条件15 魔改造サキュバス

——そうだ。

俺は緊張のあまり朦朧としてきた頭で思い出した。

風呂上がりのマーヤが突然部屋に来たと思ったら。

風呂場のトンデモサキュバス事案をそれはもう事細かに聞かされた上。

マーヤが俺をベッドに押し倒したのである。


「私のカラダを触ってください! 」

「無理無理無理無理」

壊れた機械のように首を振るしかない。

ああでもいい匂いする。

ていうか触れって言っといて押し倒すのは違うんじゃねえか。逆なんじゃねえか。

「さっきお風呂に入ったばかりよ」

「そーいうことを言うんじゃありません!! 」

マーヤが目に見えて落胆する。

ぐわ。罪悪感。

いや、これで手を出してみろ。

罪悪感どころの騒ぎじゃねえぞ。

「リョータロに断られたら、私、誰に頼めば……」

「頼むな! 」

「ユリアさん流スキンシップにいつまでも慣れる事が出来なかったらどうしよう」

「慣れんでいい!! 」

ていうか。

「お前の話を聞いてる限りじゃ、それはスキンシップじゃねえ」

「え? でも体を触ってたよ」

いや確かにスキンシップは体を触るものだけども。

「それは正規のスキンシップじゃなく度をすぎたスキンシップ、すなわち痴漢——」

「あら。失礼しちゃうわね」

知らない女の子の声がした。

ベッドが軋む。

視界に映るのは薄桃色のロングヘア。

メガネが知的。

……思わず身が竦む。

めっちゃ美少女。

「ど、どちら様で」

美少女、唇をぺろり。

「あら。騎士さまも中々カワイイのね」

「そうなんです、リョータロは意外と童顔ですよね、ユリアさん」

お前か———————っ諸悪の根元んんん!!!! 」

思わず上半身を起こす。

マーヤの天然ボケに突っ込んでる暇もない。

俺の上に跨ったマーヤの頭が俺の胸にぶつかった。

「うわっごめんマーヤ……」

「ふふ。仲がいいのねえ。いいところをお邪魔しちゃったかしら」

「なっ、そんなわけが」

——ハッとした。

やーらかい太ももが。

スラックスの布越しに、やーらかくてあったかい太ももが。

俺が上半身を起こしたから、俺に跨っていたマーヤが腰を下ろしたのだ。

「部屋が隣でよかったわね。誰にも知られずいつでも会えるし? 」

「うわ——! 誤解です! 」

なるだけ大きな声を出して煩悩を振り払う。

「??」

一方のマーヤは完全に、はてなマークを浮かべてる。

「誤解って……ほんとのことでしょ」

「おまっ……! 」

確かに、部屋隣だしずっと一緒みたいなものほんとのことだけど!

今、天然はダメな場面!

しかし時すでに遅し。

「あら魔王さまは積極的ね! 」

「火に油!! 」

目が輝くユリア。

もうやだ。女子のこーいうとこやだ。これはいい獲物をゲットして弄り倒す時の目だ。姉貴がよくやる目と同じだもん。

「ユリア。そのくらいにしなさい」

現れたのはいつでも頼れる生き字引、解説係のフェンネル。

「失礼いたしました、閣下………彼女は、ズビッ、サギュバズ、でしでぇ」

「おい……おい参謀官、鼻水を吹いてくれ」

色んな穴から色んな液体が垂れている。

鼻水を出しても儚げなのは何故。

「こほん、すみません。あまりの失態に取り乱してしまいました」

「ちょっと。その失態って私のことじゃないでしょーね。このユリアさんの肢体が目に入らなくて? 」

水戸のご隠居みたいに言われても。

「彼女はサキュバスです」

解説係は印籠をスルーした。

なるほどサキュバス。

俺はユリアに向き直った。

「うちのマーヤに何してくれてんだ。もう近づかせねえからな」

「あら。貴方の許しなんかいらないわ。私は私の手で私の獲物を手に入れる」

獲物って言っちゃったよこの子。

「ところで閣下、先ほど会ったユリウスを覚えてらっしゃいますか」

「ああ、男の人でしょ? 背の高い、筋肉ついた、ええと、確か……。

「はい。彼がこのユリアです」

沈黙。

「はい? 」

「ですから、ユリアとユリウスは同一人物魔族です」

ユリウスとユリア。

何そのコンビ名。

魔族界のぐりと○ら?

「参謀官どの。解説をお願いします」

「はっ。サキュバスとは女の姿の淫魔のこと。その姿で男の精をすすると、サキュバスは男になります。それがインキュバスです」

性転換のきっかけはお湯じゃなくてヤることなんですか。

そんな馬鹿な。

どうしてこの魔窟はことごとく幻想を打ち砕いていくのか。

「これからよろしくね、魔王さま。私がんばっちゃうから! 」

仁王立ちするユリア。

「魔王さまは私好みの女の子だもの!大丈夫、ご褒美ボーナスとかねだらないから。あ、騎士様も可愛いわよ」

社交辞令オマケみたいに付け加えなくても。

しかし。

るんるんとマーヤと手を繋いだユリアを見て。

俺は決意した。

なんとしてでもマーヤを守ってみせると。

そのためには、何者にも負けない力が必要なのだと!



——数分後。

フェンネルは騎士の間を退室した。

廊下は暗い。

「部屋ん中じゃ騒ぎが続いてるみてえだが。お前はもういいのかい」

誰もいない廊下に男の声。

「お食事を持ってきます。お二人が夕食を口にされていないようですので」

フェンネルが灯篭を向ける。

「アルター。貴方も中に入ればよろしかったのに」

木の如くに気配のない男が浮かび上がる。

「言われた通り二人の護衛はちゃんとやってるんだ。勘弁してくれよ」

アルターが肩に担いだ棍棒を叩く。

「夜行も昼行もねえ、眠らねぇ種族であるウッドマン木男のおれが文字通り寝ずの番をするんだ。安心しな。……他でもないお前の頼みだ。反故にゃしねえよ」

フェンネルは困った顔をした。

「アルター。あなたは此度の新魔王を認められないのですか? 」

彼は確かに捻くれ者だ。

けれどこんな風に、誰彼構わず皮肉を言うような男ではない。

「あいつら人間だろ」

「アルター、貴方またそのようなことを——」

「人間だよ」

アルターの瞳がフェンネルを捕える。

フェンネルは眉根を寄せた。

彼は、アルターは真面目に言っていた。

。そうでしょう、アルター」

「……」

「貴方の懸念はそれだけですか? 」

フェンネルの言葉選びにはきつさがある。

頭の切れる者特有のきつさ。

論理の思考生き様がふとしたはずみに滲むのだ。

しかし参謀官の口調にあるのは優しさだけだ。

何が貴方をそうさせるのか。私に教えてくれないだろうか。そういう心遣いだけ。

暫くして、アルターが口を開いた。

「フェンネル。お前はさ、やっぱり頭がいいんだ」

暗がりの中で、棍棒を片手に立つ木製の男。

「お前は頭がいいから、二人のひよっこが成長するのがわかってる。どんなひよこであれ、ちゃんと教育すりゃ、時間が経ちゃあ一人前になるって」

月の光が窓から差し込んでアルターの足元を蒼に染めている。

彼は天を仰いだ。

「おれは無理だ——」

満月の月が夜空にかかっている。

「何にも知らねえ人間の小娘と小僧。それが今のあいつらだ。おれには今しか視えねえ」

今、戦争が起きたなら。

成長など待っていられない状態なら。

そう考えてしまう。

「おれはお前みてえに頭が良くない。かといって姐さんみてえに度量もない……」

いつしかアルターの姿は消えていた。

あとには、森の眠ったような静けさにフェンネル一人が残された。

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