条件23 逆鱗と魔剣

「マーヤ? 」

俺の腕の中からマーヤの体が抜ける。

すく、と立ち上がるマーヤ。

「こんな時になんですかい、嬢ちゃん」

アルターが視線を動かさずに言った。

張り詰めた小屋の空気。

(何をする気なんだ、マーヤ! )

あと一歩。

誰かが歩めば、戦闘が始まる。

切れそうな糸が見えるようだ。

「まっさか、この後に及んで命は取るな——なんて、言ったりしませんよねえ? 」

ぎく。

まさにそれ、マーヤが言いそうなことではあるけど。

「それは……さすがに言いません」

マーヤがうつむく。

「アルターさん。私たちが生き延びるためには、この方達を殺さなくてはならなかった、そうですね」

「……。そうですねえ。七人の兵隊の手から俺の手で守るにゃ、全員殺すしか方法はねえ。そして」

アルターは顎で捕虜たちを示した。

「こいつら捕虜の方々もそうですぜ。故郷に帰るには、俺らを殺して道を切り開くしかねえんだ。——話は終わりですかい? 」

「……いえ。終わりじゃないです」

マーヤはリーダー格の男に向き直った。

「あなたは、この捕虜の方々のリーダーかと存じます」

ランタンの橙色が、マーヤの白い頬を照らしている。

「脱走をした理由は、魔窟の魔力で魔族にならないため……なのですね」

「そうだ」

アルターと睨み合っている男が頷く。

「私たち二人の子供を守るために、彼は人まで殺しました。何故そこまでして守るのかと、疑問に思うでしょう」

「おいマーヤ……」

「なぜなら私には権力があるからです」

俺の声を遮ってマーヤは言った。

「私は新しい魔王。この魔王軍の魔王です」

なんで名乗った。

心底呆れた。

と言わんばかりのアルターの背中。

短く答えるリーダー。

「だから? 」

「私には権力があります。この軍の全てを決める権力、全てを率いる権力です。私の采配一つで戦争は起きるし、誰かが簡単に死にます」

「それが何だと? 魔王軍の全力を今からここに集めて、俺たちを殺すとでも。生憎だがその前に、あんたが本当に魔王だってんなら人質に取るさ」

「はい。それはわかります。ですが

リーダーの男が吹き出した。

「甘い、甘いな小娘! 『私のことは構わずこいつらを殺して! 』とでも言う気か? ガキには政治がわからねえからそんなことが言える。そんな自己犠牲はありえないんだよ」

「……確かにそうでしょう」

マーヤが頷く。

「人質に取られた私を捨ておけば、王を見殺しにしたと民の反感を買うでしょう。私が良い王だからではありません。私が魔王だというだけで、抗議されます。でも——例え今ここで私が殺されたとしても、あなたたちに利はありません。何故なら王が死んでも魔王軍は生き続けます。私が殺されようと、魔王軍にもあなた方にも一切、利益も不利益もないのです」

——話が見えない。

一体、こいつは何を言う気なんだ。

リーダー格の男もそう思ったのか。

緊張はそのままに構えを解く。

合わせてアルターも退く。

「ですが」

はっきりと。

マーヤの瞳が前を見据える。

「もしあなたが平和を望むのでしたら、魔王であることは、あなたの利益になります。——私に、賭けてください」

「なんだって? 」

「見えもしないあと数年の未来を、一度しかないあなたの人生の何割かを、私に賭けてください」

マーヤはそう言った。

「私は必ず、あなた方がこの魔窟でも生きられる世の中にしてみせます」

「何を言って——」

「してみせます! 絶対に! そして出来ます。何故ならです! 」

なんという根拠のなさ。

なんという潔さ。

こんなの誰が聞いたって呆れる。

(でも)

この場で、誰よりマーヤを知る俺には。

別のものに聞こえた。

一瞬で目の前が開けるような。

世界が明るくなったような。

そんな開放感。

——そうだ。

こいつは、今回の魔王は誰でもない。マーヤだ。

誰よりも優しくて。

正体不明の悪魔の人生相談にまで懇切丁寧に乗ってしまうようなとんでもないド天然で。

自分と違う者との関わり方を、体を張ってまで探ろうとする。

辛いことも、悲しいことも、怒ることがあっても。

一度も誰かにその傷を叩き反そうとした姿なんか見たことがない。

聖人君子やらの教えをそのまま実行しちゃうような純朴さ。

それがマーヤだ。

それが、今回の魔王なんだ。

「それは、捕虜に戻れということか」

「はい」

マーヤは男に向かってハッキリと言った。

「この場を私に、預けてはくれませんか」

……見たい。

マーヤの作る世界。

俺はそれを、見てみたい!


しばらくの沈黙ののち。

「そうかい——そんなら」

リーダー格の男が動いた。

「お前を殺して、俺も逝くまでだ! 」

「! お嬢っ」

アルターがはっと床を蹴る。

——間に合わない。

そう直感した時にはもう体が動いていた。

「っ! 」

「リョータロ……!? 」

マーヤの前に飛び出た。

無意識に、右手が腰に下げていた魔剣を掴む。

ナイフの刃先が眼前に迫ってくる。

——なんでだ。

どうして襲うんだ。

マーヤの話、ちゃんと聞いてたのか。

そんな確証のない話を信じろって方が無茶ってか。

(俺は)

ヒリヒリと。

ざわざわと。

焼付くような痛み。

(俺は! )

——俺はマーヤの世界を、隣で見たい!!

焼きつくような右腕が、熱を発した。

目の前でナイフを待ち構える剣が。

赤く、融ける。


ガキィン。

ナイフを受け止める音が響いた。

ビリビリと身体中に走る痺れ。

「ぁぁあああっ!! 」

俺はそれを思い切り弾き飛ばした。

男がそのまま吹き飛ぶ。

「リョータロ!? 」

——熱い。

「坊主、お前」

——熱い。

「っ、はあ」

上気した息が熱い。

身体中が燃えるように痛い。

それでいて何かが抜け落ちたように軽い。

「リョータロ、その、腕……」

マーヤの声に、振り向く。

もともとぱっちりした瞳が見開かれている。

目が落ちるんじゃないかってくらい。

「腕……? 」

右腕が、熱い。

俺は視線を落とした。

泉から拾ってきた魔剣が、俺の右手の中にある。

錆びていたはずの、儀礼用の剣。

今やランタンの光を反射して、曇り一つない銀色にその身を照らしている。

けれど。

その柄を握る、俺の手は。

「なんだ……この腕……!? 」

がっしりとした肉付き。

一回りは大きい手のひら。

しなやかに膨れた関節は、馬の踵のように曲がっている。

瑠璃色の鱗がてらてらと、俺の腕を覆っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る