112:ほんとに待っていたのは、彼だって話


 湖の水をひっくり返してぶちまけられた。

 それがヒュドラの攻撃を受けたときの感想である。


 そりゃもう、大量の水がまさに怒濤と押し寄せ、地上にあるもの全てを根こそぎ押し流していく。


「もがががー!」

「がぼがぼべー!」

「ごぼがぶぼー!」


 エヴァの防御魔法のおかげで、かろうじて水の勢いは抑えられたが、ぎゅう詰めの兵士や冒険者たちが水に攪拌されてえらいことになった。


 ……洗濯物とかこうやって洗ったら便利そうだな。


 長い時間、攪拌されていたようにも感じたが、おそらく数分もたたず、なんとか水攻撃は収まった。


 最初に動き出した高ランク冒険者が、すぐに動けない者を識別していく。


「げはっ! ごほ! ごほ!」

「こっち! 息が止まってる!」

「そこの兵士もだ! 神官はどこだ!」

「こいつは頭も打ってる! ベップ!」

「だめだ! 神官の数が足りない!」


 回復系の神官や魔術師が、治療にてんてこ舞いになる。

 そんな状況で、俺たちを守っていた、巨大なドーム状の荊棘が消え去った。


 ギャゴアアアアアアア!


 ヒュドラが、全く減っていない俺たちに気づき、怒り狂った咆哮を上げる。

 レイドックが舌打ちしながら、冒険者に指示を飛ばす。


「動けるヤツは防御陣形! ありとあらゆる手段で、あの首を近づけるな! 動けない奴を守れ!」

「「「おう!!!」」」


 指示に即答したのは高ランクの冒険者たちである。彼らならなんとか救出の時間を稼いでくれるだろう。


 だが、ヒールポーションは流されたし、そもそも窒息には効かない。どうする!?


「私たちに任せてくれ!」


 レイドックたちの次に動き出したのは、リザードマンたち。

 起き上がるのが遅れたのは、窒息ではなく目が回っていたからのようだ。

 ジュララが率先して窒息しかけている兵士や冒険者たちを救出していく。


「口から空気を送り込んでください! それでもダメなら胸を強く押して! お腹は押さないで!」


 シュルルが人間に指示を出していた。

 口移しで無理矢理空気を送り込むという、見たこともないやり方であったが、その効果は抜群で、次々に冒険者や兵士たちが咳き込みながらも起き上がっていく。

 もともと腕に覚えのある奴ばかりなので、呼吸さえ戻れば、あとは生命力でどうとでもなる。


「こんな方法があったのか」


 さすが水辺に住む種族だ。心強い!

 俺も手伝おうと周りを見渡すと、ちょうどエヴァが横たわっていた。

 なんか全身ずぶ濡れで、妙な色気が……。

 いやいやいや!


 あれだけ無理をしたのだ、彼女ほどのランクでも、水くらい飲んでしまってしかたない。

 ジュララやシュルルを見て、やり方を確認。


 えっと、まず口移しで強く肺に空気を送り込むのか。

 口移し……。いやいやいや!

 これは医療行為!

 人助けだから!


 一応姉妹のカミーユとマリリンを探すが、カミーユはレイドックと一緒に前衛で、マリリンも前衛組の回復についている。

 こんな時、リーファンがいてくれたら!


「こ、これは治療なんだからね!」


 俺はなぜか謎の口調で、ゆっくりとエヴァに顔を近づけていく。

 服が肌にぴったりと張り付いて、胸の形がががが!

 意外と着痩せするタイプ!?


 視界が泳ぎまくり、いらんところばかりに注目してしまう。

 それより急がなければ!

 俺は首を振って頬を叩き、自分に気合いを入れる。


 空気を、肺に送り込むだけ!

 よこしまな気持ちはゴミ箱に放り込み、ジュララのやり方を模倣。まずは顎をつまみ、気道を確保?


 俺はエヴァの口を覆うべく顔をさらに近づける!

 すると!

 かすかに、彼女の吐息が俺の首筋を撫でた。


 ぎょへー!

 なんかくすぐったい!


「あー、クラフトさん」


 俺が内心悶えていると、少し離れた場所で治療をしていたベップが気まずそうに声をかけてくる。


「エヴァさんは魔力枯渇で気を失っただけですよ」

「……え?」


 俺は目を点にして、ベップとエヴァを交互に見つめてしまう。


「クラフトさん。まず最初に、自発呼吸があるかを確認してくださいね」


 ベップがやや苦笑気味に忠告してくれた。


 ほぎゃああああああああ!

 は! 恥ずかしいぃいいいいいい!


 ◆


 ジュララ率いるリザードマン部隊のおかげで、なんとか態勢を立て直すも、状況は悪化していた。


 ザイードの兵士三〇〇名の大半が、動けなくなってしまったのだ。

 一度肺に水が入ると、普通はこうなる。

 肉体能力が常人とは比べものにならない冒険者とは違うのだ。


 冒険者と比べれば、能力は低いものの、連携と命令に対応する早さは秀逸であり、今まで俺やザイードを含む後方部隊の護衛としては機能していた。


 巨大なヒュドラの首が、俺たちを襲おうとしても、三〇〇名による槍衾を見せつければ、さすがのヒュドラも警戒するのだ。

 その隙に、冒険者たちが追撃して追い払ってくれる。


 だが、その後方部隊を守る盾がなくなり、それどころか、ほとんどが足手まといになってしまった。


 しかし彼らを責める気にはならない。

 彼らは間違いなく、限界を超えて俺たちを守ってくれていたのだから。


「ええい! 貴様ら! 何をへたり込んでいる! 立て! 立ち上がるのだ!」


 ザイードが元気に怒鳴りだす。


(こいつ……案外丈夫だよな)


 冒険者に比べればはるかに劣るが、並の兵士より肉体能力はありそうだぞ。

 兵士長らしき男が、必死にザイードに現状を訴えているがあまり聞き入れてもらっていないようだ。


「冒険者どもは戦線に復帰しているではないか!?」

「ザイード様! 一度溺れて死にかけた者は、普通あんなにすぐに動けません!」

「貴様は動いているではないか!」

「私は……! これでも兵士長ですから!」


 なんか兵士長さんがかわいそうになってくる。

 この世界は残酷なまでに、強い奴と弱い奴に差がでるからな。

 ゴールデンドーンの冒険者は、レイドックたち以外も、優秀な奴ばかりなので、比べるのは間違っている。


「貴様らが動けないと、戦線が崩壊するのだ!」

「う……」


 ザイードはむちゃくちゃ言っているが、間違ってはいないのだ。

 このまま兵士たちが脱落すると、じり貧である。


 まずいな……。

 レイドックが奮戦してくれているおかげで、かろうじて死人は出ていないが、このままでは全滅待ったなしだ。


「くそ……っ! 戦力が……戦力が足りねぇ!」


 俺は思わず天に向かって叫ぶ。

 戦力か、せめて魔力があれば!


 少しだけ、心が折れかけたときである。

 ヒュドラが作った長い獣道の奥から、朗々とした声が響いてきたのだ。


「〝我が剣の煌めきの元へ集え〟!」


 離れた場所にいるとは思えないほど響き渡る声。

 そして、その言葉を耳にすると、不思議と身体に力が戻る感覚が。


「支援魔法?」


 周りを見れば、へたり込んでいた兵士たちも、困惑気味に立ち上がり始めている。

 集団支援魔法……いや、似た効果のある技だな、これは!


「よくぞ耐えた! レイドック!」


 叫びながら飛び込んできたのは、真っ赤な髪の偉丈夫で、巨大な身長ほどある白き大剣を、軽々と振り回していた。

 もちろん、ヴァン・ヴァインである。

 そのままレイドックが押しとどめている首の一つに技を放った。


「〝神息纏剣しんいてんけん〟!」


 かなり強烈な一撃で、ヒュドラにかなりの深手を負わせる。しかし、レイドックの大技ほどは威力がないのか、仕留めきれず、残りの四つの首に、追撃を邪魔され、その間に自己修復されてしまった。


 だが、この動きのおかげで、前衛組が再び態勢を立て直し、後衛組もヴァンの支援技のおかげで起き上がっていた。


 問題は、ヴァンがこの場にいるということは……。


「ヴァン! カイルは!?」

「あそこだ! 後衛組は合流しろ! 私も一緒に下がる!」


 かなり離れた位置に、カイルの本隊が陣形を整えているのが見え、俺は一安心する。

 どうやらヴァンは一撃だけ入れるだけで、俺たちと一緒にカイルの護衛に戻るらしい。

 カイルには逃げて欲しい気持ちもあったが、マイナを見捨てられるよな性格ではない。

 甘いのかもしれないが、それがカイルのいいところだ。


「ヴァン! 集合場所だが、こっちの後方にしてくれ!」


 俺はマイナが隠れている大木方向を指さす。


「わかった! 一度カイルと合流してから、一緒に移動する!」


 そこでヴァンが、ぽかーんとしているザイードに気づいた。


「なにをぐずぐずしているザイード! 早く部隊をまとめんか!」

「なっ!?」


 突然現れた赤毛のおっさんに命令され、ザイードが目を剥く。


「貴様! この私を誰だと思っている! ベイルロード辺境伯が次男、ザイード・ガンダール・ベイルロードとは――」

「貴様こそ私を誰だと思っているのだ!?」


 ヴァンが一喝。


「なに? ……え?」


 ザイードの顔がみるみると青ざめていく。

 やーい。

 たぶんヴァンはお偉い貴族だからなー。たぶん領主クラスだと思うぞー。

 ざまー。


「問答無用! 動け! ザイード!」

「は……はっ!」


 ザイードは振り返り、自分の部下に指示を飛ばす。


「全員移動開始!」


 すでにレイドックたちの足手まといになっていた俺たちは、ヒュドラを彼らに任せ、本隊へと合流する。


 ずらりと戦闘態勢を整えている本陣に行くと、すぐに中央部へと通された。

 そこで待ち構えていたカイルが歓喜の表情を見せてくれる。


「クラフト兄様!」

「カイル!」


 走り寄ってくるカイルが、ヴァンの後ろをついていたザイードにも気づいた。


「ザイードお兄様もご無事だったのですね!」

「……カイル?」


 なぜかザイードがカイルの顔を見てうろたえる。


「久しぶり……くっ!」


 不用心に近づいていくカイルに、一瞬ザイードが歓迎するような仕草をみせるも、急に表情を歪めた。


「ふん! 生きていたのか!」

「お兄様……」


 カイルは悲しげな表情を浮かべるも、なにか、ザイードの様子がおかしいように見える。

 だが、今はマイナが心配だ。


「カイル! 来て早々悪いが、隠れているマイナと合流したい!」

「はい! ご指示ください兄様!」


 俺は周りを見渡す。

 ヴァンだけではなく、アルファード率いるカイルの私兵に、リーファンもいる。


「よし! レイドックを横切るように、突っ切るぞ!」


 大回りしても、湿地帯ではやたら動きの速いヒュドラ相手には無駄だろう。むしろ戦力がばらつく方が危険だ。

 レイドックを援護しつつ、ここは突っ切る!


「まったく無茶を……だが、私がカイル様を守り切る! 存分にやれ!」


 出番のなかったアルファードが、どんと胸を叩いた。


「……出番がなかったとか言うな」

「さーせん」


 さあ、お姫様救出の時間だ!


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