条件22 脱走の理由
マーヤに向かってナイフが降りかかる。
「マーヤっ! 」
俺は手を伸ばした。
「え——」
俺の声に危機を察知はした。
でもマーヤは動かない。
マーヤの手先にあるのは、何かを手探りするような気配。
まるで真っ暗闇に居るかのような。
「くそっ——! 」
マーヤの頭を抱え込む。
景色はまるでスローモーションだ。
銀色のナイフが迫ってくる。
鋭利な切っ先が、俺の背中に向かって下される。
ヒリヒリと。
神経を焼くように。
右腕に疼く痛み。
ぐさり。
音がした。
ぐしゅ、ぷつ。
「え……? 」
俺の頬に生暖かい液体が飛ぶ。
——痛みが、ない。
頭上で、何か張り詰めた気配。
顔をあげる。
俺の腹の底が、一瞬にして冷えた。
「ア……アルターっ!? 」
俺たちをアルターの背が覆っている。
「———っ」
銀色の切っ先が、アルターの肩を突き刺している。
「ぐっ……」
アルターの手が男の手ごとナイフを掴んでいる。
ぐうっと力む腕。
みちみちと水気のある何かが切れる音。
「——ぁああああああっ!!! 」
アルターが男の顔を殴る。
「ゔっ」
男の手を柄から剥がす。
そのまま壁まで男を蹴り飛ばした。
「……はぁ、は……っ」
「ア、アルター! 」
「アルターさん……! 血が……! 」
アルターが舌打ちをする。
「こんくらいの傷で騒ぐんじゃねえや。お前らはせめて大人しく縮こまっててくだせえよ」
全く変わらない憎まれ口。
なのに、その声には濁りがある。
血の匂いがする、掠れ声。
ナイフを弾き飛ばせば、俺やマーヤに当たるかもしれない。
男を殴り飛ばしても同じこと。
だからアルターは、より確実な方法を取った——そんなように、見えた。
同時にゾッとする。
自分がわざわざ犠牲になる方法を取らなくちゃいけないくらい、追い詰められてる。
(——俺たちのせいで! )
「そこまでだ」
突き刺さるような痛みを感じて目を閉じた。
「! まぶし……っ」
突然、小屋の中が明るくなった。
「くそ、手が早いこって」
アルターが悪態をつく。
そろそろと目を開ける。
リーダー格の男が、手にランタンを持ってこちらを照らしていた。
「へえ、そりゃ収容所のランタンじゃねえですかい。あんたらの嫌ぇな、魔術で作られた
「そうだ。我々は本来、誇りに変えてでも使わない。しかしあるものは使わせてもらう。魔族どもに勝つためならな」
「そうですかい。さすが人間サマはよく頭が回るこって。常に戦場では臨機応変、誇りもプライドもってか」
憎まれ口叩いてるけど、アルターさん、大丈夫なんですか。
なんか煽ってませんか。
しかしリーダー格の男は鼻であしらった。
「ふん。お前ら魔族ほどじゃあない。——見たところ、お前は人間に近い種のようだ」
ぴく、とアルターの構えた棍が微動した。
「さては貴様、人間だったな? 」
「えっ? 」
思わず声が漏れた。
「どういう意味……」
「なんだ、そこのガキどもは知らなかったのか。なら教えてやろう」
リーダーが俺たちの方を向く。
「この地は邪気に汚れた『魔の土壌』。その邪気に長いこと触れるとなぁ、魔族になるんだよ」
……は?
「魔族に、なるって」
「そういえば、フェンネルが言ってたわ、魔窟の空気中には魔力があるって」
『——そして魔族はこの地に根を下ろしました。大気に魔力を含む土地、それが魔窟です。人間たちが入ること叶わないこの場に、初代魔王は安寧の地を作り上げたのです』
フェンネルが言ってたという、歴史の一節。
「おい小娘、魔力じゃない。そりゃ邪気だ」
「邪気? はっ——それだってお前らが勝手にそう呼んでるだけだろうが」
嗤うアルター。
リーダーは気にも留めない。
「人間は魔窟では生きられない。だからこうして邪気の薄い国境近くに人間の収容所がある。だが収容所とて魔窟の一部だ。長く魔窟にいれば、少量ずつ邪気に体が慣らされていく。そうすると邪気は人間の体に染み付いて、魔族に変わっちまう」
実際、と男は言った。
「昨日、俺らの班員が一人、魔族に変化した」
——だから捕虜たちは脱走したのか。
「じゃあ魔窟にいる魔族たちはみんな、昔は人間だったのか?! 」
「いや、それはないな。生粋の魔族がほとんどだと聞く。人間は魔族の地に足を踏み入れない限り魔族にはならないし、好きこのんで魔窟に足を踏み入れるような人間は魂が魔に魅入られた奴……そもそも魔族みたいなものだ。気にする必要はない」
ちょっと待て。
それって、まさか。
マーヤも同じ考えに至ったのか。
「もしかして……人間の中にも、魔族は生まれたりするのですか」
「異形のことか。ああ。だがそれは母親が魔族と交わったか、腹ん中に子供がいるのに魔窟に足を踏み入れたか、そのどちらかだ」
父親が魔窟に足を踏み入れた可能性だってあるだろうが。
「その子供は……」
「魔窟に追放するさ。異形は人間じゃない。魔族だからな」
「な——」
「人間の胎から生まれても魔族は魔族。そのうち人を襲うようになる。うちの村は殺さないだけ慈悲があるぞ」
「そんなの、わかんないじゃないか。もしかしたら人間の村の中でも魔族は生きれるかも」
だって、人間の俺は魔族の中でも生きている。
殺されてない。
一日しか魔窟で生活していないけど、こいつらが言うみたいに、魔族が条件反射で人間を殺すものなら、俺たちは騎士だの魔王だのって肩書きが有っても無くても既に殺されてるよ。
もし魔族が俺を殺すとしたら、その理由は『戦争の相手と同じ種族だから』。それだけだ。
なのに、リーダーの男はやれやれと言わんばかりに曖昧に笑った。
「世迷言だな。魔族はそういうものなんだ」
それじゃあ、ただの迫害じゃないか。
ただの差別だ。
差別と偏見だ。
お前らに、魔族の何がわかるんだ。
何にもわかってないのに、偏見だけで魔族を悪者だって言ってるのか、こいつらは。
——とは口に出せない。
だって俺も、数時間前まではこいつらと同じようなもんだったから。
それでもこれだけは確かだ。
「……そんなの、間違ってる」
「何を憤っているんだ。これは人間のせいじゃない。魔族のせいだ。そもそも魔族が人間たちに危害を加えなければ、予防策として異形を追放なんかしない」
「ははっ。そしたら『見た目が違う』『食う物が違う』『起きる時間が違う』ってだけで追放しだすぜえ」
アルターが横から口を挟んだ。
「予防策だ? 危機管理だぁ? ご大層な文句掲げてっけど、要は自分が殺されちゃたまらねえから、その前に殺しちまえってこったろう」
「おい、アルター……」
「まあ当然かもな。てめえら人間にゃ死刑ってな制度があるんだろ? あんなものがある奴らの社会らしいや。見た目が綺麗に整ってるだけで、根本はリンチと変わんねえの」
「……」
別に、アルターは俺に言ったわけじゃない。
それはわかってる。でも。
なんだか、困ってしまった。
多分アルターの言っていることは正しいんだろう。
あいつは大罪人だ。あの人が生きているだけで安心して夜も眠れない。だから殺そう。
きっとそれでしか安心できない人もいる。
だから多分、問題なのは、誰もが悪いことだってわかってる『殺人』を、社会って言葉を借りて執行することなんだ。
そうして自分たちはその罪を背負わないで生きようとする。それなのに死刑を執行した人には特別な何かを背負わせようとする。
でも死刑制度がある国の人間としては、俺はこれからアルターにどう接すりゃいいんだろう。
だって、それでも必要なんじゃないかって、殺されちゃたまんない組の俺は心のどこかで思ってる。
「魔族がよく吠えるじゃないか」
リーダーが俺たちからアルターに視線を戻した。
「お前は何故、魔族になった。森に迷い込んだか。奴隷として連れてこられたか。それとも——人間の地にいながら、魔族に変化した生まれながらの魔性か」
なんだか腹が立った。
「おいお前! アルターが人間だったなんて決めつけんな! 」
「百歩譲ってそんな過去があったとしてもだ」
……えっ。
アルターが構え直す。
「俺は正真正銘の魔族だ。テメェらと同じにすんじゃねえや……魔の地の『変蝕』にびびって脱走なんざしでかした、この腰抜けどもがァ!! 」
獲物を前にした獣が飛びかかるような。
今にも闘いが再開しようとした、その時。
「双方、お待ちください! 」
凛とした声が響いた。
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