山脈のように盛り上がった筋肉を持つ男――ギルドマスターである。いつもの格調高い仕事着を脱ぎ捨て、かつて戦士だった頃のように、ドラゴンの鱗で作られた鎧を着用していた。


「ここから先は通さん!」

「お前ら、ギルドマスターに続けェ!」


 この街の冒険者をまとめるギルドマスターは、誰もが強さを認める有名な戦士だ。

 彼が巨人たちへ立ち向かう勇姿に、逃げ腰だった冒険者もその戦いに加わり始める。人間たちの士気は一気に上がり、「マスターが先頭に立ってくれるなら安心だ」と勢いを取り戻し始めた。


「かかって来い! この金属野郎!」


 彼の戦斧は迫り来るゴーレムの金槌をも弾き、硬い装甲に大きな傷を作る。ギルドマスターの腕力は、他の冒険者とは桁違いだ。さらに、雄叫びを上げながら振るわれた戦斧はゴーレムの膝関節を打ち砕き、ゴロリと巨体を横たわらせる。


「行けるぞ!」


 勝利への兆しが見えてきた。この調子なら、あの亜人種も討てるはず。

 ギルドマスターは別の標的へ向かうため、倒れたゴーレムから目を離した。


 そのとき、ゴーレムの装甲が剥がれ、中から刀を構えた魔族が飛び出す。

 気づいたときにはすでに遅く、刀がギルドマスターの鎧の隙間から肉体を貫いていた。鎧に滴る赤い筋。一瞬の出来事で、誰も止めることはできなかった。


「ま、まさか、お前は悪ど――」

「だったら、何だ? さっさと死んでくれるのか?」


 ギルダは大きくマスターの胴を裂くと、彼の背中を思い切り蹴り飛ばした。口から溢れ出た血液が、地面を赤黒く汚していく。


「マ、マスターが殺られた!」

「そんな……!」

「やりやがったな! この魔族がアアアッ!」


 今ならまだ、マスターを治癒魔術で蘇生できるかもしれない。

 そんな希望にすがるように、そこにいた冒険者たちは彼の元へ駆けつけようとする。救助と復讐のため、彼らは武器を高く掲げた。


「雑魚はよく群がる……!」


 しかし、ギルダは彼らの中に飛び込むと、俊敏な動きでバサバサとそれを斬った。血がしぶき、腸が落ちる。

 魔族内でトップクラスの強さを持つ彼にとって、そこら辺の冒険者など敵ではなかった。


 ゴーレムを単身で倒すほど屈強な男を蘇らせては面倒だ。

 ギルダは最後、マスターの首に刀を突き立てた。ここまで死体を破壊すれば、蘇生術でも生き返らせるのは無理だろう、と。


「そろそろアイツらが対面する頃か」


 ここに、本命の女はいない。

 自分の読みが当たった、とギルダは満足げに遠くの赤い夜空を眺めた。





     * * *


 一方その頃、クリスティーナはダイロンがいる場所とは逆方向に走り出していた。屋根の上を次々と跳び移り、下を逃げる人々に異常がないかを注視する。


 おそらく、あの亜人種は陽動だ。

 冷酷無慈悲なギルダなら、逆方向に逃げる一般人を狙う可能性が高い。


 クリスティーナはこの戦況をそんな風に読んでいたが、実際にはギルダが陽動側に回り、彼女は別方向へ走っていたのだ。


 そして、彼女が向かった先に待ち構えていたのは、屋根の上にポツンと立つ魔族の男――。


「カジか……!」

「クリスティーナ……!」


 カジの背後には、数体のゴーレムが見える。ギルダが彼の護衛として、譲渡したものだった。


 ギルダはクリスティーナとカジを先に戦わせ、彼女の体力を削ることを目的としていた。カジには王国軍から奪ったゴーレムを数体託し、彼女が現れるであろうポイントに向かわせる。

 ギルダもコンディションの整ったクリスティーナとは戦いたくない。いきなり彼女の前に出るのは避け、危険な役目は駒に任せよう、という算段だ。


 屋根の上に対面する二人の王。

 道にいる住民たちは、大火とゴーレムに気を取られ、それどころではない。誰にも気づかれることなく、二つの殺意がぶつかろうとしていた。

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